飛鳥より奥深い~彼岸花が咲き乱れる奥明日香
今日は、史跡巡りのお話・・・このブログのフォトアルバムで、いくつか写真をupしていますので、すでに見ていただいてる方もおられるかと思いますが、一年でこの季節が最も美しい奥明日香をご紹介します。
もちろん、「最も美しい」は私の勝手な意見で、四季折々、それぞれの美しさがあるのですが、やはり、秋の実りを待つ棚田に一面の彼岸花が咲き誇る9月下旬が最高に美しいのではないかと・・・
皆さんよくご存知の明日香村・・・あの高松塚古墳や亀石、そして飛鳥大仏の飛鳥寺や、聖徳太子の誕生の地として知られる橘寺・・・などなど、数え切れないほどの史跡・遺跡が点在する歴史好きでなくとも、心ワクワクする場所です。
有名な石舞台には、いつもたくさんの観光客の方が訪れていますが、今日ご紹介する奥明日香は、その石舞台から飛鳥川沿いに南に向かう上市古道の周囲にあります。
この上市古道は、明日香から芋峠を越えて吉野へ抜ける昔の重要な街道・・・持統天皇も、松尾芭蕉も、そして岡寺詣での多くの善男善女が通った道なのです。
そもそも、私がこの上市古道を歩きたいと思ったきっかけは、その持統天皇でした。
持統天皇は、あの大化の改新で有名な天智天皇を父に、天智天皇の弟で壬申の乱で後継者争いをする天武天皇(6月4日参照>>)を夫とする女帝です。
そんな彼女は、その人生のなかて合計31回、吉野へ通っています。
女の身で国家という思い荷物を背負って、思い悩んだ時、疲れて倒れそうになった時、彼女は、夫・天武天皇とともに、過ごした思い出の地・吉野を訪れたように感じます。
(くわしくは、2月27日:吉野の花見の意味は?>>>
12月22日:女帝・持統天皇の葛藤>>>をどうぞ)
すべての御幸で、この道を通ったかどうかはわかりませんが、やはり、当時、明日香⇔吉野間で一番整備されていたのがこの道だったでしょうから、おそらく、上市古道を通ったのではないかと・・・。
時には稲渕の棚田の秋の稔りを見ながら・・・、
時には栢森で飛鳥川を眺めながら・・・、
時には行者橋の美味しい水に舌鼓をうちながら・・・、
やがて到着した芋峠ではるか下界の飛鳥を振り返り・・・
彼女の吉野への旅はいつも特別な思いだったことでしょう。
私は、持統天皇が見た風景を見たくて、奥明日香へと向かいました。
だがしかし・・・
ガイドブックはおろか、ちゃんとした地図さえない、この場所に、「行けば何とかなるだろう」と見切り発車の現地入り。
結局、行けたのは石舞台から、栢森(かやのもり)まででしたが、この栢森から先は、バスもない山越えで、徒歩なら上市(かみいち)まで3時間以上かかるとの事・・・しかも、昼なお薄暗い写真(→)のような道が続きますので、やはり、上市まで制覇するとすれば、車のほうがオススメです。
しかし、石舞台から稲渕(いなぶち)を経て柏森までは、ぜひ徒歩で・・・
石舞台バス停から、石舞台を見物して、小高い丘になっている飛鳥歴史公園を越えると、そのふもとにあるのがマラ石・・・この名前から想像するその形をした石で、もとは垂直に立っていたとか・・・
このマラ石は、対岸のフグリ山と対をなす、子孫繁栄・五穀豊穣を祈る古代信仰の遺物だとされていますが、実際には何に使用された物かわからず、明日香の謎の石造物のの一つです。
そう、この奥明日香には、おそらく、仏教が伝わる以前に古代の日本人が信仰したであろう古代信仰が今なお息づいているのです。
毎年、成人の日には、男性のシンボルを象った男綱(おづな)が稲渕地区にて、1月11日には女性のシンボルを象った女綱(めづな)が栢森地区にて、綱掛け神事が行われるのも、土だけでも種だけでも作物は実らない、五穀豊穣と子孫繁栄を祈る古代信仰に基づくものでしょう。
話を、行程に戻しますが・・・
マラ石からさらに、南へ行ったところが稲渕・・・美しい棚田が広がり、9月の下旬には彼岸花が咲き乱れ、見事な風景です。 今年も、9月21日~23日の3日間、彼岸花まつりが開催され、期間中には、案山子(かかし)コンテストをはじめ、様々なイベントで大いに賑わいます(くわしくは「彼岸花まつり情報」で>>)。
そして、近くには、
♪明日香川
明日も渡らむ
石橋の
遠き心は
思ほえむかも♪
と万葉集にも詠まれた石橋(いわはし)が架かっています。
この石橋を渡って、恋人に会いにいった万葉人に思いを馳せながら、飛鳥川に沿って、さらに南へ・・・
日本最古の墓標とされる竹野王碑のあるる竜福寺を経て、南淵請安のお墓・・・この南淵請安(みなみぶちしょうあん)は、遣唐使として中国に渡った後に帰国して、人々に儒教を教えた人(10月11日参照>>)ですが、あの中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・後の天智天皇)と、中臣鎌足(なかとみのかまたり・後の藤原鎌足)が、この請安に教えを乞いながら、大化の改新と蘇我入鹿・暗殺計画を練った事でも有名・・・請安先生のお墓は、今も飛鳥川を見守るように鎮座します。
さらに、南に行くと、階段も長いけど名前も日本一長い飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社(あすかがわかみにますうずたきひめのみことじんじゃ)・・・実は、私がこの奥明日香を訪れた時、この神社で偶然お知り合いになったのが、神奈備の郷・活性化委員会「さらら」の皆さん。
皆さんは、町おこしの一環として、特産品のお店やボランティアガイドなどの活動を精力的に行われており、私も、この日、奥明日香について、イロイロ教えていただきました。
最近、この「さらら」の皆さんは、地元の特産品を食べさてくださるお店もオープンされました。
(くわしくは、このブログと相互リンクしていただいている「さらら日記」でどうぞ>>)。
いや、ホント、上記の通り、まともな地図も持たずに歩いていたので、お知り合いになれて助かりました~。
・・・と、そんな出会いもありつつ、柏森地区の飛鳥川に掛かる女綱へ・・・
女綱を過ぎると、柏森バス停はすぐです。
「さらら」の皆さんのアドバイスによれば、やはり、お昼頃までには、柏森を出発しないと、上市まで徒歩というのはムリらしく、この日は、すでに3時を回っていたため、芋峠越えはあきらめましたが、その分、柏森発→石舞台行きの最終バスまで、少し時間ができたので、柏森からもう少し先のゴラの滝まで行ってきました。
今回は行けませんでしたが、ゴラの滝のさらに向う、芋峠との間に架かる行者橋には、役行者(えんのぎょうじゃ)が飲んだおいしい水があるのだとか・・・
さぁ、季節は秋・・・もうすく、奥明日香は、彼岸花一色に包まれます。
皆さん、石舞台までで帰ってしまわれるのはもったいない・・・
今度の明日香観光は、文字通り明日香より奥深い奥明日香へ行かれてはどうでしょう。
ホームページではもっとくわしく、今回紹介しきれなかったすべての史跡についてご紹介しています。
よろしければコチラからどうぞ>>
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