大阪城~多聞櫓と千貫櫓の特別公開
昨日、11月1日~3日までの3日間に限り行われる大阪城の多聞櫓(たもんやぐら)と千貫櫓(せんがんやぐら)の特別公開に行って参りました~
何度も訪れている大阪城ですが、櫓の中に入るのは初めて・・・わくわくドキドキです。
【昭和の大阪城天守閣・復興】のページ(11月7日参照>>)で書かせていただいたように、現在の天守閣は昭和六年(1931年)に市民の寄付で再建された物ですが、今回の2つの櫓はともに徳川時代の物で重要文化財に指定されています。
どちらも、大阪城の大手口(★印のところ)に並んで建っていて、建物はいつでも見られるのですが、もちろん、普段は中に入れません。
大阪府庁前の広々とした大手口からお堀を渡って、大手門をくぐると、前方は大きな石垣で行き止まり・・・そこをほぼ直角に曲がったところにあるのが多聞櫓です。
多聞とは、石垣の上に造られた長屋の建物の事で写真でお解かりのように、下部が門のようになっています。
古地図には、この大手口だけでなく、京橋口や玉造口、天守閣の北側の山里丸や、同じく南側の桜門などにも多聞があった事が書かれていますが、現在残っているのは、この大手口のものだけ・・・。
この建て方のものを多聞と呼ぶのは、かの松永久秀が築いた多聞城(12月26日参照>>)に、初めて、久秀デザインの、この建て方の櫓を設置したところ、その防御の高さと、見た目の美しさに感激した織田信長が自身の安土城にも同じものを建築し、そこから、この方式が大流行・・・で、多聞と呼ばれるようになったと言われています(12月26日参照>>)。
久秀は信貴山城にも、初めての本格的な天守閣を建てた人で、なかなかの築城名人です・・・それも、信長さんにマネされちゃってますが・・・。
まずは、大手口から侵入してくる敵を迎え撃つのがこの多聞の役目・・・大手口から入って正面の行き止まりの石垣の上に建つのが続櫓(つづきやぐら)で、この続櫓の窓からは、写真を見てわかる通り、大手口に向かってくる兵士がまさに真正面!
窓の下には、鉄砲のための穴が設けられていますから、やはり、ここから撃ったんでしょうかねぇ~ここから狙われたら、ホントひとたまりもありませんわ。
大手口側に窓と銃口の穴、廊下を挟んで反対側には9畳~12畳の部屋が六つ・・・ここに、多くの兵士が駐屯できるようになってます。
写真右側が窓、左側に部屋があります
そして、直角に曲がったところにある、鉄製の櫓門の真上にあたる部分の渡櫓(わたりやぐら)には、壁際に長方形の隙間が開いています。
これは、槍落し・・・その名の通り、ここから門を通過しようとする敵に向かって槍を落としたのです。
そう言われてから、もう一度、櫓の屋根を見ると確かに隙間が開いてますが、言われなければ気づきませんねぇ・・・
この多聞櫓は、もちろん徳川幕府が誕生して豊臣時代大坂城をすっぽりと覆いつくして再建した時に造られたのですが、その初代の物は天明三年(1783年)の落雷で消失してしまって、長く、石垣だけの状態になっていました。
それが、再建されたのが嘉永元年(1848年)・・・ペリー来航のちょっと前・・・って事は、そうです!
今年、旬の14代徳川家茂さんも、15代の徳川慶喜さんも、この多聞櫓をくぐって大坂城に入ったんですよね~感激です~。
そして・・・多聞櫓を出て、塀づたいに、次は千貫櫓へ・・・
千貫櫓は、昭和三十四年(1959年)の解体修理の時に、柱の土台付近の木材に元和六年(1620年)9月13日の文字が確認され、徳川幕府による大坂城築城工事の第一期に建てられた事がわかります。
ただし、その歴史はもっと古く、織田信長が石山本願寺との合戦の時に、ここに建つ櫓をせめあぐね「千貫文の賞金を出してでも奪いたい」と言った事から千貫櫓と呼ばれるようになったそうで、この場所に千貫櫓と呼ばれる建物は、豊臣の時代からあったであろうという事です。
この千貫櫓の中は、周囲が、ロの字型の廊下になっていて、真ん中が部屋っぽくなってます。
この周囲の廊下の事を武者走りと言うそうですが、この床がおもしろい・・・
階段が写っている写真・・・この階段に向かって、右がその武者走りで左が部屋なのですが、アップの写真(↓)の敷居で別れた左と右の床の違いがわかりますか?
武者走りのほうが、なんだかボコボコになってます。
クリックして拡大してみて↓
これは、棒のような物、あるいは石のような物で、トントンと叩いて、わざとヘコませてあるんです。
もちろん、武者が走るので転ばないよう、スベリ止めのためです・・・これをしころと言うそうです。
確かに、くつしたでもぜんぜんスベリませんでした。
それにしても、外観から見る限りでは、さほど大きくも見えない両櫓ですが、中に入ると意外に広いのに驚きました~。
多聞櫓と千貫櫓の特別公開は、まだ、今日と明日の2日間行われますし、これからも、たびたび公開されるようですので、機会がありましたら、皆様も、ぜひ・・・
新たな大阪城の魅力が発見できますよ。
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