在原業平~伊勢物語に見る藤原氏への抵抗
元慶四年(880)5月28日、六歌仙・三十六歌仙の一人で平安一のモテ男・在原業平が56歳でこの世を去りました。
・・・・・・・・・・・
むかし男ありけり・・・で始まる『伊勢物語』
男は、ある女と恋仲になり、毎夜、彼女のもとへ通っておりました。
しかし、ある時、男がいつものように彼女の家に行くと、彼女の姿がありません。
実は、彼女は、高貴なお方のもとへと嫁ぐ事か決まり、その準備のため親戚の家へと、移っていたのです。
会えなくなってしまった二人・・・。
男は、何とか、かの家へ忍び込み、「このまま、一緒に逃げよう!」と誘います。
もちろん、彼女の返事も「OK!」。
そして、彼女を連れて逃げる途中、芥川という川まで来ると、突然の雷雨に見舞われ、近くにあった倉で、雨をしのぐ事にします。
彼女は、倉の中で休み、男は戸口に立って弓を構え、怪しい者が近づかないよう見張ります。
しかし、この倉の中には鬼が住んでいたのです。
鬼に襲われた彼女は、悲鳴をあげて男を呼びますが、轟く雷鳴にかき消されて、戸口にいる男には聞こえません。
夜が開け、雨もあがったので、「さぁ、再び出かけよう」と、男は倉の中に彼女を迎えに入りますが、すでに彼女の姿はありませんでした。
鬼に食べられてしまっていたのです。
これは、『伊勢物語』(全百二十五段)の第六段・芥河のお話・・・
この男というのが、在原業平(ありわらのなりひら)です。
彼は、この伊勢物語の中で、会う女、会う女、すべてに、
「僕が、ずっと探していたのは、あなただ!」
なんて、甘い言葉をのたまい、次々とモノにしていく女大スキ男です。
なんと、その数、3733人!(←数えたんかい!)
あの小野小町(3月18日参照>>)でさえ落としたという噂のあるツワモノです。
ただし、彼を町でひと目見ただけで恋に落ち、そのままこがれ死にしてしまう女性もいるくらいの超イケメンでもあります。
しかも、亡くなった彼女に・・・
♪ゆくほたる 雲の上まで いぬべくは
秋風吹くと 雁につげこせ♪
「蛍よ・・・雲の上まで飛べるなら、そろそろ秋風が吹いていると、雁(雁は死者の霊を運ぶとされていたので・・・)に伝えてよ」
なんて、歌も詠んであげるアフターサービスも・・・そら、モテるわな。
彼の、華麗なる女遍歴を描いたこの伊勢物語は、あの源氏物語にも影響を与えたと言われる恋物語の傑作・・・その中の逸話には、事実とされる物と、後の誰かが付け加えたフィクションとが入り混じっているようですが、スケベ男のただの恋愛話ではなく、そこには、藤原氏という大きな権力によって、エリートコースからはじき出された皇子の、ささやかなる抵抗が見え隠れするのです。
・・・・・・・
業平は、第51代・平城天皇の孫という由緒正しき家柄・・・世が世なら、何の苦労もなく、平穏無事な暮らしをしていたのでしょうが、平城天皇が皇位を弟の嵯峨天皇に譲った後に、揉め事が起こってしまいます。
例の藤原薬子の乱です。(9月11日参照>>)
この乱に失敗した平城天皇は出家し、息子の阿保(あぼ)親王(つまり、業平のお父さん)は大宰府に左遷され、業平が18歳の時に、悲運のまま亡くなります。
当然、業平もエリートの道から外れる事になります。
しかし、やがて、嵯峨天皇の孫である第55代・文徳天皇が皇位につき、業平にも少し希望の光が見えはじめます。
文徳天皇の長男・惟喬(これたか)親王・・・実は、業平は、この惟喬に仕えていて、それも、かなりの信頼関係にあった事で、この親王が皇太子となり、やがて天皇になってくれれば、業平にも出世の道が開けるはずです。
しかも、文徳天皇は、文武に秀でた惟喬親王をたいへん可愛がり、ほぼ皇太子の座は決まったも同然でした。
ところが、ここに来て大どんでん返しが訪れます。
あの第45代・聖武天皇の時に外戚(天皇の母方の祖父)をゲットして以来、権力を握りたいがために、次から次へと天皇への娘送り込み作戦を続けていた藤原氏・・・っで、時の藤原氏の筆頭・藤原良房(よしふさ)も、自分の娘・明子(あきらこ)を文徳天皇のもとへ送り込んでいたのですが、この明子が男の子・惟仁親王(後の清和天皇)を出産すると、わずか生後8ヶ月で、この惟仁親王を皇太子にしてしまうのです。
悲痛の惟喬親王は、山中に籠ってしまいます。
まだ、飽き足らない良房は、さらに、その第56代・清和天皇にも、藤原家の娘を嫁がせようとします。
それが、姪の高子という女性・・・実は、この高子が、冒頭の伊勢物語に登場した高貴なお方のもとに嫁ぐ彼女です。
つまり、業平は天皇の女御(にょうご)となる女性を奪って逃げたわけです。
もちろん、倉の中の鬼は、本当の鬼ではなく、良房の事・・・彼女は鬼に食べられたのではなく、藤原氏の追手によって、連れ戻されたのです。
そして、伊勢物語の終盤、第百二十四段・我ひとしき人で、満開の藤の花を愛でながらの酒宴の席で、歌人としても有名な業平は、「藤の花にちなんで、藤原家の繁栄を歌に詠んでくれ」とせがまれます。
彼がどのような歌を詠むのか?人々が固唾を呑んで見守る中・・・
♪思ふこと いはでぞただに やみぬべき
われとひとしき 人しなければ♪
「思った事はそのまま口にしないほうがいい、自分と同じ考えの者など、この世にいないのだから・・・」
周囲がざわつく中、彼はその場を立ち去ります。
阿保親王と業平の住まいだった不退寺(奈良市)
不退寺への行き方はHPでどうぞ>>
最後に、伊勢物語は、第百二十五段・つひにゆく道で、この男(業平)の最後の歌を載せ、物語を終らせます。
♪つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど
きのふけふとは 思はざりしを♪
「最後には誰もが行く(死への)道だとは聞いていたが、それが昨日今日というくらい身近に迫っているとは思わなかった」
若き日の姫の略奪、晩年の酒宴の歌・・・これらは、藤原氏という大きな権力に対する業平のささやかな抵抗だったのかも知れません。
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コメント
こんにちは。
イケメンのお話。
思わず読み入ってしまいました。
面白いです。
彼のお話・・よく目にしますが
なかなか情熱的ですが、
彼は、連れ戻されなかったら人生が変わっていたんでしょうか?
投稿: デナリ | 2008年6月23日 (月) 10時31分
デナリ様、こんにちは~コメントありがとうございます。
>彼は、連れ戻されなかったら人生が変わっていたんでしょうか?
どうでしょうね・・・ふたりとも、かなりのお坊ちゃんとお嬢様ですからね~
権力の及ばないところで、自力で生きていくのは難しいかも・・・
業平にとっても、駆け落ちというよりは、ちょっとした家出感覚だったのかも知れません。
彼女を奪って一生ともに暮らそうとしていたというよりは、「天皇の奥さんとなる女を、この女たらしの俺が先に食っちゃったゾ!」的な感じで、良房に恥をかかせるのが、一番の目的だったようにも思います。
投稿: 茶々 | 2008年6月23日 (月) 12時50分
在原業平カッコいいですね!
数日前、国語の授業で芥河を現代語訳しました。
一話だけ読むと全然、3000人と付き合った人に思えないのが不思議です。
亡くなって1000年経っても自分の恋バナが語られているっていうのは、どのような気持ちなのでしょうか(*^m^)
誇らしく思っているのか、はたまた恥ずかしく思っているのか……
気になります。(笑)
投稿: ティッキー | 2012年1月28日 (土) 13時30分
ティッキーさん、こんにちは~
語られる本人としては、どうなんでしょうね?
でも、悪く書かれるよりは、「モテモテのイケメン」なんですから、やっぱ誇らしいんじゃないでしょうか。(笑)
投稿: 茶々 | 2012年1月28日 (土) 15時23分