富山の女一揆・米騒動を報道したマスコミは…
大正七年(1918年)7月23日、富山県の漁村の主婦たちが、米の安売りを求めて米屋に押しかけた事をきっかけに、全国各地で暴動が勃発し『米騒動』となりました。
・・・・・・・・・
事の発端は、前日の井戸端会議でした。
富山県新川郡魚津町の漁師の主婦たちが集まって、いつものように、「あーだ、こーだ」と、巷の噂話に花を咲かせていたところ、話題は、最近のガソリン価格の高騰・・・モトイ・・・米価の高騰へと移っていきます。
すると、その中の一人の主婦が・・・
「こんなけ、米が値上がりするんは、富山で採れた米を、他県にばっかり、でかいど運んどるからやがないけ」
「ほな、今、ちょうど、米を運んどる伊吹丸っちゅー蒸気船が来とるがに、明日、行って、それをやめてもらうっちゃ」
・・・と、意見がまとまり、翌日の大正七年(1918年)7月23日、一致団結した彼女たちは、蒸気船への米の積み込み作業を阻止し、周辺の米屋へ押し寄せて、米の流出を止めるよう懇願したのです。
最初はたったこれだけの出来事でした。
この時期の富山湾沿岸では、不漁が続いていて、ただでさえ一日・1~2回食事・・・それも、お粥で済ます事が多くなっているのに、そのうえ、お米の値上がりが留まるところを知らず、高く売れる都会へと流出していけば、どんどん飢えていくばかりだったのです。
ただ、彼女たち漁師の妻が騒ぎを起こすのは、今回が初めてではありません。
夏の不漁のシーズンになると、今までもたびたび同じような騒動を起こしていたのですが、今回ばかりは、いつもと様子が違っていました。
確かに、今回の米価の高騰は富山県だけに限った事ではなく、全国的なものでした。
ちょうど、この時代は、農村から都市部へ人口が移りつつあり、増大した都市人口は米の消費量を増やし、慢性的な米不足になっていたうえ、大量の米が海外へと輸出され、高値になるのを見込んだ地主は米を売り惜しみ、商社は買占めに走る・・・。
大正六年に1石15円だった米は、翌年の大正七年には30円になっていたという事が、大阪堂島の米市場の記録にもあるそうで、そうなると、1年で倍になった事になります。
しかし、だからと言って、漁村の主婦たちのちょっとした騒動が、なぜ、今回は全国的な暴動へと発展したのでしょうか?
なんせ、今回の米騒動・・・警察だけではラチがあかず、最終的に軍隊まで出動し、果ては内閣まで総辞職してしまう結果となるのですから・・・。
・・・と、そうです。
実は、この内閣総辞職・・・この米騒動には、時の寺内正毅内閣を倒したいマスコミの思惑がからんでいたんです。
実際のところ、漁村の主婦たちが起こした騒ぎは、米屋に押し寄せたと言っても、そこで暴れたわけではなく、「お願いにうかがった」といった程度のものでしたし、その後訪れた役所でも、「どうか、お頼みします」と涙ながらに訴えるという雰囲気で、しかも、警察が登場して説得を始めると、素直に応じて速やかに解散するといった感じの、本当に、ただの主婦の集会だったのです。
・・・にも関わらず、翌日の新聞には・・・
「女一揆」「米屋襲撃」「漁師家族の大一揆」
などという見出しが躍ります。
さらに、ある新聞には・・・
「お米をよそへ売らないで!」と懇願する主婦に対して、「米屋が米を売るのは商売だ!米が食えなくて苦しいなら死ねばいい!」との暴言を吐いた米屋の女店主に、怒りまくった主婦数百人が押し寄せ、一家を殴殺せんが勢いで店を破壊した・・・といった内容の記事も掲載されましたが、女主人の暴言も、それに怒った主婦の襲撃も、現在では、実際には無かったであろうと言われています。
明治以来、多くの新聞は反権力の姿勢であり、それを政府が弾圧する・・・というのを繰り返していました。
特に、この寺内内閣は、官僚・軍人勢力を背景にした内閣であったため、マスコミのあおりにも力が入ったようです。
・・・で、結局、これらの過激な報道に触発された各地の貧困層が、本当に暴動を起こし、米屋や富裕層の邸宅を襲撃するという事態になってしまいます。
ところが、8月に入って寺内内閣がシベリアへの出兵を発表しちゃったもんだから、さらに大ごとに・・・
兵を出すとなると、当然、兵糧が必要ですから、それを見越しての買占め、売り惜しみに拍車がかかり、さらにお米の値段は上がり、この頃になると、貧困層だけではなく、一般労働者もが騒ぎに参加するようになってきます。
全国に拡大した暴動は、警察だけではとても対抗できず、政府は全国100箇所に軍隊を派遣して鎮圧に乗り出しました。
さらに、ここに来て、政府が過激な報道をしている新聞を発禁処分にするとともに、すべての新聞に対し、米騒動の記事を掲載する事を禁止するのですが、これには新聞記者が激怒・・・言論の弾圧を非難し、シベリア出兵は寺内内閣の失策であると書きたてます。
9月の下旬になって、ようやく騒動は収まりを見せ始め、暴動は徐々に終焉に向かっていきます。
結局、暴動が発生した場所は1道3府38県に及び、約100万人が関与し、2万5千人余りの逮捕者と30人の死者を出したこの米騒動・・・9月22日、この責任をとって寺内内閣は総辞職しました。
民衆の力が政府をも動かす・・・という事を自覚し、自らの力に自信を持った民衆でしたが、過激な報道に踊らされた感も拭えません。
今も、ある一つの出来事を毎日のように報道するかと思えば、ある日突然それが止み、次に別の事が集中的に報道される・・・
かく言う私も、未だ結末の知らないニュースがいくつある事か・・・
平成のガソリン高騰には、踊らされないように、しっかりと見据えていきたいものです。
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コメント
捏造が発端なんですか!?
それも内閣を倒すため!?
...マスコミってやつは昔からこうなのか。(嘆息)
ここ数年、ニュースを素直に聞けなくなりました。
いつも疑ってしまうので、かえってわけが分からなくなったりします。
でも、事実を真摯に伝えるなんてこと、期待しちゃいけないのでしょうね。
...伝統だから。(苦笑)
投稿: ことかね | 2008年7月23日 (水) 12時44分
ことかねさん、コメントありがとうございます。
>捏造が発端なんですか!?
少なくとも富山での時点では、新聞に書かれているような過激な暴動はなく、ちょっとした反対運動的なものだったようです。
最近はネットで複数の新聞が読めるようになったので、その新聞によって報道の仕方が違う事を痛感させられるようになりましたね。
逆に、どの新聞を見てもまったく同じ姿勢の記事もあり・・・読み手側が試されてる気持ちになる時もありますね~。
投稿: 茶々 | 2008年7月23日 (水) 14時13分
こんにちは~!富山の「米騒動」については『格差への怒り政府を倒す』と題してNHK「その時歴史は動いた」(2006・10・18放映)で記憶しています。富山市水橋町で、重い米を背負い船まで運ぶ女性達が『米をよそへやらんどいてくだはれ!』と請願した事に始まり、魚津、滑川騒動から全国百万人規模へとエスカレート。原因は成金による「米相場投機」で、日々の米価格高騰により多くの庶民は米が買えない状況であったようですね。無能無策な政権下で給料は上がらず、ガソリンを始め諸物価高騰で格差ばかりが広がり、庶民が困窮する今のご時世に、何かしら重なる部分があるように感じます。
投稿: 鳳山 | 2008年7月23日 (水) 16時06分
鳳山さん、コメントありがとうございます。
そうですか・・・NHKの「その時・・・」でもやってたんですね。
(見てませんでした)
私も、まさに、今の状況と重なってしまいました~
投稿: 茶々 | 2008年7月23日 (水) 18時29分
大正時代の人は、米悩む時代ですね。世の中、米を食っていなかったら力がでませんですからね。
米は日本人の重要な食べ物やからね。
私は最近、ブログのために篤姫たちの南国海水浴描いて続いてるんですよ、この時期の暑さやからね。
投稿: sisi | 2008年7月24日 (木) 00時14分
sisiさん、コメントありがとうございます。
水着が恋しい季節です~
今年の大河の篤姫は、色気はないけどカワイイです。
投稿: 茶々 | 2008年7月24日 (木) 18時47分
ありがとうございます!とてもやくにたちました。
投稿: スヌーピー | 2015年6月25日 (木) 14時28分
スヌーピーさん、こんにちは~
コメントありがとうございました。
お役に立ててよかったです。
投稿: 茶々 | 2015年6月25日 (木) 15時57分
記事には記載がないですが、この騒動の影響でこの年の旧制中学野球大会=現在の高校野球が中止になりました。大会開幕直前に起きた騒動なので、不測の事態を考慮したんでしょうね。今年で100周年の高校野球は戦争以外での中止はこの時だけです。
投稿: えびすこ | 2015年7月 2日 (木) 09時27分
えびすこさん、こんにちは~
夏の甲子園の方ですね。
今、BSで「100年ものがたり」やってますね。
高校野球にも歴史ありです。
投稿: 茶々 | 2015年7月 2日 (木) 14時39分