つなげれば、みんな親戚、戦国武将
慶長八年(1603年)7月28日、亡き豊臣秀吉の息子・秀頼と、徳川家康の孫・千姫が結婚しました。
・・・・・・・・・・
・・・って事なんですが、千姫さんいついては、ご命日に少し書かせていただきました(2月6日参照>>)ので、今回は、まさに今日の結婚・・・この、どう見ても明らかな政略結婚について・・・。
まぁ、この秀頼さんと千姫さんに関しては、あまりに若年すぎて、打算がないぶん、政略結婚のわりには、仲睦まじかったようですが、とにかく、ご存知のように、戦国時代は政略結婚の嵐です。
確かに例外はありますが、多くの戦国大名は、何人かの側室を持ち、子供をできだけ多く設けて、女子は他家の当主と結婚させ、男子は養子として、その勢力の拡大に利用したのです。
戦国大名同士の同盟は、政治の情勢によって結ばれ、縁戚の関係を持つ事によって、さらに強化されたのです。
しかし、それは永遠ではなく、政情の変化によって、もろく崩れる時もありました。
関東・甲信越を争った今川・武田・北条はお互いの兄弟や子供同士の婚姻で、かなり近い親戚関係・・・さらに、そこに上杉も加わって、よう~く見れば、今川義元も武田信玄も北条氏康も上杉謙信も・・・主要人物は皆、親戚同士。
さらに、時が進むと、そこに、斉藤道三とつながる織田と徳川・豊臣が加わり、徳川家康も織田信長も豊臣秀吉もが・・・一回、これで、親類一同のパーティでも開いてくれないかと思うようなスター勢ぞろい・・・。
よく、人気スターになったら親戚が増えるとか、友人が、ある有名人の親戚だと聞くと「へぇ~」と思ったりするもんですが、親戚にこれだけ有名人がたくさんいたら、誰を自慢の種にしようか迷ってしまいますわな・・・ホント。
とりあえず、おもしろいので、系図にしてみましたが・・・
実線は兄弟・親子、点線は婚姻関係です。
点線の色は交差する部分がややこしくならないために色分けしたもので、色の違いに意味はありません。
もちろん、それぞれの武将(特に信玄さんは・・・)に、もっと、たくさんの子供さんがおられますが、全員書くと、さらにスゴイ事になるので、上記の図は、さっきから登場している超有名どころに関係のあるかたがたを中心にして、多くの人物を省かせていただいてます。
これらの政略結婚で、やはり、忘れてはならないのは、その政情の変化によって、時には父や兄に、時には夫や息子に、殺される事になってしまう、悲しい女性たちの運命です。
ただ、これは、私の勝手な思い込みかもしれませんが、彼女たちは、結婚をする時に「悲しい」とか「つらい」とかは思ってはいなかったでしょう。
冒頭に書いた千姫がそうであるように、その時は、お互いの家を結ぶ架け橋という重要な使命をおび、周囲の期待とともに、とわにその関係が続くよう希望に満ち溢れた結婚だったと思います。
女性の自立を支援しておられるかたが聞くと、怒られるかも知れませんが、私個人的には、周囲に、そして相手に望まれて結婚するというのは、とても幸せな結婚だと思います。
少なくとも、彼女たちは、希望に満ち溢れ、幸せを感じながら嫁いでいったのだと・・・。
しかし、彼女たちが、その命を賭けて築いた家と家の架け橋を、今度は、時代の流れが崩してしまうのです。
ある時は、夫とともに親兄弟に討たれ、ある時は夫の命乞いのために親兄弟のもとへ走る・・・そして、ある時は、姉妹で敵味方となって・・・
彼女たちが最後に味わう数奇な運命には、どうしても涙誘われますが、それはそれで、その生涯をかけて担う、女性の大事な役割であり、誇りに満ちた使命だった事でしょう。
*関連記事=
【大河ドラマ「江」に思う政略結婚と女性の役割】>>
【「親兄弟が敵味方に分かれて戦う」という事】>>
.
「 家康・江戸開幕への時代」カテゴリの記事
- 関ヶ原の戦い~福島正則の誓紙と上ヶ根の戦い(2024.08.20)
- 逆風の中で信仰を貫いた戦国の女~松東院メンシア(2023.11.25)
- 徳川家康の血脈を紀州と水戸につないだ側室・養珠院お万の方(2023.08.22)
- 徳川家康の寵愛を受けて松平忠輝を産んだ側室~茶阿局(2023.06.12)
- 加賀百万石の基礎を築いた前田家家老・村井長頼(2022.10.26)
コメント
これまで戦国大名家の女性の婚姻の多くが政略結婚とか望まれない婚姻だったかのように話されてきましたが、最近の研究では…大名家の息女が嫁ぐ先となれば、然るべき家柄の男子となるのは必定であり、さすれば必然的に相手も戦国大名や有力国人領主などになるワケで、今では戦国の女性の婚姻について、政略結婚とか男性の野望の犠牲になった悲しい結婚…ていう見方はするべきではないだろうと言う説を唱える学者さんもいますよ。戦国大名に限らず江戸時代の大名家の息女にしたって、自分の意思で相手を選べないって点では何ら変わるところは無いですし、幕藩体制がシッカリ定まった時代にあっては、両家の婚姻が両家の繁栄に繋がっていくとの希望的観測すら立たないワケでそういう面から考えたら、むしろ戦国の女性の方がindoor-mama.さんの仰るように両家の懸け橋として頑張ろうなんて夢を持てただけ幸せだったかも知れませんよ。
投稿: マー君 | 2008年7月28日 (月) 11時59分
マー君さん、こんにちは~
多かれ少なかれ、今でも、結婚と恋愛は別って感じがありますもんね~
人気アイドルも、事務所の許しが出ないと結婚できないし・・・
投稿: 茶々 | 2008年7月28日 (月) 12時28分
千姫が7歳で嫁ぐのはすごい!現在の人間でいうと、小学1年生やね。
そうそう、私のブログに大人になった千姫を水着跡バージョンがあります。(7月9日記事)よかったら見てください。
投稿: sisi | 2008年7月30日 (水) 19時50分
sisiさん、こんばんは~
日焼けの跡があるという事は、今年2度目の海水浴・・・しかも、途中で水着を新調したという事ですね~オモシロイ
投稿: 茶々 | 2008年7月30日 (水) 23時56分
なんと「親戚」を拡大解釈すると、日本中の武将が親戚と言う家計図を作成した人がいるそうです。
現在でも、芸能人に意外な親戚関係を持つと言う人もいますね。ちなみにみのもんたさんの親族が国会議員みたいです。
今日はコメント三連投でした。 o(_ _)oペコッ
投稿: えびすこ | 2010年6月10日 (木) 18時51分
えびすこさん、こんばんは~
まぁ、家康も源氏ですからね~
最終的には、ミトコンドリア・イブにたどりつくのでしょうね。
投稿: 茶々 | 2010年6月10日 (木) 22時46分