和菓子の歴史~そのルーツと豆知識
嘉祥元年(848年)6月16日、疫病が蔓延したため、第54代・仁明天皇が16個の菓子・餅を神前に供えて疫病退散を祈願した『嘉祥菓子』の故事にちなんで、今日6月16日は『和菓子の日』という記念日なのだそうです。
・・・て、事で、今日は、和菓子の歴史を書かせていただきます。
・・・・・・・・・
古代の人々にとっては、天然の果物や木の実が、まさにお菓子であったわけですが、奈良時代から平安時代になるにつれ、穀物を加工する技術が発達し、お餅や団子が作られるようになります。
平安時代には、甘葛(あまづら)を煮込んで作る甘葛煎(あまづらに)なる甘味料も生まれ、『文徳実録』という文献には、「嘉祥二年3月3日、婦女子、母子草を取り蒸しつきて餅を作り、歳時とする」とあり、よもぎなどを用いた草餅も登場します。
やがて、鎌倉時代にお菓子は飛躍的に変化します。
それは、大陸へと渡った禅宗の僧侶たちが持ち帰った点心という物・・・。
中国の読み方をそのまま使用した羊羹(ようかん)、外郎(ういろう)なんていうのも、この頃に伝えられた物ですが、何と言っても、点心と聞いて思い描くのは、焼売(しゅうまい)・餃子(ぎょうざ)・・・そして中華まん!
肉の入った肉包子(ロウハオズ)は、日本に伝わり、やはり肉を入れたり野菜のあんを入れて菜まんじゅうと呼ばれましたが、やがて、それらはすたれていって、中には小豆のあんを入れるようになり、室町時代の頃には、現在のような形の饅頭となり、和菓子の代表格となるわけですが、その創始者と言われる人が、中国からの帰化人・林浄園さん。
延元四年(暦応二年・1339年)に、彼は奈良に住みつき、本格的に饅頭作りを開始します。
彼が塩瀬という姓を称した事で、この饅頭は塩瀬饅頭と呼ばれて大ヒット商品に・・・
江戸時代でも、饅頭の事を塩瀬と呼ぶ人も多かったそうで・・・
「フェルトペン=マジックインキ」
「セロハンテープ=セロテープ」
「瞬間接着剤=アロンアルファ」・・・みたいなもんですなぁ・・・。
この頃には、お茶とセットになって喫茶の習慣も生まれます。
ところで、少し話は脱線しますが・・・
饅頭は、なんで饅頭という名前なのか?
これは、あの中国での三国志の頃(紀元前300年頃)、諸葛孔明が神様へのいけにえにする人間の代わりに、中に肉を入れて人の頭に似せて造り、お供えしたのが始まりだそうで、まさに肉饅頭・・・。
あの先端の中央にあるヒネリは、人間の髪の毛をあらわしているんだとか・・・ちょっとコワイ(>o<;)
やがて訪れる第2の飛躍ポイントは・・・そう、戦国時代の南蛮貿易です。
その画期的アイテムは砂糖・・・砂糖の輸入により、数々の新たなお菓子が生み出されます。
さらに、カステラや金平糖といった西洋のお菓子そのものも輸入され、それらは、和菓子の工夫にも大きな影響を与えます。
饅頭の中身も、小豆あんだけではなく、百合あん、長芋あん、白あんなどが考案され、それらを包む皮も、小麦粉に黒砂糖を加えた田舎饅頭、甘酒や濁酒(どぶろく)を入れて発酵させた酒饅頭、そば粉と長芋を混ぜた蕎麦饅頭、お茶を入れた茶饅頭などなど・・・
やがて、江戸時代には、それらの饅頭に加えて、安倍川餅やきな粉餅なども誕生し、お菓子は大流行します。
あまりの流行ぶりに、お米の産出が激減したとして、寛永年間(1624年~1643年)には、「菓子の売買・禁止令」が出されるほどだったと言います。
幕末には、江戸の米饅頭、大阪の虎屋饅頭、京都の麩(ふ)饅頭などの超有名どころも・・・。
やがて、明治になって、再びあの戦国時代の頃のように西洋のお菓子の影響を受ける和菓子は、その後も更なる発展をし続けるのです。
・・・・・・・
最後に、その語源や起源など、和菓子豆知識を少し・・・
- アラレ・・・
もともとお餅を包丁で細かく切った物を乾燥させ、鍋で炒って作る物で、炒っている時に、はじけてふくらむ様子が、空から降る霰(あられ)に似ているところから、その名がついたのだそうです。 - 桜餅・・・
江戸の桜餅は、5代将軍・徳川綱吉の時代に、門番をやっていた山本新六という人物が、花見の時期に、おもしろ半分で桜の葉を塩漬けにし、小麦粉を解いた物を鉄板で焼き、中に小豆を入れて葉っぱで包んで売り出したところ、花見の時期だけで一年分の収入を得られるくらいにヒットしたのだとか・・・
道明寺粉で造る関西の桜餅は、未だ諸説あり・・・1番古い物としては、天和三年(1683年)に、京御菓子司「桔梗屋」の河内大掾が記した菓子目録の中に「さくらもち」の名が見えますが、それが現在の桜餅と同じ物かどうかは謎です。 - 椿餅・・・
道明寺粉で作る桜餅(関西風)に似た物で、桜の葉の変わりに椿の葉を用いますが、『源氏物語』にも登場する古い和菓子です。 - 柏餅・・・
ご存知、5月5日の端午の節句の定番お菓子ですが、意外に歴史は浅く、江戸時代に入ってからの誕生だそうです。
以上、本日は和菓子について、色々書かせていただきましたが、ともすれば忘れがちな、四季折々の風情を盛り込んで、見た目も美しく・・・めぐる季節の中で、その時々にふさわしい和菓子を、無性に食べたくなる・・・それは、心落ち着くひとときですね~
今日は、やっぱ、和菓子が安くなったりするんですかね?
・・・なんて思う私は、風流にはほど遠い・・・
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コメント
今日が和菓子の日とは知りませんでした。僕は和菓子の日は、てっきり四月十九日とばかり思ってました。四月十九日は、垂仁天皇の命を受けて、中国より非時の香の木の実=橘を持ち帰った田道守命を祀る、中嶋神社=兵庫県豊岡市に鎮座の例祭日(現在では神賑行事の奉仕者確保とか御輿担ぎの人員確保の為四月の第三日曜日に変更)で全国各地の製菓業者や菓子販売業者等がお参りされ、但馬三大祭りの一つとして、但馬一円に知れ渡ってます。僕の住む新温泉町も同じ但馬の中にあり、我が家も神社なので宮司さんとは親交があります。ただ我が家の奉仕する神社の春祭りも同日開催なので、中嶋神社の菓祖祭りには行ったことは無いんですけどね。そんなコトから僕は四月十九日が和菓子の日と思ってたので、今日が和菓子の日と知って少々驚いています。
投稿: マー君 | 2008年6月16日 (月) 15時12分
マー君さん、こんにちは~
いきさつは知りませんが、昭和五十四年(1979年)の全国和菓子協会が制定したそうです。
4月19日は、お菓子関係の記念日は無いようです。
投稿: 茶々 | 2008年6月16日 (月) 18時14分