田手畷の戦い~佐賀の鍋島・下克上の幕開け
享禄三年(1530年)8月15日、肥前・田手畷で行われた大内方の杉興運と少弐方の龍造寺家兼との田手畷の戦いの中で、鍋島清久の赤熊軍団乱入作戦により、少弐方が勝利しました。
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室町時代を通じて、九州北部の所有をめぐって争ってきた周防(山口県)の大内氏と肥前(佐賀県)の少弐氏・・・。
一時は、九州北部のほとんどを手に入れていた少弐氏でしたが、明応六年(1497年)の大内義興(よしおき・第30代当主)の時代になって、義興が、少弐政資(しょうにまさすけ・第15代当主)とその息子・高経(たかつね)を自害に追い込んで九州へ進出・・・少弐氏は肥前一国に追いやられていました。
やがて享禄三年(1530年)、それぞれ次の世代に交代したところで、義興の息子・大内義隆は、少弐氏にとどめを刺すべく、動き始めます。
4月には筑前(福岡県中央部)の守護代であった杉興運(すぎおきつら)を肥前の神埼郡へと派遣し、さらに、肥前の筑紫尚門(つくしなおかど)や、朝日頼実(あさひよりざね)らが大内側へ寝返るという事態に・・・
そして、享禄三年(1530年)8月15日、とうとう田手畷(たてなわて・佐賀県吉野ヶ里町)まで攻め寄せた大内勢に対して、政資の息子・少弐資元(すけもと)は、重臣の龍造寺家兼(りゅうぞうじいえかね)を迎撃に向かわせます。
その兵力は、ともに約1万ほどと互角であったものの、はじめのうちは大内勢が優勢・・・東から押し寄せて来る敵に、少弐勢はズルズルと西へ西へと後退を余儀なくされます。
智勇に優れた武将であった家兼も、さすがに「これまでか!」と思い始めた時、突然、南から北に向かって赤熊(しやぐま)という奇妙な装束を身に着けた集団が、大内勢を横切る形で突入!
軍勢の中に躍り出たと思いきや、瞬時にして尚門と頼実を討ち取ってしまったのです。
赤熊とは、ヤクというウシ科の動物の毛を赤く染めた物・・・あるいは、それに似せて作った一種の被り物のような、衣類のような物です。
ヤクの毛自体は、後々、兜の飾りに使われたりもし、有名なところでは、武田信玄の兜の後ろ半分についてるフッサフサの白いヤツや、
石田三成のロン毛っぽいヤツ←(いらすとやさんの素材です)とか、
同じ赤毛では、維新の時の上野戦争の図→で描かれている政府軍の兵士(右の人)がかぶってたりすますが、
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とにかく奇抜で、この時代の戦場にはあり得ない、おそらく敵兵は初めて見る装束だったのです。
そのため、大内勢の兵士の中には、「神仏の出現か、魑魅魍魎・・・あるいは妖怪か?」と恐怖におののく者が数多くいたようです。
ましてや、そのわけのわからない集団に、いきなり二人の大将を討ち取られ、大内勢は大混乱におちいり、誰もが、われ先に戦線を離脱して行ったのです。
この状況を目の当たりにした少弐勢は、勢いを取り戻し、一気に反撃を開始!
見事、勝利を収めるのです。
この田手畷の戦いの大将であった龍造寺家兼は、この合戦での活躍で、大内氏に認められる事となり、結局は頼りない小弐氏に自ら見切りをつけて、大内氏に乗り換える事になります。
そして、その家兼の寝返りに怒った資元が、一族を騙し討ちに(1月23日参照>>)・・・ただ一人、生き残った家兼のひ孫が、やがて、かつての主君・少弐氏を倒す(1月11日参照>>)・・・それが、あの肥前の熊の異名を持つ龍造寺隆信です。
ところで、このいきなり登場した赤熊軍団・・・実は、肥前に住む小土豪・鍋島清久の率いる集団でした。
この合戦での活躍をきっかけに、清久は、農民に毛の生えた程度の低い身分から、正式に龍造寺の家臣として迎えられる事になるわけですが・・・鍋島という名前を聞いて、もう、お気づきの方も多いと思いますが・・・。
そうです、戦国の世を見事に渡ってのし上がり、江戸時代を通じて佐賀・鍋島藩としての地位を維持するあの鍋島です
その才知によって、この時主君となった龍造寺にとって変わるようになるのは、この清久の孫・鍋島直茂・・・。
先ほどの隆信に限らず、主君を武力で倒しての下克上が一般的な戦国の世の中で、直茂は「その才知によって主君をしのいでいく」という出世の仕方をする人なのですが、今日の赤熊軍団の逸話は、しっかりと孫へと受け継がれたDNAの片鱗を見せてもらったような気がしますね。
★鍋島関連のページ
●鍋島直茂の奇襲作戦~佐嘉城・今山の戦い>>
●生き残りをかけた鍋島直茂の関ヶ原>>
●佐賀・鍋島藩~化け猫騒動の真相>>
●戦国のゴッドマザー龍造寺隆信の母・慶誾尼>>
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