秀吉VS北条の持久戦・小田原城包囲
天正十八年(1590年)4月3日、小田原に到着した豊臣秀吉が、小田原城・包囲の態勢を整えました。
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さて、先日書かせていただきました通り、天下を手中に納めたも同然の豊臣秀吉が、名胡桃城(なぐるみじょう)のゴタゴタ(10月23日参照>>)をきっかけに、天正十八年の3月、最後の大物・北条氏の小田原征伐を開始しました(11月24日参照>>)。
難攻不落と思われていた山中城を攻略した(3月29日参照>>) 事で、北条氏の敷いた足柄城→山中城→韮山城の防御ラインを破り、箱根を越えて小田原に入った秀吉。
前田利家や上杉景勝といった北陸勢に、関東各地に散らばる北条傘下の支城への攻撃を命じるとともに(12月10日参照>>)、自らが率いる水軍と本隊を要して、天正十八年(1590年)4月3日、小田原城・包囲に取り掛かります。
見にくければ画像をクリックして下さい、大きいサイズで開きます
(このイラストは位置関係をわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)
※【陣形と陣立のお話】のページで、この時の徳川家康の陣立図を紹介しています・・・コチラからどうぞ>>
ご存知のように小田原城は、あの北条早雲が手塩にかけた天下の名城です。
しかも、そのスゴさは城だけではなく、町全体を強固な城壁で囲むという、ヨーロッパの城郭都市を思わせる物でした。
もちろん、これは早雲だけではなく、2代目・氏綱、3代目・氏康・・・と北条家代々でによって城の整備が継承されてきた結果でもあります。
以前もどこかで、書かせていただきましたが、あの武田信玄も、越後の虎と呼ばれた上杉謙信も、この城を落せなかったわけですから・・・。
北条側にとって、たとえ例の防御ラインを破られたとしても、この小田原城があれば大丈夫・・・そう思っていた事も確かでしょう。
そんな小田原城の外郭土塁には、城外に通じる出入り口が9つありましたが、もちろん北条勢も、その場所には、これは・・・と思う重臣を配置し、守りを固めています。
天下の名城を相手にする秀吉は、これまた天下に聞こえた城攻めの名人・・・さすがに心得たもので、はなから長期戦を視野に入れての包囲作戦です。
配下の九鬼水軍はもちろんの事、毛利の水軍の支援も得ながら、海上を封鎖して兵糧を断つ一方で、長期の対陣に必要な対の城を構築します。
これが有名な『石垣山一夜城』です。
小田原城を見下ろす事のできる山の上に、一夜にして城を築く・・・伝説によれば、山の中に木組みを造り、そこに紙を貼って白壁に見せかけた張りぼての城だったと言われていますが、どうやら、それは、この城がいかに北条にとって脅威であったかを表現するあまりの誇張とも言えるもので、実際には、意外に広大な敷地を持つ本格的な城であった事がわかっています。
なんせ、この石垣山は、それまで、菅笠(すげがさ)を懸けたような形であった事から笠懸山、あるいは松が生い茂っていた事から松山と呼ばれていたのが、秀吉が城を築き、その石垣ができた事で、石垣山と呼ばれるようになったのですから・・・。
そんな石垣山城については、その城が、おそらく完成したであろう6月26日のページをご覧いただくとして・・・(6月26日のブログへ>>)
いよいよ持久戦を覚悟した小田原城包囲のお話ですが、この時に秀吉は、あの有名な『奥さんへの手紙』を書いています(9月6日参照>>)。
「お前の次ぎに好きな淀を呼びたいんやけど・・・」
と、手紙の中で妻・ねねさんに、小田原に淀殿を来させるダンドリを組んでくれるように頼んでいるのです。
もちろん、自分だけではありません。
家臣たちにも、妻や愛人を呼ぶ事を許し、さらに、茶会を開いたり、独身の若手には地元の踊り子を呼んだりといった余裕を見せます。
一方、囲まれた北条にも長期戦覚悟の余裕が見えています。
『北条五代記』によると・・・
昼は囲碁を打ったり双六をやったり、あるいは詩歌や連歌に興じる静かなグループもあるかと思えば、笛や太鼓を打ち鳴らして狂喜乱舞するグループもあり、
「こんなんやったら、一生退屈せぇへんなぁ」
なんて事言う者もいたのだとか・・・。
しかも、先に書いたように、小田原は町ごと城郭の中に納まっていますから、その中で市なども立ち、お米の売り買いなども通常通り行われていたようで、一般市民もお城の中でも、飢える事はなかったようです。
しかし、秀吉の兵糧攻めは確実に行われています。
先の、海上の補給路を断った後には、伊勢などの米を買占め、東海道の補給路も断っています。
しかも、例の、別働隊による関東各地の支城攻めも進行中ですし、小田原城内の諸将への寝返りを促す事も忘れていません。
実際の、小田原城包囲とは別の、見えない包囲は、徐々に・・・そして、確実に狭められていくのです。
そして、ついに・・・おっと、この先は…
★小田原征伐の関連ページ↓からどうぞm(_ _)m
●5月29日:館林城・攻防戦>>
● 6月 5日:伊達政宗の小田原参陣>>
●6月14日:鉢形城開城>>
●6月16日:忍城攻防戦>>
●6月23日:八王子城陥落>>
●6月26日:石垣山城一夜城完成>>
●7月5日:小田原城開城>>
●7月13日:小田原攻め論功行賞>>
●小田原城攻めオモシロ逸話>>
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コメント
どうもw
もしや、今日は。。。なんて思いつつ、来てみたらビンゴですね!!
小田原キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!!!!
たまらん!!(ちょぃ。
この戦いは中々好きですww
本当に毎日が勉強になります!!!!
更新、これからも頑張ってくださいね!!!
投稿: 石保志 鈴 | 2008年4月 3日 (木) 19時11分
石保志 鈴 さま、コメントありがとうございます。
そうですかぁ・・・予想ピッタリ!
何だかうれしいです
この後は、文中に出てきた石垣城の事や、まだブログに書いていなかった忍城の事なんかを書いていきたいと思っていますので、またヒマな時に見に来てくださいね。
投稿: 茶々 | 2008年4月 3日 (木) 21時47分
石垣山城が…張りぼての城云々てのは、色んな歴史小説やら歴史刷子の類に出てきますね。一夜城と言われたのは正に張りぼての城で小田原城の北条方に豊臣方の力を見せ付ける必要から、あたかも一夜で城を建てた様に見せ掛ける為、山林の中に主要な骨組みのみを最初に作り、それに紙を張り、小田原城から見える位置の山林を伐採したようですね、そうしておいてから紙の内側から本当の壁を付けていったり、小田原城から見えにくいような部分は後々仕上げていったみたいな事を多くの資料が取り上げてます。博学の貴女の事ですから、当然ご承知の事でしょうね。
投稿: マー君 | 2008年4月 4日 (金) 01時50分
マー君さん、こんばんは~
張りぼてのお話は『関八州古戦録』に出てくるお話ですね。
そのお話も含めて、石垣山城については6月26日に書かせていただこうと思っています。
それは、徳川家康・配下で小田原包囲に参加していた松平家忠の日記に、その日に石垣山城が完成した事が書かれているからで、ブログには、一応、その日付に合わせてupしたいと思っていますので、よろしくお願いします。
投稿: 茶々 | 2008年4月 4日 (金) 03時04分
徳川勢 酒井 榊原 井伊(井伊は正しくないかも覚えてないです)
水軍 長宗我部 毛利 脇坂
もいたらしいです。
そこまで書くなら書いてあげてください。
投稿: YamatoWarrior | 2014年8月31日 (日) 09時46分
YamatoWarriorさん、こんにちは~
>そこまで書くなら…
というのは、本文の内容の事でしょうか?
それとも、文中にある「布陣図」の事でしょうか?
本文の内容に関しては、1つのページに、膨大な数の古文書にある逸話を、すべて事細かく書く事は不可能ですので、また別のページ、それぞれの日付でおいおい書かせていただくというのがこのブログの手法となっております。
また、ご存じの逸話が登場するかしないかは、管理人の気まぐれでもありますので、そこンとこはご理解いただければ幸いです。
図に関しては、本文にも書かせていただいている通り、あくまで位置関係をわかりやすくする物で、正確かどうかと言うと、描ける範囲にも限りがありますし、「あくまで趣味の範囲で…」という事でご理解ください。
また、例にあげておられる「酒井 榊原 井伊」などは、家康の「一ノ先備七手」に属するグループなので、「布陣図」ではなく「陣立図」の範囲に収められる方々ではないかと思うのですが…
この時の家康の陣立図は、本文にもリンクを貼りました【陣形と陣立のお話】のページ>>でご紹介しておりますので、また、ご覧いただけるとありがたいです。
投稿: 茶々 | 2014年8月31日 (日) 15時00分
そうそう布陣図のことです~
馬鹿なりに意見を言ってみたんですが、いろいろ欠けててすいません。
個人的な意見ですが、陣立の部分でも可能な限りは書いたほうがわかりやすいと思います・・・。
なるほど、納得ですっ!説明ありがとうございました!
投稿: YamatoWarrior | 2014年9月 1日 (月) 23時19分
YamatoWarriorさん、こんばんは~
なくべく、皆さまにわかりやすいよう、心がけたいと思います。
ありがとうございます。
投稿: 茶々 | 2014年9月 2日 (火) 01時04分