わずか半年の新撰組・初代局長~芹沢鴨
文久三年(1863年)9月18日、近藤勇の意を受けた土方歳三らによって、新撰組・局長の芹沢鴨が暗殺されました。
・・・・・・・・・
新撰組・初代局長=芹沢鴨・・・このかたはお気の毒なくらい、いつも悪役として描かれますね。
時代劇やお芝居なんかで、坂本龍馬が主役なら、新撰組は敵役・・・新撰組が主役なら、勤皇の志士は敵役・・・と、相場は決まってますが、この芹沢さんだけは、誰が主役であろうが悪役・・・。
実際のところは、背が高くて、色白で、なかなかの男前・・・しかも「尽忠報国之士芹澤鴨」と刻んだ鉄扇を常に持ち歩き、神道無念流の免許皆伝・師範役で、居合いも相当な腕前だったそうなので、おそらく志も高かった事でしょう。
ただ、モテるがゆえの女好きのせいで、瘡(かさ・梅毒)を患っていたようで、病気への恐怖を、お酒で紛らわすようになって、徐々に自暴自棄になっていったのかも知れませんね。
先日の松原忠司のページ(9月1日参照>>)でも、チョコッと書かせていただきましたが、この文久三年の初め、幕府は、3月に予定されている第14代将軍・徳川家茂の上洛に先駆けて京に上り、将軍上洛後にはその身辺警固をするための浪士組を募集します。
その呼びかけに答えて参加した水戸天狗党出身の芹沢さん。
ところが、いざ、京に着いてみると、浪士組の先導者であった清河八郎から「京に来たのは、将軍警固のためではなく、尊皇攘夷の先鋒となるため」という内容が発表され、老中・板倉勝静(かつきよ)は、慌てて浪士組に江戸に戻るよう命令します(2月23日参照>>)。
この時、浪士組に参加したほとんどの者は、清河とともに江戸に戻りますが、それに反発して京に留まったのが、芹沢を中心とする水戸一派・5人と、近藤勇の道場の門弟たち・8人の計13名でした。
その後、4名を加えて17名となり、壬生村の前川邸・八木邸・南部邸に分かれて宿を借りる彼らでしたが、幕府募集の浪士組とは別離したわけですから、当然無職・・・このままでは、生活していけません。
それで、「せめて、将軍が京に滞在する期間だけでも働かせて~!」という嘆願書を、京都守護職に就任したばかりの会津藩主・松平容保(かたもり)に提出・・・もともと尊皇攘夷の志士たちが暗躍する京の町の安全を何とかしたい容保は、彼らを会津藩の預かりとして、京の治安維持に当たらせる事にします。
会津藩・配下となった彼らは、さらに隊士を募集し、7月頃には総勢52人の団体となったうえ・・・
・士道に背くな
・局を離脱するな
・勝手に金策するな
・勝手に訴訟を取り扱うな
の禁令も決まり、芹沢・近藤の二人の局長のもと、「壬生浪士組」として再スタートしました。
あの八月十八日の政変(8月18日参照>>)では、御所の禁門(蛤御門)を警備し、その機動力と俊敏さが評価され、「新撰組」という名前もいただいて、一介の浪士から、華々しく歴史の表舞台に登場する事になります。
しかし、芹沢・近藤の二人の局長・・・というところからでもわかる通り、スタート当初から、芹沢派と近藤派の間には確執が存在していた中、ここに来て、事件が起こります。
もともと芹沢は、四条堀川の太物(ふともの)問屋・菱屋のお妾であるお梅を自分の妾にしたり、公家の姉小路公知(あねがこうじきんとも)のお妾を寝取ったりという女性問題もあったうえ、新撰組の軍資金を工面するのに豪商を脅してムリヤリ出させる・・・といった問題を、度々起していて、その度に、預かりである会津藩へ苦情が殺到していたのですが、とうとう、お金を出さない商家に大砲をぶち込んで火事を起してしまったのです。
しかも、その大砲は、会津藩の持ち物で、「町の治安維持のために」と、新撰組に貸し出していた物でした。
これでは、京の治安を守る京都守護職の会津藩自身が、京の治安を乱してしまう事になります。
たまりかねた容保が、先の新撰組内の確執を利用して、もう一人の局長・近藤に芹沢の暗殺を命じたのです。
文久三年(1863年)9月18日、副長の土方歳三は、「島原遊郭にある角屋(すみや)で、新撰組の会合兼宴会を開く」と言って、芹沢と彼の仲間・平山五郎と平間重助の三人を誘い出し、泥酔するまでお酒を飲ませます。
なんせ、冒頭に書いた通り、芹沢さんは免許皆伝ですから・・・。
さらに、土方と芹沢らは、屯所である八木邸に帰宅してからも飲み続け、普段は少々酔っぱらって酒乱にこそなっても、足にはくる事はない芹沢が、何度も袴の裾をふんずけてこけてしまうくらいに泥酔状態となって、ごきげんなまま、お梅とともにご就寝・・・。
残りの二人も、それぞれ馴染みの芸妓を部屋に誘い込んで爆睡します。
三人が寝静まったのを確認した後、土方と沖田総司は芹沢の部屋に・・・、山南敬助と原田佐之助が平山の部屋に・・・それぞれ息を殺して侵入します。
(*メンバーについては、諸説あり)
『新撰組始末記』によれば・・・
まずは沖田が襲いかかるも、即座に身をかわした芹沢が脇差で応戦・・・沖田は顔に負傷してしまいますが、その間に襲い掛かった土方が布団に芹沢の顔を押し付け、屏風越しに一突き・・・。
それでも起き上がった芹沢でしたが、なんせ泥酔状態で足が追いつかず、転がるように出た縁側で土方にとどめを刺されました。
この時、そばにいたお梅も、巻き添えで死んでしまいます。
この間に、一方の平山も首をはねられて死亡・・・ただし、平間は暗殺の対象外という事で命拾いしたようです。
思えば・・・
2月27日に、江戸にて結成された浪士組・・・(2月27日参照>>)
3月13日に、会津の配下となって新たなスタートを切った壬生浪士組・・・
8月18日の活躍で武家伝奏から新撰組の名を賜り・・・
そして9月18日・・・
天狗党での暴れっぷりで、その名を馳せた芹沢・・・
そんな彼も、京に上った時は、きっと大いなる志を抱いていたはず・・・
そんな自分が、わずか半年で、新撰組としての芹沢に終止符を打つ事になるとは・・・
果たして、聡明な芹沢にとって、これは想定の範囲内だったのでしょうか?
それとも、病という大きな壁に押しつぶされ、変わっていく自分を、誰かに止めてもらいたかったのでしょうか?
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コメント
こんばんは!
芹沢さんはモノによっては「悪役を買って出た」となったりしてますが、この人の真意はどこにあったんでしょうね。
イメージでは大河「新選組!」の佐藤浩一さん演じる芹沢ですねぇ。
絵が意外と上手だったり、子供の相手もしたりした芹沢さん。
ちょっと切ないですね。
投稿: 味のり | 2008年9月19日 (金) 23時49分
味のりさん、こんにちは~。
大河の「新撰組!」の佐藤浩一さんは、ホントにピッタリでしたね~
確か、お父さんの三国さんも、どこかで芹沢さんの役をやってやような気が・・・
男前でカッコイイ役者さんはいっぱいいるけど、ダーティなカッコ良さを演じきれる人は少ないですからね~。
もともとデキる人のようなので、こんな形での死は、ホント切ないです。
堺家定人気で、新婚部分をやけに長くやってしまった今年の大河・・・放送回数も、もう、残り少なくなってしまって、新撰組はどこまで描かれるんでしょうか?
大きくはしょられるような気がして心配です。
投稿: 茶々 | 2008年9月20日 (土) 10時06分
遅らばせながら、コメントさせて頂きます^^
芹沢鴨さん、個人的には好きな方の人物です。
やる事が大胆で親分肌で、結構隊士達からは好かれていたのではないでしょうか?
でも、絶対近づきたくはありませんけどね(笑)
害の及ばない遠くから見ていたい感じです^^;
「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、
新選組史を考えたとき、うまい処にうまく登場した人物ですね。
「鴨」の名前の通り鴨(鴨葱)にされちゃったし^^;
大河ドラマの「篤姫」に出てくるキーワード、
「役割」という言葉が妙にこの人に合うと感じる今日この頃です^^
投稿: ルンちゃん | 2008年9月20日 (土) 12時27分
ルンちゃんさん、こんにちは~
私も芹沢さん好きです~
>大河ドラマの「篤姫」に出てくるキーワード、「役割」・・・
そうでした(*゚▽゚)ノ
「女の道は一本道」とともに、忘れた頃にキーワードとして登場してましたね。
いつもは、極悪非道に描かれる井伊直弼も、この「役割」のキーワードで救われた感じがありました~。
芹沢さんも、このキーワードに似合う人かも知れませんね。
投稿: 茶々 | 2008年9月20日 (土) 16時55分