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2008年10月26日 (日)

伊藤博文・暗殺~真犯人は別にいる?

 

明治四十二年(1909年)10月26日、初代総理大臣を務めた事でも知られる明治政府の中心人物の一人・伊藤博文が、ハルピン駅で銃弾に倒れ、死亡しました。

・・・・・・・・・・

この日、ロシア側と満州・韓国問題に関する非公式の会談を行う予定だった伊藤博文(12月22日参照>>)が、ハルピン駅に到着したのは午前9時でした。

東清鉄道の用意した特別貴賓車から降り立った伊藤を迎えたのは、ロシア蔵相ココフツォーフ

Itohirobumi600 駅のホームに、ピッシリと整列したロシア兵たちを、「どうぞご覧になってください」と蔵相が伊藤に促し、伊藤は彼ら一人一人に目を向けながら、ゆっくりとその前を歩き始めました。

その時です!
いきなり、その場に倒れ込む伊藤・・・身体に撃ち込まれた3発の銃弾は、すべてが致命傷でした。

撃たれた伊藤は、再び貴賓車に運ばれ、その場にいた医者の手当てを受けますが、見る見るうちに血の気が無くなり、30分後に死亡します

逮捕された犯人は、安重根(アンジュングン)という韓国人の青年・・・ロシア兵の兵列の間から突き出した銃での狙撃でした。

すぐに、日本に護送された彼への尋問は、10月30日から翌年の1月まで続きました。

彼の自供によれば、その動機は「個人的恨みからではなく、国を思っての行為」・・・つまり、この時期に推し進められていた日韓併合を阻止するために、朝鮮半島政策を提唱する伊藤を襲ったというのです。

結局、大政治家の暗殺犯として処刑された彼ですが、祖国では英雄・・・。

この時代は、日本だけでなく、アメリカもフィリピンの支配を、イギリスもインドの支配を推し進めていた時代で、韓国内には、安重根のような反対派もいれば、14万人の会員を持つ一進会という親日の組織もあり、この日韓併合の問題は、とても複雑・・・右に左に意見が別れる中、未だ不勉強な私が、安易に語るべき問題ではないと考えますので、それにつきましては、専門家の方のサイトなり著書なりを見ていただくとして・・・、

本日は、ひょっとしたら、伊藤博文・暗殺犯は安重根ではないかも知れないというお話をさせていただきます。

それは、この日のハルピンのホームで、伊藤のすぐ後ろを歩いていた貴族院議員の室田義文の証言・・・彼によれば、「安重根が撃ったのは自分であり、伊藤を撃ったのは別の銃である」というのです。

確かに、彼は膝に銃撃を受けていて、着ていたコートにも数個の銃弾の跡があったのだそうです。

そして、安重根の持っていた銃はブローニング式七連発銃という物だそうですが、そのうち6発を、兵列の影に隠れるようにしゃがんで撃ったとされています。

しかし、伊藤の体に撃ちこまれたのは、フランス式の騎馬銃で、弾痕は右上から左下へと入っている・・・つまり、上から狙われたのだと・・・

ただし、これは、その室田の証言のみ・・・公式の記録には、弾痕の角度も弾の種類も記録されていないのです。

とにかく、伊藤博文という明治政府屈指の人物の暗殺事件でありながら、なぜか、現場検証がかなりの手抜きっぽいのです。

そのため、この事件は様々な憶測を呼ぶ結果となってしまいます。

かの室田さん自身は、「犯人はロシア兵だ」との考えだそうですが、それ以外にも、安重根の単独犯行ではなく、他にも韓国人の仲間がいて、その者の撃った弾が伊藤に命中したのだとの推理もあります。

さらに、その場にいた日本人の軍人だという意見も・・・。

一般的には、韓国併合を強く推し進めていた感のある伊藤ですが、実は、実際の彼の考えは、併合は併合でも、ゆるやかな支配を考えていたとも言われ、強い支配を主張する軍人からは、伊藤ではぬるいとの意見もあったのだとか・・・

果たして真実はいかなるものなのでしょう。
もはや、迫るすべはないのでしょうか・・・
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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

茶々さん、こんばんは!

ども、おひさしぶりです。

今回の記事については、僕も記事にしちゃったので、よろしくトラックバックさせて下さいませ!

投稿: 御堂 | 2008年10月26日 (日) 23時15分

うっ、ごめんなさい…アドレス間違えてしまいました。こちらの方です!

歴史~とはずがたり~
http://sans-culotte.seesaa.net/

投稿: 御堂 | 2008年10月26日 (日) 23時19分

御堂さん、こんにちは~

トラックバック&コメント、サンクスです。

投稿: 茶々 | 2008年10月27日 (月) 13時03分

通説では、安重根という朝鮮人が、博文を射殺したとなっていますが、真犯人が別にいるかもしれないとすれば、まさしくミステリーですね。話が逸れてしまいますが、博文は、島田一郎・長連豪・脇田巧一・杉本乙菊・杉村文一・浅井寿篤の計6名の不平士族に、暗殺の標的とされたようですね。ただし、一郎らは、明治11年5月14日に、大久保利通暗殺事件=紀尾井坂の変を引き起こした後は、敢えて自首した上に、明治11年7月27日に、一郎らが死刑になったことで、その時点では、博文は命拾いをしましたが、まさか博文自身が、利通の死から31年後に、暗殺されるとは思わなかったのではないでしょうか。

投稿: トト | 2015年8月19日 (水) 11時53分

トトさん、こんにちは~

明治維新は、もんすンごい改革でしたからね~
力づくで抑え込まねばどうしようもない部分もありましたから、不満を持っていた人も多数いた事でしょうね。

投稿: 茶々 | 2015年8月19日 (水) 15時27分

茶々さん、こんばんは。
右翼の中にはロシアが殺したと言っていますが、そうしますとロシアの大蔵大臣は罷免されますし、真面目なニコライ2世が徹底調査を決めるでしょう。
だから私は安重根の仕業だと思います。
当時日露は協力しています。その代表者の伊藤を殺すとは思えませんし、日露戦争の英雄が日本に多数残っていますので、迂闊に手を出せないし、皇帝は平和の方が好きでしたから・・・
ところでニコライ2世の子女は殺される前に逃げているみたいです。とすると逃げてきたのも満州です。何故シベリア出兵が長くなったヒントになるかもしれません。

投稿: non | 2016年3月13日 (日) 20時40分

nonさん、こんばんは~

色々と取り沙汰されてますね。
謎は深いです。

投稿: 茶々 | 2016年3月14日 (月) 02時45分

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