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2008年7月 4日 (金)

戦国にタイムスリップ!環濠集落・今井町

 

そこは、まるで江戸時代に迷い込んだような町並みです。

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東西約600m、南北約400mの濠に囲まれた場所に、約800戸の家がびっしりと立ち並び、そのうち80%が江戸時代の建物。

Imaityoutizucc 国の重要文化財が8軒、県指定文化財が3軒、市の指定文化財が5つあるのです。

本日は、奈良にある今井町をご紹介しましょう。

大阪からですと、難波から近鉄・奈良線で大和西大寺で橿原線に乗り換え橿原神宮前方面へ・・・京都からなら、近鉄・京都線一本で・・・八木西口駅が今井町の最寄駅です。

Sobubasiinimaicc_2 駅を降り、JRの線路を越えたら、斜め右手に見えてくる蘇武(そぶ)

ここを渡れば、もう、別世界・・・樹齢400年のエノキが、古のままに出迎えてくれます。

とにかく、古い町並みは路地が入り組んでいて、わかり難いので、まずは、地図が書いてあるパンフレットを手に入れてください。

Hanairakainimaicc パンフレットは、町の案内所である今井まちづくりセンターか、今井まちなみ交流センター華甍(はないらか)でもらえますが、まちづくりセンターは、あまりにも周囲の町並みに溶け込んでいるので、そこを探すのもひと苦労・・・なので、個人的には、町に着いたら、まず華甍へ向かう事をおすすめします。

華甍なら、蘇武橋をわたった1つ目の筋(一番東の筋)をまっすぐ南に行った、ひときわ大きな目立つ建物なので、すぐに見つけられるはずです。

この華甍も、江戸時代とまではいかないものの、明治三十六年に建てられた立派な建物ですし、中は資料館になっていますので、やはり、ここで歴史のお勉強をしてから町にくり出すのがベストでしょう。

それから、これらの民家はすべて、一般の個人のお宅で、もちろん現在も住んでおられますから、エチケットを守ってご迷惑をかけないように心がけなければなりません。

Matiyakaninimaicc 古い民家のうち、の今井まちや館と、旧米谷家はオーナーさんから市が借り受けていて、9時~17時まで一般開放されていて自由に見学できますので、民家内部の見学は、この二軒でさせていただくのが、良いかと思います。Matiyanakaimaicc

どちらも、町屋独特の造りの残る趣のある建物で、広い土間に大きなかまどと、農家にみられる煙返しなどがあります。

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旧米谷家の裏庭には、蔵前屋敷の付いた大きな土蔵があり、この土蔵は嘉永二年(1849年)の建築という事が判明しています

Yonetaninakaimaicc_2 ここで、今井町の歴史に触れておきますが、今井町は、天文年間(1532~55年)に、本願寺の一家衆・今井兵部豊寿称念寺を開いたのが始まりとされています。

その後、お寺を中心に寺町ができあがっていきますが、当時は、まさに戦国時代・・・周囲に堀をはりめぐらし、各路地も一直線ではなく、少し行けばつきあたるという護るに強い造り・・・出入り口には、すべて門が設けられ、いざという時は、この門をぴったりと閉め、鉄壁の要塞となる環濠集落となっていったのです。
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現在は、門はすべて跡だけが残されている状態で現存しませんが、町割りは、その室町時代の頃のままで、戦国時代の惣村の面影を残したままの現役バリバリです。

Imanisi1nimaicc 堀の向うに見える白壁の家が今西家

こちらの今西家は、最も早く重要文化財の指定を受けた民家で、棟札には慶安三年(1650年)3月22日と記されています。

惣年寄の筆頭で、領主や代官などの支配の一翼も担い、自治権も持っていたという家柄にふさわしく、民家と言うより、城といった雰囲気さえ感じさせます。

町のはずれにある春日神社の石灯籠や狛犬の願主には、大阪や堺の商人の名前がズラリと並び、今井町が、都から地方への流通の要であった事をうかがわせます。

このような町並みを維持していく事は、かなり大変な事だと思いますが、今井町はZitensyahoikusyoimaicc 、町ぐるみで取り組んでおられるようで、保育所や、駅前の自転車置き場までが、町並みを壊さないように配慮されています。

 

 

農民が自分たちの身を自分たちで守り、自分たちのきまりで地域を運営していった惣村・・・

室町から戦国時代にかけて誕生した、生き生きとした庶民の時代の遺産・・・いつまでも見ていたい、いつまでも残したい風景です。

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コメント

茶々さん…歴史ブログランキング一位獲得お目出度うございます。

投稿: マー君 | 2008年7月 4日 (金) 17時31分

マー君さん、ありがとうございます

投稿: 茶々 | 2008年7月 5日 (土) 00時33分

今井町の歴史が丁寧に紹介されており、感心しました。今井町の大きさは東西600m南北310mです。さらに現在、750軒の民家があり江戸の雰囲気を残した民家が500軒です。今井まちや館はオーナーさんから借り受けておりますが、旧米谷家に関しましては、所有者は文化庁となってます。今井町のことを熱心にそして丁寧に紹介していただいたので差し出がましいと思いましたが、正しい情報を知っていただきたく、あえてコメントいたしました。失礼をお許しください。
5月には、六斎市(今井町並散歩)というイベントもあります。重要文化財も公開しますのでまたきてくださいね!

投稿: punipuni | 2008年7月29日 (火) 19時53分

punipuniさん、ご指摘ありがとうございます。

大きさに関しましては、江戸初期の記録で、東西600m、南北310mという事を存じてはおりましたが、現在のガイドブック等で紹介されている数値の方を書かせていただいたのです。

旧米谷家の管理に関しましては、受付をしておられたかたに、どのように運営をしておられるのかお聞きした際に、いただいた返答をそのまま書かせていただきましたが、登記簿を拝見させていただいたわけではなかったので、文化庁の所有だとは知りませんでした。

情報、ありがとうございました。

投稿: 茶々 | 2008年7月29日 (火) 22時56分

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