天空の城!日本のマチュピチュ~竹田城・登城記
早速、昨日行ってきた竹田城のご紹介です。
竹田城は兵庫県朝来市にある山城・・・その歴史は、嘉吉年間(1441年~43年)に始まります。
藤和峠より:upにすれば、手前から2番目右の山上に石垣が確認できます・・・山が美しすぎて・・・。
あの山名宗全(持豊)の命で家臣の太田垣光景が築城しましたが、その時代は、城というより砦に近いもので、現在残っている石垣などは存在しませんでした。
やがて、永禄十二年(1569年)、織田信長の命で但馬(たじま・兵庫県西部)への進攻を開始した羽柴(豊臣)秀吉によって生野銀山をはじめ周囲の支城が次々と落とされ、太田垣氏は毛利の傘下となって、毛利の支援を得て秀吉に対抗しようとします。
しかし、天正八年(1560年)、羽柴軍の攻撃によって城は陥落し(10月23日参照>>)、太田垣氏による竹田城の支配は終ります。
秀長が城代として、城の整備をするとともに、桑山重晴が城主となった後、天正十三年(1585年)には、四国征伐に功績のあった赤松広秀が城主となります。
この頃が、竹田城の規模が最も大きく栄えた頃なのですが、その広秀が、あの慶長五年(1600年)の関ヶ原の合戦に西軍として参戦した後に東軍へと転身しましたが(10月5日参照>>) 、最終的に自刃に追い込まれ、竹田城は廃城となってしまいました(10月28日参照>>)。
なので、現在の石垣のほとんどはこの関ヶ原の合戦の頃に、近江穴太(あのう)衆の手によって、穴太流石積み技法(のづら積みの一種)で構築されたものです。
北千畳から天守台を見上げる感じもなかなかマチュピチュってます。
ただし城跡からは、もっと古い年代のものも発掘されており、この竹田城は、いくつもの時代によって、たびたび構築された複合遺跡であるという事で、他の時代も特定できる、さらなる発見が期待されています。
この竹田城の魅力は、何と言っても、戦国の山城特有の迷路のように張りめぐらされた複雑な侵入路を作り出す石垣の美しさ・・・。
そして、円山川から立ち昇る霧によって発生する雲海の中に、石垣が浮かび上がるところから、天空の城とも呼ばれ、その風景は、まさに日本のマチュピチュです。
(マヤのは写真でしか見た事ないですが・・・)
雲海の条件は、秋から冬にかけての昼間と夜間の温度差が激しいよく晴れた日・・・朝8時までくらいです。
観賞ポイントは3箇所・・・
- 一つめは藤和峠・・・(上記1枚目の写真)
北近畿豊岡自動車道・播但連絡道路の和田山ICから、国道312号を南下、2つ目の信号を右折し、途中にある「竹田城跡←」を左折せずに直進、途中で2手に分かれる道を「藤和」方面へ・・・
こちらは、城跡には少し距離がありますし、朝は完全に逆光になってしまうようで、肉眼では、山の上にシルエットのような感じでしか見られませんでした・・・しかし、高さは、竹田城より高いので、雲海はキレイで、高性能のカメラなら、すばらしく美しい写真が撮れそうです。(峠の頂上に、待機場所のような駐車場あり)
- 二つめは立雲峡・・・(上記2枚目の写真)
北近畿豊岡自動車道・播但連絡道路の和田山ICから、国道312号を南下、4つめの信号を左折(立雲峡の看板あり)、さらに山道を登ると「立雲峡→」の看板があるので指示通りに右折すると10台以上は止められそうな、余裕の駐車場があります。
城跡との距離はだんぜんこっちのほうが近いです・・・ただし、こちらは、駐車場の場所は竹田城より低いので、雲海をバックに上からの景色を見たいなら、徒歩でさらに上まで登らなくてはなりません。
途中途中で、お城がキレイに見えるポイントがあるので、気に入った場所があれば、そこまででいいのですが、一番上まで行くとすれば約1時間ほど登らなくてはいけません。
- そして、やっぱり城跡・・・
ここは、先ほどの藤和峠への道の看板通りの場所を左折すれば、あとは道なりで駐車場に到着します。
駐車場からは、徒歩10分くらいで城跡に到着します。
中央にある天守台から南千畳を見下ろすのが、最も有名なアングル・・・マチュピチュのように見える箇所です。(下記写真4枚目)
もちろん、時間に余裕があって、足が丈夫なら、城跡へは本来の上り方・・・徒歩での登山がベストな事は言うまでもありません。
その場合は、地図の「文」のマークの竹田小学校から(徒歩50分)と、JR竹田駅から(700m)の二つの登山口があります。
とにかく、周囲の山々が美しい・・・!
とても感激しました・・・まさに、天空の城、マチュピチュです。
*フォトアルバムには、別アングルの写真を4枚upしています・・・コチラからどうぞ>>(写真の右上の【次へ>>】をクリックすると2枚目の写真に移動します)
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コメント
お帰りなさい。そしてお疲れ様でした。
朝霧に浮かぶ城跡、かっこいい~!一枚目の写真ステキですね。
穴太積みって奥が深いようですね。ぜひ近くで見てみたいものです。
投稿: おきよ | 2008年12月21日 (日) 10時00分
おきよさん、コメントありがとうございます。
朝早く出かけた甲斐がありました~。
アッという間に、朝霧は消えてしまいましたが、ギリで雲海に浮かぶ古城を見る事ができました!
投稿: 茶々 | 2008年12月21日 (日) 21時48分