歴史人物辞典~「や」から始まる歴史人物~
このページは、人物名から目的のページを探せるようにと作成した『歴史人物辞典』の「や」です。
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★八百比丘尼
●不老長寿は幸せ?人魚伝説・八百比丘尼
★八百屋お七
●八百屋お七と丙午
★宅部皇子
●物部滅亡ヘのカウントダウン~穴穂部皇子・誅殺
●未盗掘で発見された藤ノ木古墳~その被葬者は?
★柳生宗矩
●政治家・柳生宗矩~忘れえぬ剣豪魂
★柳生宗冬
●柳生宗冬の総入れ歯
★柳生宗厳
●男・柳生宗厳~68歳でつかんだ大きな一歩
★施薬院全宗
●秀吉のもと医療福祉を復活させた施薬院全宗
★薬師寺国長
●細川晴国の京都奪回作戦~仁和寺付近の戦い
★薬師寺九郎左衛門
●信長上洛後…本圀寺の変と桂川の戦い
★薬師寺貴能
●薬師寺貴能ら討死~福岡合戦の終盤
★薬師寺忠長
●細川政元の後継~永正の錯乱と百々橋の戦い
★薬師寺弥七郎
●宇喜多直家一世一代の明善寺合戦~万灯会
★矢沢頼綱(綱頼)
●武田信虎VS海野棟綱~海野平の戦い
★弥介(信長の黒人従者)
●織田信長と黒人さん
★安田弥蔵(弥右衛門)
●歴史のifを思う…謎多き梅北の乱
★柳沢信鴻
●赤裸々日記~柳沢信鴻の華麗なる隠居生活
★柳沢吉保
●柳沢吉保の汚名を晴らしたい!
★柳田國男
●ことばの日
★柳本賢治
●細川高国政権が崩れるキッカケ~神尾山城の戦い
●畿内に三政権~天下分け目の桂川原の戦い
●京都の覇権を巡って~東山・川勝寺口の戦い
●信長&三好より先に京を…柳本賢治の波乱万丈
★柳本甚次郎
●天文法華へ向かう~山科本願寺の戦い
★梁田高助
★梁田晴助
●古河公方~北条氏政と簗田晴助の第1次関宿城
★梁田持助
●戦国乱世に翻弄された騎西城の浮き沈み
●北条から守れ!簗田持助の第3次関宿城の戦い
★山内一豊
●刀禰坂の戦い~生きた山内一豊と死んだ斉藤龍興
●賤ヶ岳の前哨戦~亀山城の戦い
●老獪・家康…西へUターンの小山評定
●土佐・一領具足の抵抗~浦戸一揆
●したたかなのは一豊か?
★山内一豊の妻(見性院・千代・まつ)
●内助の功で貞女の鑑~山内一豊の妻・見性院
★山内就綱
●六角高頼VS山内就綱の金剛寺城の戦い
★山内政綱
●応仁の乱:六角氏の後継争い~清水鼻の戦い
★山内盛豊
●守護代・織田信賢と信長~浮野の戦い
★山内容堂(豊信)
●鯨海酔侯・山内容堂…幕府存続に賭けた日々
★山尾庸三
●維新に貢献工学の父~山尾庸三と長州ファイブ
★山岡景隆
★山岡景佐
●本能寺~その日の安土城と留守役・蒲生賢秀
★山岡鉄舟(鉄太郎)
●江戸城無血開城
●激動の時代を生きた明治天皇・崩御
★山県有朋
●幕末に散った奇兵隊・第3代総監…赤禰武人の無念
●北越戊辰戦争・朝日山争奪戦~河井継之助の決意
●ガトリング砲も空しく~長岡城・陥落
●北越戊辰戦争~河井継之助の長岡城奪回作戦
●河井継之助・無念~長岡二番崩れ
●山城屋事件~陸軍省で割腹自殺した山城屋和助
●日清戦争~平壌・陥落
●汚名返上?再評価高まる山県有朋
★山県昌景
●三方ヶ原前哨戦~井伊・伊平城の仏坂の戦い
★山川(大山)捨松
●戊辰の恨みを越えて~大山巌と山川捨松の愛[前編]
●戊辰の恨みを越えて~大山巌と山川捨松の愛[後編]
★山川浩(大蔵)
●幕末・会津戦争~長命の戦い
●東京での士族の反乱~永岡久茂の思案橋事件
★山口喜内
●大坂夏の陣~樫井の戦いに連動した紀州一揆
★山口教継
★山口教吉
●当主・織田信長の最初の戦い~三の山・赤塚の合戦
★山口彦十郎
●生駒騒動を引き起こした?山口彦十郎の亡霊
★山口宗永
★山口修弘
●北陸の関ヶ原~前田利長、大聖寺城を攻略
★山国兵部
●尊王と敬幕と・・・攘夷の魁・天狗党の模索
●総大将・武田耕雲斎~新生・天狗党の誕生
●天狗党・起死回生の西上行軍~下仁田戦争
●尊王攘夷を掲げて西行の天狗党~和田峠の戦い
●天狗党・武田耕雲斎~悲しみの降伏状
●早すぎた尊王攘夷~天狗党の最期
★山幸彦(火遠理命)
●針供養の起源と針のお話
★山背大兄皇子
●聖徳太子の子・山背大兄王を殺したのは誰か?
★山城屋和助(野村三千三)
●山城屋事件~陸軍省で割腹自殺した山城屋和助
★山田浅右衛門吉利・吉亮
●最後の斬首で役目を終えた山田浅右衛門
★山田有信
●島津義久・背水の陣~高城・根白坂の戦い
★山田重忠
●承久の乱、美濃の戦い~山田重忠の奮戦
★山田長政
●アユタヤの戦士・山田長政は実在したか?
★ヤマトタケルノミコト
●ヤマトタケルは実在したか?
●歴史に埋もれた名も無きヤマトタケルたち
★和乙継(桓武天皇外祖父)
●桓武天皇が望んだ新体制~2度の郊祀と百済王氏
★山中鹿之助(幸盛)
●一騎討ち~第二次・月山富田城攻防戦
●美作三浦氏~尼子&毛利との高田城攻防戦の日々
●毛利VS尼子…上月城の大砲争奪戦
●信長に見捨てられた上月城…奮戦空し
●山中鹿之介奮戦!上月城の攻防
●秀吉の援軍空し…上月城が落城
●山中鹿介の忠義は忠義なのか?
★山中主膳
●上杉VS北条~難波田憲重の松山城風流合戦
★山名氏清
★山名満幸
●足利義満VS山名氏清・満幸~明徳の乱への道
●明徳の乱~山名氏清の最期
★山名是豊
●応仁の乱~摂津西部…兵庫津の争奪戦
★山名祐豊
●秀吉の但馬攻略~岩州城&竹田城の戦い
★山名宗全(持豊)
●応仁の乱のきっかけとなった足利義視
●応仁の乱の口火を切る御霊合戦
●応仁の乱・勃発
●赤松正則の播磨奪回作戦~応仁の乱
●応仁の乱~東岩倉の戦いと大内政弘の参戦
●足軽登場で戦激変~応仁の乱・稲荷山攻防戦
●2人の将軍に2つの幕府…足利義視トンズラ事件
●無骨な総大将~応仁の乱を率いた山名宗全
★山名時氏
★山名師氏
●南朝挽回?足利直冬と山名時氏・師氏の談合
●足利VS山名~南北朝・神南合戦
●南北朝・東寺合戦(京軍)の終結
★山名豊国
●鳥取城攻防戦~秀吉の兵糧攻め
★山名政豊
●戦国の幕開け…山名VS赤松・戦いの構図
●会えぬ母への思い~福井小次郎の福岡合戦
●赤松政則VS山名政豊~真弓峠の戦い
●薬師寺貴能ら討死~福岡合戦の終盤
●赤松VS山名の最終決戦~英賀坂本城の戦い
★山南敬助
●新撰組・山南敬助の心の内は・・・
★山上憶良
●奈良の都の住宅事情~貧しい庶民の実態
★山野辺義忠
●名門・最上を消滅させた最上騒動
★山村修理
●徳川家康、徹底根絶やし~気賀堀川城一揆
★山本覚馬
●新政府へ物申す…山本覚馬の建白書『管見』
★山本勘助
●軍師のお仕事・出陣の儀式
●戸石崩れのはずが山本勘助ヒーロー伝説へ?
●『甲陽軍鑑』の真と偽
●川中島の合戦は無かった?
●「山本勘助⇔山本菅助」その実在やいかに?
★山本常朝
●「死ぬこととみつけたり」…山本常朝の武士道
★山本正次
●天文法華へ向かう~山科本願寺の戦い
★山本八重(新島八重・八重子)
●山本八重の会津戦争
●会津戦争終結…藩士と領民・それぞれの道
●「生き方が男前」…幕末から昭和を駆けた新島八重
★山本義路(帯刀)
●忠臣・渡辺豹吉の大芝居~会津・飯寺の戦い
★耶楊子(ヤン・ヨーステン)
●三浦按針・漂着す~そしてヨーステンの名は・・・
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コメント
こんにちは~!一昨日は全国的に『幽霊の日』ってことなので、時節柄もしや?と期待しておりましたが・・・(笑)頃は文政8年(1825)7月25日に江戸・中村座に於いて、4世・鶴屋南北作、「東海道四谷怪談」が「仮名手本忠臣蔵外伝」の位置付けで、3世・菊五郎、7世・団十郎、5世・幸四郎等により初演された日だそうです。それは二日間に渡る大興業で、キーマンは忠臣蔵と怪談を結びつける義士・佐藤与茂七で、お岩の妹・お袖の夫が発狂した「お茶の伊右衛門」じゃあなく(笑)お岩の夫・伊右衛門を討った後に吉良邸への討ち入りをもって大団円を迎える事になりまする。エアコンなど無かった江戸の暑い時季に、実話とフィクションを織り交ぜた「冷物・怪談」が大喝采であった事は容易に想像できますね。
投稿: 鳳山 | 2008年7月27日 (日) 15時42分
鳳山さん、こんにちは~
四谷怪談のお話は、昨年の7月26日に、
https://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2007/07/post_cd62.html
すでに書かせていただいたので、今年は別の事を書こうかと思っていたんですが、ついつい深夜の、若手お笑い芸人が集まるスナック(27時間テレビです)に抱腹絶倒していたもんで・・・(#^^#)
投稿: 茶々 | 2008年7月27日 (日) 17時02分
『えろぅすんませんでしたぁ~!』昨年、書かれてたんすねぇ。小生も「27時間」に付き合ってまして、「かぶりもんとばけもん」繋がりで思い出してカキコしてしまいました。おかげさまで昨年分を読ませて頂きました。
投稿: 鳳山 | 2008年7月27日 (日) 17時46分
お笑いも大好きなもので・・・
つい、テレビを見たり
ブログを書いたり
ラジバンダリ
投稿: 茶々 | 2008年7月27日 (日) 22時08分
山県有朋に対する印象ですが、傲慢で寛容さが足りなかったような気がします。私なりの断片的な記憶ですが、旧会津藩などといった、旧幕府を支持した者らに対して、見下したり、冷たい態度で接していたと思います。2013年の大河ドラマ「八重の桜」において、玉山鉄二さんが演じた山川大蔵(後に浩に改名)に対して、猪野学さんという俳優が演じた有朋が、西南戦争が終結した後に、握手を求めるシーンがありまして、その際に、猪野さんが演じた有朋が、玉山さんが演じた大蔵に対して、「陛下(明治天皇)に対して弓を引いた罪は、容易には消えない。」とされる台詞を言ってました。そのためかもしれませんが、有朋が多くの人から激しく嫌われたのは、至極当然だったのではないでしょうか。果たして、有朋は、85年という長い生涯において、有朋自身は、悔いのない人生を送れたのでしょうか?もしかしたら、有朋は、長生きした割には、どんなことに対して、心から満足できない感情を抱え込んでいたのかもしれません。
投稿: トト | 2015年9月16日 (水) 13時18分
トトさん、こんにちは~
その心中は、それこそご本人のみぞ知るで、外部からは計りかねますが、動乱の時代ですから、時には心を鬼にして、時には憎まれ役となって行動した事もあるかも知れませんね。
投稿: 茶々 | 2015年9月16日 (水) 16時51分