本邦初?大江戸・堕胎業禁止令
寛文七年(1667年)5月2日、江戸幕府より『堕胎業禁止令』が発令されました。
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今日のお話は、以前の・・・
【女歌舞伎の禁止令】(10月23日参照>>)、
【イモリの黒焼き】(5月1日参照>>)に続く、
「教科書に絶対載らないシリーズ」の下ネタです。
下ネタのお嫌いなかた・・・なるべく、やんわりとした表現に致しますので、これも歴史の一面である事をお察しいただいき、どうか、お許しを・・・。
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寛文七年(1667年)と言えば、あの関ヶ原の合戦から約半世紀。
参勤交代の制度も確立し、鎖国も完成し・・・10年前には、明暦の大火=振袖火事(1月18日参照>>)なんてのもありましたが、それによって大改造を加えられた江戸の町は、逆に世界一の大都市となって、経済発展にも拍車がかかり、町民はどんどん豊かになっていきます。
もちろん、昔のように戦乱もありません。
人間、おおむね平和な日々が確保されるとなると、スケベごごろが芽生えてくるのは、いつの時代も変りのない事でございます。
もう、恥ずかしくなるくらいですが、とにかく、この時代の江戸の町では不倫が大流行!
そうなると、当然のごとく増える中絶を望む人々・・・次から次へと後を絶たない中絶に、業を煮やした幕府が、とうとう寛文七年(1667年)5月2日、『堕胎業禁止令』を発令したのです。
禁止!となったら、「不倫をやめる」と思いきや、懲りないですね~。
代わって大流行したのが、数々の避妊法←そっちかい!って感じもしないではありません。
本来は、根本的なところを何とかしないと、解決しないと思うのですが、やはり、なかなかやめられないのも人の常・・・。
古代エジプトでは、ワニの糞を集めて、女性の中にお入れあそばした・・・という事もあったようですが、日本の、しかも江戸時代には、すでに『桜紙(さくらがみ)』と呼ばれる、現在のティッシュペーパーに匹敵するようなやわらかい紙があり、それをよくもんで、女性が使用していたようです。
♪鉄砲は 受身の方で 玉を込め♪
なんて、川柳を聞くと、「男は何もせんのか!」と一喝したい気分ではあります。
もちろん、マジナイというか神だのみみたいなのもあります。
- 直後に、女性が片足を上げて飛ぶ(ちょっとわかる)
- 直後に、女性がトイレに行って小をする(わかる)
- 女の子の日に、男性の袴を三度踏む(なぜ?)
- スルメを食べる(なぜ?2)
- カラスの巣を叩いてからご飯を食べる(意味なし)
- ホウズキの根を煎じて飲む(効き目あるの?)
- 下腹部にお灸を据える(どうだろ?)
- 底の無い袋を持って神社へ詣でる(気持ちはわかる)
- 水を飲んでから致す(効くかい!)
・・・などなど、意味がワカランのが多数・・・。
そんな時に登場するのが、画期的な新商品!
それは、下谷御成街道しろねずみやの横丁、中条流の医者・中山玉木の『朔日丸(ついたちがん)』・・・毎月・一日に、これを飲めば、身ごもらないというシロモノ・・・。
他にも、『浮世風呂』で有名な戯作家・式亭三馬が発売した『天女丸』というのもありました。
いずれも、どんな成分だったかも定かではなく、よって、効き目のほうも怪しい物ですが、この時代に経口避妊薬とは、まさに、世界最先端!・・・飛ぶように売れたのは言うまでもありません。
こういう話を聞くと、ホント、いつの時代も変らないなぁ・・・と、つくづく・・・。
致した後も、その前も、結局、女性ばかりがいやな目をみるところまで、変わりなく・・・もう、400年も経ってるんですから、現代の男性諸君には、しっかりとした信念を持って行動していただきたいと思う次第です。
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追記:
・・・と言っても、男性ばかりが悪いと言いたかったわけではありません・・・ゴメンナサイです。
「女性の味方をしすぎだ」と怒られてしまいましたが、決してそのようなつもりではありません。
女性がみる「いやな目」というのは、避妊と堕胎という身体のリスクを両方とも負うという意味で、恋愛という精神的な面においては男女は同等・・・むしろ、女性のほうがしたたかでズルい・・・男性のほうが、400年経っても、純粋でカワイイなぁ・・・と思っています。
・・・て事で、5月9日のブログには、そんなカワユイ男性のスケベごころを、逆手に取って、やりたい放題のプロフェッショナルなお妾さんのお話を書かせていただきましたので、・・・お許しを・・・(5月9日のページを見る>>)
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コメント
茶々さん、何か男ばかりが悪者みたいな書き方、男性から見たら不快なんですけど。確かに不埒な男性・不誠実な男性の居ることは事実ですが、女性だって…小遣い欲しさに援助交際してる女子高(大)生や、刺激を求めて不倫に走る人妻、自分さえ良ければ相手の家庭を壊したって構わないとばかりに略奪愛よろしく上司や先輩社員を誘惑するOLが多いのも事実なんですから、男性だけが理性を持っても難しいと言うか女性こそ…本当の大和撫子と言われるような心根の美しさや清らかさや正しさを身につけてほしいって願いますよ。
投稿: マー君 | 2008年5月 2日 (金) 22時09分
マー君さん、申し訳ありません。
上記の記事の場合は、避妊の準備も、堕胎のリスクも女性が負うという身体に関して「いやな目をみる」という事を、言いたかっただけで、精神的な部分は、お互い様・・・というか、女性にも、充分な責任がある事は承知しております。
ただ、不快な思いをされたとの事で、コメントではありますが、反省し謝罪させていただきます。
ご指摘を受けまして、文中に追記として、以前からいつか書こうと思っていた、したたかなプロの悪女のお話も、近いうちに書かせていただくお約束をさせていただきましたので、よろしくお願いします。
投稿: 茶々 | 2008年5月 2日 (金) 23時50分
おはようございます。
この時代は「捨て子」が多い時期なので、捨て子の対策もやっていたんでしょうか?幕末になると混血児が急増したので、闇に葬られたと言う悲劇もあります。江戸時代は子供が5人いても成人するのは1人か2人の時代。武士階級でも兄弟・姉妹が多い家は意外に少なかったかも。
あの水戸黄門でさえ、下手するとこの世に出る事がなかった(父親に正室がいなかった世間体?)と聞きました。
投稿: えびすこ | 2011年5月 1日 (日) 08時17分
えびすこさん、こんにちは~
生類憐みの令は、捨て子対策の一つだったと言われていますね。
本来、アレは動物だけではなく、人間を含む「ありとあらゆる生命に対して憐みを持ちなさい」という令でしたので…
投稿: 茶々 | 2011年5月 1日 (日) 16時49分