佐々成政・黒百合事件と呪いの黒百合伝説
天正十六年(1588年)5月14日、肥後(熊本県)で起きた一揆の責任を問われ、佐々成政が切腹しました。
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もともと、織田家の直参だった越中(富山)の佐々成政(さっさなりまさ)。
織田信長が本能寺の変で亡くなった後、その後継者を巡って、三法師(信長の孫)を担いだ羽柴(豊臣)秀吉が、神戸信孝(信長の三男)を担いだ柴田勝家と対立した時には、彼は、ともに信長の命で北陸方面の平定(6月3日参照>>)に力を注いでいた勝家側に賛同します。
しかし、その対立のクライマックスである賤ヶ岳合戦(4月21日参照>>)の時には、成政は越後(新潟県)の上杉景勝と一触即発の状態であったため越中から動けず、合戦に参加しなかったおかげで、勝家の敗死後も、越中一国を安堵される事となります。
やがて、天正十二年(1584年)、今度は織田信雄(信長の次男)と組んだ徳川家康と秀吉との対立により、小牧・長久手の戦いが始まります。
最初は、越中を安堵された事もあって、秀吉側についていた成政でしたが、3月の小牧の戦い(3月17日参照>>)が、信雄+家康側の勝利に終ったのを見て、ちゃっかり、家康側へと寝返り、その年の8月には、秀吉側の前田利家を相手に、北陸版・長久手の戦いとも言える末森城攻防戦(8月28日参照>>)もやらかしています。
ところが、その3ヶ月後の11月に、秀吉に丸め込まれた信雄が、単独で講和をしてしまい(11月16日参照>>)、信長の後継者争いの大義名分を無くした家康も、兵を退くしかなく、一連の小牧・長久手の戦いが終焉に向かうのです。
成政としては「ちょっと待ったぁ~」と言いたくもなります。
そんな事になったら、東はもともと敵対関係にある越後の上杉、西は、こないだ戦った加賀(石川県)の前田、南は日本の屋根と言われる飛騨・木曽・赤石の山脈に囲まれた越中が、孤立状態になってしまうじゃあ~りませんか!
・・・で、成政は、家康を説得するため、決死の冬季アルプスさらさら越え(11月11日参照>>)という離れ業をやってのけるのですが、その努力空しく、小牧・長久手の戦いは終結してしまいます。
案の定、その翌年、秀吉の大軍に囲まれた成政の居城・富山城・・・力の差を歴然と感じた成政は、頭を丸め、死を覚悟しての降伏を申し出ました(8月29日参照>>)。
「もはや、終わりか・・・」と、思いきや、富山の大部分は取り上げられたものの、新川(富山市)の一郡は残され、おまけに秀吉のお伽衆(主君の話し相手をする側近)となる事が許されたのです。
しかも、その二年後、天正十四年~十五年(1586年~1587年)の九州征伐に参加した事で、肥後五十万石を与えられ、見事、大名に返り咲きます。
これは、秀吉お得意の計算しつくした敵の支配の仕方・・・敵を根こそぎぶっ潰すのではなく、生きる道を与え、支配下に取り込むやり方です。
「あとが無い」と思えば、無我夢中で突っ込んで来る敵も、出方次第では、そのまま、秀吉の支配下で安堵されるとわかれば、いざ、敵対した時に、相手は容易に降伏し、労せず勝つ事ができるからです。
しかし、秀吉お得意と書きましたが、実は、このやり方は、奥さんの北政所=ねねさんのやり方です。
彼女は、なかなか子供ができないというハンディの中、加藤清正や福島正則といった子飼いの家臣を、この方法で取り込み、育てて味方につけ、次々と側室となるいいところのお嬢様を相手に、正室の座=女のトップの座を守り抜いていたのです。
誰を取り込み、誰を取り込まないかの判断に、ねねの意見が反映されていた事は、誰もが感じるところでした。
もちろん、成政も、「自分への圧遇は、ねねさんのおかげ」と思い、ある時、感謝の意を込めて、越中・立山に自生する黒百合を一輪取り寄せ、彼女に献上したのです。
「まぁ・・・うれしい。こんな美しい花は見た事が無いわ!」
「立山の奥深くにしか、咲かない花でございます」
「めずらしい物をありがとう。早速、この花を愛でながら茶会を開きましょう」
と、ねねは大喜びです。
ただ、これには、当然、居並ぶ側室たちに、その花を自慢したいという下心もありました。
特に、信長の妹・お市の方の娘という、最強の血筋を持つ気の強~いお嬢様・茶々(後の淀殿)には、一泡吹かせてやりたい気分満々です。
「茶々殿は、黒百合をご覧になった事があって?」
「いいえ、初めてざぁ~ますワ」
「めずらしい花ざぁ~ますのよ」
「まぁ、それじゃ、その美しさを、しっかり目に焼き付けておかねばなりませんわねぇ・・・ホホホ・・・」
「そうですわ・・・ホホホ・・・」
と、笑みを浮かべながらも、腹わたが煮えくり返る思いの茶々・・・してやったりのねね・・・。
そして、数日後、今度は、茶々が花供養というイベントを催すと言って、ねねを招待します。
「花供養・・・って何?」
と、思いながらも、その場所へ行ってみると・・・
何と!部屋一面に置かれた手桶の中に、あの黒百合が・・・しかも、雑草と混ぜて、いかにも安物っぽく並べられているではありませんか!
それは、先日の茶会でくやしい思いをした茶々が、ありとあらゆる手を使って、別ルートで白山から運ばせた黒百合だったのです・・・もちろん、ねねに見せつけるために・・・。
「なんじゃ!あの成政のアホ・・・何がめずらしい花や!いっぱいあるやんけ!恥かかされたわ!」
と、ねねの怒りは、成政へと向けられたのです。
あわれ、成政は、天正十六年(1588年)5月14日、切腹をさせられるハメに・・・。
・・・と言いますが、これはあくまで逸話・・・
ウワサの域を出ない物で、実際の原因は、冒頭に書いたように、与えられた肥後一国を、うまく統治しきれず、国人や地元民の反感をかい、一揆を起させてしまった事にある(7月10日参照>>)というのがホントにところのようです。
・・・と、ここまでは、ドラマなどでも描かれる、わりと有名な佐々成政の黒百合事件ですが、実は、これにはウラ話があります。
それは、富山の昔話として地元に伝わるオドロオドロすた『黒百合物語』というお話・・・
成政が、例のさらさら越えをして家康に会いに行き、富山城を留守にしていた時・・・当時、成政が一番気に入っていた早百合という女性が、家臣の一人とデキちゃったというウワサが城内を駆け巡ります。
もちろん、城に戻って、その話を耳にした成政は、怒り爆発です。
当然の事ながら、早百合も男も、「そんな事はありません」と否定しますが、もはや、城内のウワサになってしまった以上、実際に関係があったか無かったかに関わらず、処罰する事に決定する成政・・・
結局、ふたりは斬首される事に・・・
そして、最後に早百合は・・・
「お怨み申しあげます・・・この三年ののち、立山に黒い百合が咲いた時、佐々家は滅びる事でしょう」
と、怨みの言葉を吐いて死んでいったのです。
はたして、今回の成政の切腹は、本当に早百合の怨みが引き起こしたのか?
・・・地元・富山では、佐々家は黒百合のために滅んだと伝えられていますが、切腹という成政への厳しい処分に、黒百合事件でのねねさんの怒りが込められていたのだとしたら、まさに、彼は黒百合で滅んだ事になります。
まぁ、私なら、早百合さんが死ぬ時に、そう言って死んだのに、その後、上司の嫁に黒百合をプレゼントする・・・なんて、大胆な事はできませんが・・・
ねね・・・茶々・・・早百合・・・いずれにしても、女の怨みは恐ろしい・・・って事ですね。
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コメント
成政の切腹に到るまでのお話ってホント多いですよね~
呪いだとか、女の恨みだとか、秀吉の謀略だの云々。
早百合伝説については、
江戸時代に越中をうまく治めようとした加賀藩が
成政を貶めるために流したデマだって聞いたことがあります。
利家やるな…って感じですよね
投稿: sho2ro | 2010年4月22日 (木) 02時42分
sho2roさん、こんにちは~
富山では、今も佐々成政はヒーローですからね~
後を引き継いだ前田家も、加賀と違って、イロイロと大変だったかも知れません。
投稿: 茶々 | 2010年4月22日 (木) 10時45分
佐々成政の姉の子孫で、佐々淳行氏(浅間山荘事件で対応に当たった元刑事)が「私の母は嫁いできた時に、祖母から『当家では百合の花は禁止です。』と言われたことを教えてくれた。」と以前言っていました。
投稿: クオ・ヴァディス | 2015年5月16日 (土) 16時30分
クオ・ヴァディスさん、こんにちは~
真偽はともかく、今現在まで伝えられている伝説ですから、当事者のお家でも代々伝えられているのかも知れませんね。
投稿: 茶々 | 2015年5月16日 (土) 16時47分
この伝説のせいか、黒百合の花言葉の一つは、なんと「呪い」です。もう一つは「恋」です。またまたまた登場(抱腹絶倒)うちの母が、♪黒百合は恋の花~愛する人に捧げましょう~♪と「黒百合の花」を歌います(因みに、この歌は昭和27.8年頃、織井茂子さんが歌っています)。アイヌの人々には、貴重な食糧であり恋を実らせる花だそうで、思いを寄せる相手の家の庭にこの花を植えると、思いが通じて恋が実るとか。随分と両極端な謂われを持つ花ですね~(黒百合にはいい迷惑だ…)。
投稿: クオ・ヴァディス | 2015年5月21日 (木) 21時27分
クオ・ヴァディスさん、こんばんは~
>随分と両極端な謂われを持つ花…
ですね~(*^-^)
2番の歌詞では
♪黒百合は毒の花~アイヌの神のタブーだよ♪
ですからね~
それにしても声量が無いと歌えない難しい歌です。
投稿: 茶々 | 2015年5月22日 (金) 02時50分