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2008年12月29日 (月)

古式ゆかしい正月行事と初詣の起源

 

いよいよ、お正月の準備に忙しい年の暮れとなりました。

・・・という事で、本日は、その古式ゆかしいお正月の行事初詣の由来・起源について書かせていただきます。

ただし、何度もお伝えしております通り、お正月の行事は、ほとんどが、日本に仏教が伝わる以前からある民間信仰で、その後の神道や仏教の普及によって形を変えたり、あるいは統合されたりという紆余曲折を繰り返して、今に伝わるものですし、地方によって、その伝わり方も異なりますので、あくまで、諸説あるうちの一つという事をご理解下さい。

そもそも、初詣とは・・・

お正月に初めて神社仏閣へ参拝し、一年の無病息災・家内安全・平安無事などを祈る事で、除夜の鐘を聞いてから参るのが一般的ですが、この社寺にお参りする初詣が、いつ頃から庶民に定着したのかは定かではありません。

・・・と言っても、東京なら明治神宮大阪なら住吉大社京都なら伏見稲荷石清水八幡宮八坂神社・・・などなど、有名な社寺への初詣というのは、少なくとも電車などの交通機関が発達してから・・・というより、これは、完全に、近年の鉄道会社の宣伝のたまもの・・・

わざわざ電車に乗って、有名な場所へ出かける民族大移動で、鉄道会社は、かなり儲かりますからねぇ・・・

だからと言って、有名社寺への初詣を否定しているわけではありませんよ。

お菓子メーカーの思う壷とわかっていても、バレンタインデーにチョコレートを貰えばうれしいものですし、あげる側だってワクワクします。

それで、お互いの心にやさしい風が吹くのなら、思う壷にハマるのも悪くはありません。

平賀源内が考えた夏のウナギ屋の救済広告「土用丑の鰻」(7月30日参照>>)だって、食べた事で、何となく元気になれるのであれば、それはそれでOKですからね。

何たって初詣は、おみくじを引いたり、破魔矢(はまや・この破魔矢も平賀源内が考えた広告です)(10月23日参照>>)を戴いたり、中には振る舞い酒のサービスをしてくださるところもあり・・・と、それは楽しいものです。

・・・・・・・・・・・

そもそも、お正月の一連の行事は、以前、【お歳暮の由来】(12月20日参照>>)で書かせていただいた通り、年神様というお正月にやってくる神様をお迎えするために行うもの・・・。

まだ、時計もなく、暦も定かでない時代は、一日の終わりは日没で、一年の終わりも、その年の最後の日の日没・・・ここから、新しい年の神様を迎え、神様とともに過ごすお正月が始まるわけです。

今では大晦日の夜にあたるその夜に、神棚に鏡餅を供え、お神酒、燈明をあげた後、賑やかな膳を用意し、人はその前に座り、年神様を待ちます。

やがて、真夜中、神様が門松(のぼり)をより所に降りてくると、お神酒・お供物を下げてともに宴を催して、一晩中、家族で雑談を交わしながら過ごします。

この神様に供物を供えてから、その供物を家族そろっていただく事を「トシをトル(トシトリ)と呼びました。

やがて、夜が明けると、主人または長男が若水を汲み、奥さんがその水を、昨夜から一晩中絶やさずにいた炉の火(万年火)で沸かし、皆でお茶(福茶)を飲みながら、やはり神様にお供えしていた柿や栗・みかんなどを下げていただきます。

これが、今のところ一番、古い形であろうお正月の神様を迎える作法です。

また、地方によっては、「トシトリ」で、一晩中、自宅で徹夜する代わりに、鎮守や氏神様に詣でて、社殿で一夜を過ごす「トシゴモリ」というのを行いました。

この「トシゴモリ」初詣のルーツと思われます。

いずれにしても、「この夜は遅くまで起きていればいるほど長生きする」という観念は、共通のようです。

なるほど・・・それで、ウチの母も、日頃は「早く寝なさい」と言うのに、この大晦日だけは、紅白を見終って、そのあとの「ゆく年くる年」を、まだ見てても、何も言わなかったのですね。

Dscn6051a160 私の家は、「おけいはん(京阪電車利用者の事)・・・この夜、京阪電車は一晩中走ります。
←伏見稲荷:稲荷山頂上付近

沿線には、八坂神社・伏見稲荷・平安神宮・下鴨神社・成田山不動尊と初詣の名所が目白押し・・・石清水八幡宮なんてケーブルカーまで徹夜で運転してくれて・・・何か、心踊りますね~。

とにもかくにも、初詣は、不況になるほど人出が増えるという事なので、百年に一度の大不況と言われている今回は、さぞかし沢山の人で賑わう事でしょうね。
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コメント

茶々さんの言うとおり沢山のお参りがあると良いですけどね。交通機関の発達でみんな地元の神社へ参らず、遠出してまで有名大社へお参りに行くのは如何なものでしょう。有名大社への参拝も結構ですが先ずは地元の氏神様にお参りするのが本義ですからね。あと破魔矢などの縁起物や神札など授与品は買う物じゃなく受ける・或いは授かる物です…恐れ多くも神前でお祓いをし、神様の御神威を宿しその霊力で魔を退散させる破魔矢や神様の御分霊そのモノとも言える神札などは、売り買いする一般商品とは違います。最近では神主の中にまで、お守りを売っただの、お札をかってもらっただの平気で使う人が増え腹立たしく思っています。でも、神事に造詣の深い貴女なら僕が言うコトをご理解戴けると思いますので、今後は破魔矢(神札)を受けるってな言い方をしてくださいね。

投稿: マー君 | 2008年12月29日 (月) 08時23分

こんにちは。お餅やお飾りは、よく母が「一夜飾りは良くないから」と30日までに飾っていました。
そうか、歳神様に奉げるなら、大晦日の夜がいいですね。子どもの頃は近所の神社にも大晦日の夜にお鏡さんをあげに行ってたし。
今は私の住んでいる地域には、一足延ばさないと神社もお寺もありません。よってお祭りもなし。寂しいものです。
毎年初詣に、一足も二足も延ばして遠出する我が家。今年はどこでお守りを受けてこようかな。でもどこへ行っても、混雑する神札授与所、今年も頑張るぞ~、と初気合!(o^-^o)

投稿: おきよ | 2008年12月29日 (月) 09時33分

こんにちは、はじめまして。
諸説、なるほど納得ですね。
なかなかこのようなためになるブログには出会わないので今日の私はついてるかな?とうれしくなってしまいました。また、訪問してみたいと思います。今日もいい日に、ブログランキング応援していきます。

投稿: 領収書 | 2008年12月29日 (月) 11時57分

一般的には鏡餅は28日に飾ります。明治以前の太陰暦では31日は存在しなかったので30日に飾りますと、一日飾りになっちゃうので避けました。また29は二重苦に通ずるところから避けましたので必然的に28日に飾り付ける様になりました。然し僕の実家の隣の集落では29をフクと読ませ、その日に突く餅は福餅だナンテ言って、鏡餅は29日に突くって言い伝えが残ってます。

投稿: マー君 | 2008年12月29日 (月) 14時08分

マー君さん、こんにちは~

そうですね・・・
この年神様をお迎えする形の正月行事は、太古の昔から存在するようで、その後に、暦や陰陽道が入ってきて、さらに、神道や仏教と相まって様々な言い伝えが織り込まれますから、地方によって、そのしきたりも様々なようです。

>破魔矢や神様の御分霊そのモノとも言える神札などは、売り買いする一般商品とは違います・・・

おっしゃる通りです~スミマセンです。
「破魔矢が平賀源内の提案」ていうのを書いちゃってるもので、つい・・・
「売る」「買う」と言っちゃいました~

投稿: 茶々 | 2008年12月29日 (月) 15時51分

領収書さん、コメントありがとうございました。

また、時々、訪問してくださいね。

投稿: 茶々 | 2008年12月29日 (月) 15時53分

おきよさん、こんにちは~

>よく母が「一夜飾りは良くないから」と・・・

そうですね、今では、そう言って28日頃に飾るところが多いですね。
そのような言い伝えはいつ頃から登場するのでしょうね。

以前の「お歳暮の由来」のところでも書かせていただいたように、もともとお歳暮も、分家から本家の年神様にお供えしてもらうために大晦日に持っていったお供え物というのがルーツのようですから、大昔は、たぶん、大晦日に飾っていたと、私は思っているのですが・・・

やはり新しく入ってきた宗教などの影響なのでしょうかねぇ・・・。

投稿: 茶々 | 2008年12月29日 (月) 16時00分

茶々さんご無沙汰です。

 (年神様)ってとっても親しみがあって
 好きです。
  神棚もない我が家ですが、、気持ちよくお見送りして、新しい年神様に喜んでおいでいただけるよう、今日は、気持ちをこめて
キッチンに立つことにします。
 初詣は車で10分足らずの板橋不動へ毎年行きます。重文の3重塔がステキです。

 また来年もよろしくお願いします。
 良いお年をお迎えください。

投稿: エコリン | 2008年12月30日 (火) 15時38分

エコリンさん、こちらこそご無沙汰しております。

わが家も神棚はありませんが、お正月というものは、いつもと変わらない午前0時なのに、何かが違うこの雰囲気が、何ともたまりません。

この雰囲気だけは、時代が変わっても受け継がれていってほしいですね・・・

エコリンさんも、よいお年をお迎えください。

投稿: 茶々 | 2008年12月30日 (火) 15時59分

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