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2008年4月18日 (金)

明治新政府初の対外戦争~征台の役、木戸孝允の辞職

 

明治七年(1874年)4月18日、台湾出兵に反対した木戸孝允が、政府に辞表を提出しました。

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事の発端は、明治四年(1871年)10月・・・幕末・維新の動乱を乗り越えて、生まれたばかりの新政府が、廃藩置県に、身分開放にと右往左往していた頃・・・

暴風雨に見舞われた沖縄・宮古島の漁民が、台湾の海岸に漂着したところ、現地住民に襲撃され、乗組員66名のうち54名が虐殺されるという事件が起こります。

しかし、まだ、世界への扉を開けて間もない日本・・・こういう時、どうしていいかもわからず、何の対処もしないまま、とにかく内政の事で精一杯の日々が続きます。

そのうち、明治六年(1873年)には、あの征韓論で敗れた西郷隆盛板垣退助らが辞職(10月24日参照>>)、士族(元武士)たちの不満が頂点に達しようとしていた頃・・・。

その時・・・なぜか、3年前のその台湾での事件に興味を示したフランス系アメリカ人のリ・ゼンドルが、外務省の副島種臣(そえじまたねおみ)に接触します。

このリ・ゼンドルという人は、当時、清国(中国)厦門(アモイ)アメリカ総領事だった人で、とにかく饒舌=口がウマイ事で有名な人・・・そんな彼が「彼ら(犯人である現地住民)を、厳罰に処するべきだ」理路整然と語りつくします。

それこそ、まだ、外国との交渉に不慣れは新生日本・・・副島は、このリ・ゼンドルを外交顧問とし、台湾への出兵を視野に入れて、話を推し進めていくのです。

この時の、現地住民というのは、台湾の先住民族で高砂族と呼ばれていた人々・・・リ・ゼンドルの言うところに寄れば、「彼らは別の民族で、清国の政教の及ばないところにいるのだから、日本が出兵して報復するのが義務である」というのです。

これに飛びついたのは、あの大久保利通でした。

実は、大久保は悩んでいました。
それは、先の征韓論・・・

廃藩置県によって、職を失った士族が50万人と言われていたこの頃、西郷たちの征韓論に乗って朝鮮に出兵すれば、ある意味、職を失った士族たちの救済にもなります。

しかし、その時は、「今は外国と戦っている時ではない、国内の産業の発展に目を向けるべき」という意見に賛同して、征韓論を叩きつぶしましたが、ここにきて、士族たちの不満が頂点に達してきている事をひしひしと感じていたのです。

そんな矢先、とうとう、明治七年(1874年)2月、不満ムンムンの士族たちによる反乱・佐賀の乱(2月16日参照>>)が勃発してしまいます。

大久保は、即座に台湾出兵の案を政府に提出し、佐賀の乱の鎮圧に従事すると同時に、陸軍中将・西郷従道(隆盛の弟)に出兵準備を命じます。

Katurakogorou22 これに、反対したのが、大久保とタッグを組んで、ともに征韓論をつぶした木戸孝允(桂小五郎)です。

木戸の言い分は・・・「今、ここで、出兵するなら、去年のあの征韓論反対は何だったの?」って事です。

ごもっともなご意見・・・大久保さん痛いトコ突かれます。

しかし、大久保は薩摩出身・・・征韓論で西郷が負けて、もっとも苦しんでいるのは、元・薩摩の鹿児島士族たちなのです。

その負い目もあって、話は強引に進み、もはや台湾出兵は政府の決定事項となります。

かくして、明治七年(1874年)4月18日木戸は辞表を提出し、政府を去るのです。

この後、5月4日には、大久保・西郷、そして大隈重信の三者会談で、正式に台湾への出兵が決定され、幕府から引き継いだヨレヨレの砲艦2隻に、いっぱいいっぱいの兵士を乗せて出航・・・

22日には現地に上陸し、近代日本初の正規軍による対外戦争『征台(せいたい)の役』が勃発したのです。

しかし、いくらヨレヨレの船とにわか軍隊だとは言え、こちらは一国家の正規軍・・・相手は、清国に蛮族呼ばわりされている先住民族です。

高砂族以外の住民は、反発しなかった事もあって、戦いはあっけなく終わります

ところが、終ってみると、アラ!たいへん・・・世界の常識に不慣れな日本は、本来、先にすべき外交筋への正式な告示をやっていなかった事を知るのです。

・・・なので清国は、「すぐに撤兵せよ」との猛抗議。

アヘン戦争以来、清国に多くの利権を持つイギリスも抗議してきます。

今回の出兵に際しての責任のすべてを荷う気持ちでいた大久保は、自ら遣清大使となって北京へ・・・

粘り強い交渉の末、清国が、先の虐殺された漁民への見舞金を含む出兵経費・50万両(テール)を支払う事で、日本側が撤兵するという条件での決着を向かえる事ができました。

とにもかくにも、この一件によって、沖縄が日本である事を、世界に認めさせた形となった事は、明治政府にとって、大いに収穫だったようです。

大役を終えて帰国した大久保は、すぐに「木戸を呼び戻したい」と、伊藤博文を仲介に立てて交渉し、木戸の出した提案をすべて呑む事によって、大久保と木戸の関係も丸くおさまる事に・・・

この先の日清戦争を予感させる「征台の役」・・・教科書では、あまり大きく扱われていないようですが、近代日本が世界へと目を向ける最初の出来事として、記憶に留めておきたいですね。
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