遠島・入墨・百タタキ~江戸の刑罰イロイロ
文化元年(1804年)5月17日、喜多川歌麿が描いた『太閤五女花見之図』が、幕府の禁忌に触れるとして、「手鎖50日の刑」に処せられたのだそうです。
・・・・・・・・・・・
いったい何が禁忌に触れたんでしょうかね?
題材が豊臣秀吉の醍醐の花見だったというところがいけなかったんでしょうか?
それとも、春画っぽい感じだったんでしょうか?
小耳に挟んだ情報によれば、どうやら秀吉時代になぞらえて、実は、徳川時代の大奥を風刺した絵だったという事ですが・・・どんな絵だったか見てみたいですね~
(ネット上にあるのならお知らせください)
ところで、この「手鎖50日の刑」というのは、鎖で、どこかにつながれているわけではなく、ひょうたんのような形をした鎖・・・つまり手錠のような物をはめて50日間、自宅で謹慎するという刑です。
時代劇で見たところ木でできてるような雰囲気だし、錠の確認も2日一回だし・・・「けっこう自由に動けるやん!」と思ってしまいましたが、当の歌麿さんは、かなりショックだったようで、この事が原因で3年後に亡くなった・・・なんて話もあるようです。
ひょっとしたら、この手錠がバーベルのようにメッチャ重かったのかも・・・身動きできないくらい。
それだとやっぱ、ツライっすね。
しかし、江戸時代にあった様々な刑の中では、やっぱり、この「手鎖」というのが一番軽い・・・って事で、今日は、江戸時代の様々な刑罰についてお話させていただきます。
・・・・・・・・・
以前、『十両盗めば首が飛ぶ』(12月3日参照>>)というのも書かせていただきましたが、これは「死罪」という刑・・・とりあえず、重い順に並べてみますと・・・
- 磔(はりつけ)
親を殺害・主人への傷害など・・・ - 獄門(ごくもん=さらし首)
関所やぶり・毒薬販売・秤の偽造・枡の偽造・主人の奥さんとの不倫など・・・(ちと重すぎる気が・・・) - 火罪(ひあぶり)
放火など・・・(目には目を・・・) - 死罪
十両以上の窃盗・他人の夫及び妻との不倫など・・・
・・・と、ここまでが死刑です。
他にも、鋸挽(のこぎりびき)なんて、書くのも恐ろしい物もあります。
この中で、死罪のみが、小伝馬町の牢屋敷内で刑が執行され、それより重い死刑は、江戸市中引き回しのうえ、小塚原か鈴ヶ森で執行されました。
続いて・・・
- 遠島
寺持ちの坊さんが女性とナニをする・過失による殺人など・・・ - 重追放
イロイロごまかして関所を通ろうとするなど・・・(町を出たかった場合はラッキーだ) - 中追放
主人の娘と密通など・・・(普通やん!) - 軽追放
婚約中の女性を奪う・百姓や町人が帯刀するなど・・・ - 入墨
一度、敲を受けた者が、再び軽い罪を犯した場合など・・・ - 敲(たたき)
軽い罪・風呂屋での下着泥棒など・・・(これはイカン!) - 手鎖
未亡人との密通など・・・(ボランティアの場合もあると思うが・・・)
・・・と、なりますが、歌麿の他にも、絵描きや劇作家などが、けっこうたくさん手鎖の刑に処せられています。
・・・で、もう少しくわしく・・・
遠島・・・というのは、江戸以前では、必ずしも島ではありませんでした。
在原業平(ありわらのなりひら)が東国へ行ったのも、菅原道真の大宰府も(1月25日参照>>)、ある意味、左遷という名の遠島でしたし、この時代には朝廷による生活の保障もあり、まじめに努めれば戻る事もできました。
あの源頼朝も伊豆に流されていますが、ちゃんと屋敷も貰って生活を営んでいましたし、なんと言っても、見張り役があの北条政子のオヤジさんですから・・・娘に手を出す余裕まであったって事になりますからね~(8月17日参照>>)。
しかし、江戸時代の遠島は、まったく違います。
住むところから食糧まで、全部自分で確保しなければなりませんし、特別な恩赦がない限りは、基本、終身刑でした。
知識があって物書きができたり、医学の心得があったりなんかした人は、ちょっとは、まともな暮らしができましたが、多くの人は、餓死したり、生きる意欲を無くしたり・・・で、よく時代劇で見る「島ぬけ」なんかを企てたりするわけですが、ほとんどが溺死しまう事になります。
江戸の頃は、ある意味「死刑より、遠島のほうが重い」なんて事も言われていたそうです。
次に、やはり時代劇でよく目にする入墨・・・
これにも、様々な種類がありました。
腕の入墨イロイロ:紀州・・いかにもワルそうやなぁ・・・
上記の腕に入る入墨以外にも、地方には、額に彫られるものもあったそうで、安芸(広島)のなんか、初犯→再犯・・・で、三犯めは「犬」という文字になるそうですが、コレって・・・明らかに3回目に2画書かれてますが、誰も文句は言えなかったんでしょうか・・・。
肥前=三つ目がとおる・・・
この入墨(いれずみ)は、いわゆるオシャレで入れる刺青(いれずみ)と違って、犯罪者に苦痛を与える目的がありましたから、刺青よりは、はるかに太い針で、ガッツーンと彫られるそうで、かなり痛い・・・炎などで、焼き消そうとすれば焼き消せなくもありませんが、それにもやはり苦痛をともなう上、もし、バレたら更なる重い刑が待ってますからね~。
・・・なら、まわりに、オシャレ刺青を入れて目立たなくするのは?・・・と、これも幕府はちゃんと手を打ってました。
彫師業界へ通達を出していて、入墨部分を残して刺青を掘る条件でしか、商売をしてはいけない事になっていたようです。
最後に、敲刑・・・
これは、ワラをきつくよって巻いた直系一寸(3cm)くらいのムチのような物で、腹ばいの姿勢になって、肩や背中・お尻などを叩かれます。
50回叩かれるのが普通の敲刑、100回叩かれるのが重敲(じゅうたたき)と呼ばれましたが、絶対に叩く数はオマケしてくれません。
ただし、この敲刑の重要な部分は、まわりにいる大勢の見物人に「悪いことをするとこうなるよ」と教える事と、大勢の目の前で叩かれる事で恥ずかしい思いをさせる事にありましたから、叩く数はごまかしてくれませんが、リアクションしだいでは、かなり、叩き方をオマケしてくれたようです。
痛がれば痛がるほど、叩き方はゆるくなるのだそうで、意地はって我慢してると、どんどん強く叩かれるのだとか・・・
50回・100回となると、叩くほうもしんどいですから・・・
ちなみに、50回の場合は一気に、100回の場合は、途中で休憩が入るそうです。
やっぱり、しんどいのねん。
以上、今日は江戸時代の刑罰について書かせていただきました。
●江戸時代の大阪の市中引き回しのコースを歩いた体験談は2010年12月17日のページへ>>
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コメント
こんにちは~
時代劇で刺青された腕は見たことありますが、
額もあったんですね~。
腕もイヤですが、額はもっとイヤですね~。
ぜったいされたくない~^^;
以前お邪魔したことのある古~い家は、
代々名主さんとかの家だったらしいのですが、
2階に「江戸処払い」になった人達が寝起きしていた部屋がありました。
処払いっていっても監視しなくちゃいけなかったらしいです。
薄暗い場所だったので、見学はご遠慮しましたが、
見ておいたほうが勉強になったかもですね^^;
投稿: ルンちゃん | 2008年5月17日 (土) 12時50分
ルンちゃんさんこんにちは~
>処払いっていっても監視しなくちゃいけなかったらしいです
そうなんですか?
保護観察処分ってヤツですね。。。
旅行気分でホイホイするわけにはいかなかったんですね・・・当たり前ですが・・・
投稿: 茶々 | 2008年5月17日 (土) 17時28分
犬・・・・(爆
犬はいやだなぁwww
これは抑止効果ありそうですよネェwww
しかも字が上手な人が書くならいいけど、へたくそな人が書いたらめっちゃ恥ずかしいですよねぇ。
さて、小伝馬町の牢屋敷といえば思い出すのが藤沢周平の「獄医 立花登手控え」シリーズ。
この作者には珍しいラブコメで大好きです(^^)
罪は昔の方が容赦なかったところもあるし、人情みのある審判もあったし、
冤罪も多かったでしょうね。
もし今も刺青制があったら・・・・
自分やくざだわ(笑)
投稿: 味のり | 2008年5月17日 (土) 23時20分
味のりさん、こんばんは~
私も・・・やっぱ「犬」はキツイです~
「婚約者のいる女性を奪う」なんざ、ドラマではイケメンの役どころですが、そこに「犬」って書いてあったら、やっぱ冷めますもんね。。。
文字は「犬」でも、効果は「大」だったでしょうね(笑)
投稿: 茶々 | 2008年5月17日 (土) 23時52分
叩きの刑罰…現在の幼児虐待の親とかイジメ事件の犯人に適用してほしいです。しかも幼児虐待犯などは、幼児が味わった恐怖と絶望を考えたら、即座に死刑ってんじゃなく死ぬまで毎日フラフラになるまで叩きのめして、食事も与えず苦しみ抜かせて地獄に落としてやりたいです。幼児虐待犯を取り上げましたが、ストーカー犯やら大量殺人犯などの極悪犯などには、江戸時代のような厳しい処罰を望みたいです。昨今では加害者の人権擁護が叫ばれ、罪の重大性・残虐性に比して刑罰が軽いようなので、今こそ昔みたいな火あぶりとか水責めとか石抱きなんて刑罰を復活させて、オウム事件の犯人達、山口県光市の本村さん親子暴行殺人犯・秋田県の連続児童殺害犯・和歌山の毒入りカレー事件の林真澄なんかに、どんどん適用してほしいです。
投稿: マー君 | 2008年5月18日 (日) 17時25分
マー君さん、こんばんは~
最近の犯罪にかなりお怒りのようで・・・。
確かに、私も、被害者と加害者の人権の扱いが同等ではないように思います。
叩きより、やっぱ「犬」でしょ。
ジワリジワリと一生ついてまわりますから・・・
投稿: 茶々 | 2008年5月18日 (日) 21時24分
今日のテレビ番組(日本史サスペンス劇場)で刺青のことやってましたね~~(笑)
娘と「ああ!これは!!」って見てました。
まさかこんなところで予習ができたとはwww
これからも面白い情報待ってます。
がんばってくださいね~(^^)
投稿: 味のり | 2008年5月21日 (水) 23時05分
味のりさん、こんばんは~
やってましたね・・・犬・・・
でも、やっぱり番組内でも、「なんで?3犯めだけ2画書くねん!」というところはスルーでした。
ワタクシ的には、そこを突っ込まないと・・・無視しては通れないんですが・・・
今週の加トちゃんは一休さんでしたね。
投稿: 茶々 | 2008年5月22日 (木) 01時38分
いや~最近、中国の刑罰や拷問に関する資料ばかり読んでいたので、江戸の刑罰の生ぬるさ?甘さにほのぼの(といっては変ですが)としてしまいました。
中国だとつまらない理由で、性器切断とか、四肢切断とかとてつもなかったので;
投稿: みゅう | 2010年12月21日 (火) 23時58分
みゅうさん、こんばんは~
ホントですね~
お国がらなのか…中国のは怖くて書けません゚゚(´O`)°゚
投稿: 茶々 | 2010年12月22日 (水) 01時44分
私、ジュンク堂書店で「刑罰の歴史」という本を読みました(買ってません)。日本編と海外編とがありますが、日本編にはこんな記述が。奈良で鹿を死なせた(数え)16の少年が石打の刑に処された…と。その後、母と奈良に行った時奈良公園を歩いたら、〈偶然に〉その場所を発見しました。立て看板があって、柵越しにですが、見る事が出来ます。
投稿: クオ・ヴァディス | 2015年5月 7日 (木) 21時18分
クオ・ヴァディスさん、こんばんは~
奈良の人は早起きです。
朝起きて、家の前で鹿が死んでると捕まるので、朝1番に起きて点検して、もし、自分の家の前で鹿が死んでたら、隣の家の前に運ばなアカンので早起きするんや…
と、生まれも育ちも奈良の義兄が言うてました。
ほんまかいな?
投稿: 茶々 | 2015年5月 8日 (金) 01時59分
これですかね
太閤五妻洛東遊観之図
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/314319
投稿: | 2019年8月29日 (木) 15時18分
ありがとうございます。
…かも知れませんね。
秀吉の花見の絵に見せながら徳川時代を風刺しているのかも…です。
投稿: 茶々 | 2019年8月31日 (土) 02時14分