父は長柄の人柱~大阪の昔話より
今日は、一つ、大阪に伝わる昔話「長柄(ながら)の人柱」をご紹介したいと思います。
このお話は、確か・・・(ずいぶん前の事なので、はっきりとは覚えてないんですが)、「キジも鳴かずば」というような題名で、まんが日本昔ばなしでもやっていたように思いますので、お話の内容自体は、ご存知のかたも多いと思いますが、私が聞いた題名は、上記のちょっと怖い題名でしたね。
小さい頃、この昔話を初めて聞いた時は、『人柱』という言葉がしばらく頭からはなれなかった記憶があります。
・・・・・・・・・
昔、都が京になってまもなくの頃、淀川には橋がなく、舟で対岸を行き来していたのですが、朝廷から橋奉行に、橋をかけるよう命令がくだります。
奉行は、日本国中の大工を集めて工事にとりかかりましたが、なかなか思うようにはかどりません。
やっと途中までできたかと思うと、また流されてしまうということが何度かありました。
四苦八苦しているところへ、どこからともなくやってきた巫女が言うには・・・
「これは竜神様の祟りじゃ。竜神を鎮めるためには、人柱をささげよ」
との事でした。
以前、仁徳天皇の茨田堤(まんだのつつみ)の治水工事(6月25日参照>>)の時にも出てきましたが、人柱というのは、人間を生きたまま川に沈めて神様にいけにえとしてささげるということです。
近辺の、長柄、豊里、吹田の村長たちが集まって、人柱をたてるのか?、たてるなら誰にするのか?、いろいろ話し合いましたが、人の命に関わる事ですからそう簡単には結論が出せません。
そんな時、垂水(現在の吹田市)に住む長者の磐氏(いわじ)という男が、工事がいっこうにはかどらない事にイライラして文句を言いにやってきました。
みなが、人柱の事でたいそう悩んで、決めかねている事を話すと・・・
「そんなもん簡単や!はかまの股のとこにツギあててるヤツにしたらええ。そんなカッコ悪いことしてるヤツは、ろくなヤツやあれへん!」
皆は、思わず顔をみあわせて、お互いの格好を見比べました。
すると、役人や、工事の人間や、近所の村人やら、そこに大勢いる中で、たったひとり、はかまの股の所にツギをあてている者がいました。
いいだしっぺの磐氏でした。
磐氏は、その場で役人に連れていかれ、次の日には、重しをつけられて、川の真ん中に沈められました。
すると、なぜか工事はとんとんびょうしに進んで、まもなく立派な橋が完成しました。
その磐氏には、光照前(てるひのまえ)という美しい娘がいたのですが、母親は磐氏が死んでからというもの、毎日のように・・・
「お父さんはいらんこと言うて、人柱にされてしもた。
あんたはこれからは、言わんでもええことをうっかりしゃべってはあかんよ。
くれぐれも気ぃつけるように」
と泣きながら言い聞かせていました。
それからというものは、光照前は人前であまり物を言わない娘になりましたが、その美しさに「ぜひ嫁に欲しい」という人がいて、娘は枚方(ひらかた)の長者と結婚しました。
しかし、嫁に行った先でも、「はい」と「いいえ」しかしゃべらない光照前に、とうとう舅が怒りだし「そんな嫁はいらん!実家へ帰ってくれ」という事になってしまいました。
しかたなく夫は、光照前を馬に乗せて、実家の方へ向かいました。
すると、淀川沿いのアシの原でふいにキジがキッキーッと鳴き、夫は持っていた弓に矢をつがえ、、キジが飛び上がったところを狙い、うまく仕留めました。
その光景を見た光照前は、涙を浮かべながら、一首の歌を詠みました。
♪ものいわじ(磐氏) 父は長柄の 人柱
キジも鳴かずば うたれざらまし♪
(父の磐氏はよけいな事を言ったばっかりに人柱にされてしまった・・・キジも鳴かなかったら撃たれなかったのに・・・)
夫はその歌を聞いて光照前が、しゃべらなかった理由を知り、むしろ「今までその苦悩をわかってやれなくてすまなかった」と、謝ったのです。
そして、実家に返さず、そのまま、再び、自分の家につれて帰り、その後はふたり仲むつまじく幸せに暮らしたという事です。
現在、大阪のドまん中を南北に走る天神橋筋が淀川を渡るところに、その長柄橋がありますが、磐氏が人柱になった頃の橋は、現在の橋より、もう少し北にあったという事です。
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