「醤油の日」なので醤油の歴史
今日、10月1日は『醤油の日』なのだそうです。
日本醤油協会など、複数の関連団体が2003年に制定したのだとか・・・
その由来は・・・、
- 以前は10月が新しいもろみを仕込む時期であった事。
- その昔、醤油は、壷や甕(かめ)に詰められて運ばれていて、その甕の形から生まれた象形文字が酉であり、月を干支で表すと、酉の月は10月である事。
・・・なのだそうです。
ちょっと、ややこしい・・・
何となく10月はわかりますが、、なぜに1日なのか?という事は、今日のところは棚の上に置いとして、本日は例のごとく、醤油の日なので『醤油の歴史』を紐解いて参りましょう。
・・・・・・・・・・
とは言え、醤油の歴史は意外と新しい・・・
日本の文献に初めて「醤油」という文字が登場するのは、16世紀も終わりに近づいた慶長二年(1597年)に刊行された『易林本・節用集(えきりんぼん・せつようしゅう)』・・・この節用集は戦国の広辞苑といった感じの文書です。
この頃の醤油は、現在の醤油とはちょっと違ったもので、どちらかと言えば溜り(たまり)醤油のようなものではありましたが、やっとここに来て、味噌とはっきりと分かれて、醤油という名前が着いたという事で、汁物と吸物の区別がつくのもちょうどこの頃・・・。
そうです。
先ほど、醤油の歴史は意外と新しいと書かせていただきましたが、このように、はっきりと区別されたのがこの頃だという事で、その原型となる物は古くからありました。
中国は紀元前11世紀の周の時代に書かれた『周礼(しゅうらい)』には、醤(ひしお)というものが登場します。
また、紀元前6世紀の『論語』でおなじみの孔子さんも、「醤が手に入んなかったら食べたくない」なんて事を言っていて、もう、すでに、この頃には、お食事の友・・・何はなくとも江●むらさきみたいな重要な調味料であった事がうかがえます。
ただ、この中国の醤という物は、醤油というよりは、現在の塩辛に近いもので、しかも、材料は、鹿や鳥や魚といった動物性のものでした。
やがて、紀元前1~2世紀頃の漢の時代になると、大豆などの穀類を材料とする醤が誕生し、肉類よりも安価に作れる事から、徐々に穀類の醤のほうが主流になっていきました。
一方、その頃の日本は、ちょうど弥生時代・・・
おそらく、中国の醤が、朝鮮半島を経由して伝わったのでしょうが、日本には、その弥生時代以前の、縄文時代の頃から、すでに、果物や野菜・海草などを材料にした醤が存在していたようです。
やがて、それらの醤は、奈良時代頃には味噌となり、平安時代には、様々な種類の味噌を売る商店なども登場しますが(お味噌の歴史のページ参照>>)、このあたりで枝分かれして独自の発展を遂げるのが、秋田に伝わる「しょっつる」、能登半島の「魚汁(いしる)」などの魚を材料にした調味料や、富山の「かぶら寿司」、琵琶湖の「鮒ずし」などのなれ寿司です。
「しょっつる」や「魚汁」は、現在でも郷土料理として愛され、一方のなれ寿司も、ご存知のように、現在にそんそまま伝わるものと、おし寿司やにぎり寿司へと変化するものに枝分かれする事になります。
さらに、醤や味噌の製造過程で、桶などの底にたまる液体が、煮物の味付けなどにピッタリな事がわかり、これがたまり醤油の原型となり、こちらも枝分かれしていきます。
醤油という名称の由来は、醤の液汁(油)から醤油となったとか、中国でよく似たものを醤湯とか豆油と呼んでいたので、両方をミックスして醤油となったなど、いくつかの説があります。
やがて、室町・戦国の頃から、あの武田信玄に、溜りを献上して気に入られ、『川中島御用醤油』の役を命じられた下総(千葉県)野田の飯田市郎兵衛をはじめ、紀州(和歌山県)湯浅の赤胴右馬太郎、播磨(兵庫県)竜野の円尾孫右衛門などなど・・・醤油の醸造が本格的に行われるようになります。
しかし、このように民間レベルで発展した醤油は、幕府や大名の管理下に置かれた米とは、まったく別の流通経路であったため、米の3~4倍の高値で取引され、お酒よりも高い高級品だったそうですが、冒頭の文献初登場の慶長頃には、大坂を中心に専門店が軒を並べるようになり、やがて、首都が江戸に遷るににつれ、江戸へと、そして全国へと広がり、いつしかお味噌と並ぶ、日本の調味料となるわけです。
ちなみに、そんな醤油が外国人の口に入るようになったのは、ごく最近の事のように思われがちですが、どうしてどうして、あの太陽王として君臨したルイ14世も醤油が大好きだったんだとか・・・
戦国の日本にやってきたオランダ人たちによって、それは、ブルボン王朝のフランスにも届けられていたのだそうで、壷や瓶に入れ、木詮で密閉状態にして、はるばる船で運ばれた醤油は、さらに熟成されるうえ、もともと品質もよく、高価であった事が、よりセレブの心をくすぐり、当時の高級フランス料理には欠かせない調味料となっていたようです。
ところが、近代日本では、太平洋戦争直後の大豆不足からアミノ酸を混合させたり、スピード時代の波に乗ろうと速醸造の粗悪な醤油が多く造られた時代があり、その悪臭によって、海外からも、国内からも敬遠され、一時はそのまま衰退していくかのようになった事もあったそうですが、その状況はすぐに改善され、再び、長い年月をかけて熟成する品質のよいものが主流となって、現在は、ご存知のように、毎日の食卓に欠かせない調味料となっています。
もちろん、品質もバツグンです。
「あぁ。。。今夜は和食にしよう」
そして、はるか昔の醤の時代からの、長い長い旅の末にたどり着いた日本の味を、じっくりと味わってみようではありませんか。
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コメント
こんにちは、吉野と言います。
へーー、醤油にはそんなに長い
歴史があったんですね。
興味深いです。
素晴らしい記事で大変
参考になりました。
ありがとうございました。
また遊びに来ますね。
投稿: アミノ酸で若返り◆吉野ゆう | 2011年12月25日 (日) 13時48分
アミノ酸で若返り◆吉野ゆうさん、こんばんは~
また、遊びにいらしてください
投稿: 茶々 | 2011年12月25日 (日) 23時06分