土佐・一領具足の抵抗~浦戸一揆
慶長五年(1600年)12月5日、関ヶ原の合戦後に土佐で勃発した、長宗我部氏の残党による浦戸一揆が平定されました。
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慶長五年(1600年)9月15日、あの天下分け目の関ヶ原の合戦は東軍・徳川家康の勝利に終りました(9月15日参照>>)。
その時、土佐(高知県)一国を領地としていた長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)は、家康からの東軍へのお誘いに、「OK!」の返事を出したものの、使者が途中で捕まってしまったために、その手紙が家康の元へは届かず、西軍の毛利秀元や吉川広家、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)らとともに、美濃南宮山に布陣・・・つまり、西軍として合戦に参加していたのです。
広家が、すでに家康に内通していた事で、その南宮山に布陣していた西軍は、実際には合戦に参戦する事なく終ってしまうわけですが、西軍として現地に行った事は事実、そして、その西軍が負けた事も事実・・・。
それでも、家康は、最初のうちは、その盛親に対して、土佐一国を安堵するつもりでいたようなのですが、その戦後の交渉中に、交渉の窓口となっていた兄・津野親忠(つのちかただ)を、盛親が殺害するという事件を起してしまい、これに激怒した家康は、即座に土佐を没収し、盛親は浪人となってしまいました(5月15日参照>>)。
そして、家康の命を受け、その土佐20万石の新たな領主となったのが、掛川5万石からグ~ンと跳ね上がった山内一豊(やまうちかずとよ)でした。
しかし、その一豊の前に、まずは、本拠地の浦戸城を明渡していただかねば・・・という事で、その受け渡し役となった井伊直政は、この11月、先発隊として家臣の鈴木平兵衛(へいべえ)と松井武大夫(たけだゆう)を派遣し、一豊側からは、弟の康豊(やすとよ)が現地に向かいました。
しかし、その浦戸城には、盛親の旧・家臣たちが居座り、彼らの入城を拒みます。
実は、関ヶ原の後、すぐに土佐に帰った盛親は、関ヶ原が負け戦となった事で、この先、危うくなるかも知れない事を感じ、もしもの事があれば籠城作戦を決行する準備を整え、家臣らに指示していたのです。
それでも、酸いも甘いも噛み分けた老臣たちは、「もはやこれまで」という事を察し、いさぎよく城を明け渡す覚悟でしたが、血気盛んな下級武士たちは、あくまで抵抗する姿勢を崩しません。
しかたなく平兵衛らは、近くの雪蹊寺(せっけいじ)に入り、作戦の練り直しをするのですが、その間にも、状況を聞きつけた一領具足(いちりょうぐそく)たちが、土佐中から続々と城に集まってきて、城内の士気は高まるばかりです。
一領具足とは、その単語の直訳は、「甲冑ワンセット」という意味ですが、以前、四万十川の戦い(7月16日参照>>)でも書かせていただいたように、ここでは、土佐一帯に散らばる半兵半農の人たちの事を言います。
「すわ!と言えば、鎌・鍬(すき)を投げ捨て走り行き、鎧一領にて差し替えの領もなく、馬一匹にて乗り換えもなく、自身走り回りければ、一領具足と名付けたり」と『土佐物語』にあるように、ワンセットの甲冑だけを持ち、いざという時には戦闘集団となる農民たち・・・そんな彼らは、先代の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の四国統一にも大いに貢献した命知らずのツワモノ揃いだったのです。
さらに、彼らにはあとがありません。
正式な武士ならば、新たに領主となった人物の傘下に入る事も可能ですし、他家に仕官するチャンスもありますが、彼らは、その上司が長宗我部氏でなければ、ただの農民ですから・・・。
やがて、竹内惣右衛門(そうえもん)をボスとする集団は、「土佐一国なんていう贅沢は言わへんけど、せめてほんの少しだけでも、領地を残して、長宗我部家を存続させて欲しい」と、平兵衛らのいる雪蹊寺を囲み、「要求が聞き入れられるまで、城は明け渡さない」と主張して籠城を続けるのです・・・世に言う浦戸一揆です。
この事態を知らされた直政は、「一歩も譲るな」と、徹底抗戦を指示・・・困ったのは、いさぎよく城を明け渡す覚悟だった重臣たちです。
彼ら重臣は、一領具足とは正反対のパターン・・・特に、その中心的人物であった桑名吉成(くわなよしなり=弥次兵衛)や蜷川親長(にながわちかなが)などは、おとなしく従順な態度をとっていれば、新たな領主のもと、もう一花咲かせる事もできるかも知れませんが、こんなゴタゴタを続けていれば、旧・家臣の全員が討死するかも知れないわけで・・・
かくして、慶長五年(1600年)12月5日、吉成らは、こっそりと、かつ、勝手に平兵衛らを城内に招き入れると、下級武士たちの説得にとりかかり、またたく間に開城を決定してしまいます。
驚いたのは、蚊帳の外に置かれた一領具足たち・・・心の中での明け渡す覚悟を、それまでおくびにも出していなかった吉成は、むしろ籠城組のリーダーに担ぎ上げられていましたので、一領具足たちから見れば、信じていた自分たちのリーダーが、何も言わずにそのまま開城しちゃった事になるわけですから・・・。
慌てて城門へと押し寄せ、抵抗を見せる一領具足でしたが、もはや、井伊の先発隊に老臣&下級武士を加えた集団の数は圧倒的に多く、騒動は一気に鎮圧されました。
平兵衛ら先発隊は、吉成らから、城に残っている兵糧・武器を受け取り、ここに、浦戸一揆は平定されました。
この時、討ち取られた一領具足の数は273名・・・その首は浦戸の辻にさらされた後、大坂で待つ直政のもとに送られたのだとか・・・。
ちなみに、一昨年の大河ドラマ・功名が辻では、この浦戸一揆の話として、鉄砲を構えて浜辺で待つ一領具足たちの前に、一豊自らが船で近づき・・・というふうになってましたが、あれは造り手の創作で、実際には、一豊が浦戸城に入城するのは、この翌年の事で、城の受け渡しに関しては、一豊はノータッチです。
それは、この土佐の抵抗は、ある程度予想できた事で、「そんな場所に、いきなり一豊を向かわせて、一豊が抵抗勢力を平定して入城すると、何だか、一豊が自らの手で土佐を勝ち取った感が出てしまう」と考えた家康が、「この土佐は、徳川から山内に与えたのだ」という事を強調したかった・・・という事のようです。
なので、あくまで、抵抗勢力を抑えて浦戸城を開城させたのは直政で、徳川の物となった浦戸城に、一豊が入城した・・・という事になります。
しかし、ご存知のように、一豊は、この後も、まだまだ抵抗勢力に悩まされる事となり、その結果できあがったピラミッド型の強固な身分制度は、長宗我部の旧臣たちを押さえつけ、領民たちにも受け入れられる事はありませんでした。
今も、高知県では、一豊の山内家より、長宗我部が人気なのだとか・・・さすがの千代さんの内助の功も、そこまでの効き目はなかったようですね。
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コメント
仲間由紀恵ちゃんの大ファンの僕が一領具足の一員だったなら、千代さんが由紀恵ちゃんみたいな女性だったら、「ワシゃ一豊さんに心服は出来ひんけど…千代さんちゅう奥方様はエライ気の利く立派な奥方様のようじゃで。ほんな奥方様やったらワシらのコト悪いようには、しはらへんのとちゃうやろか?ほやさかいワシゃ一豊さんの家臣になるっちゅうんやのうて、奥方様の家臣になる気で山内家に仕えても、ええと思うとるんやけんど皆はどないじゃ、まぁワシゃ皆が反対でもワシ一人でも奥方様の家臣にしてもらうわ。」って言うと思います。…それほど由紀恵ちゃんが演じた千代さんは魅力的でした。由紀恵ちゃん、また大河に出ないかなぁ。主役は無理でも、主役となる武将の妻とか姉妹なんかで主役の武将の生き方に影響を与えるような重要な役で準レギュラーで出てほしいです。ブログの趣旨と掛け離れたコメントでスイマセン。
投稿: マー君 | 2008年12月 5日 (金) 12時08分
マー君さん、こんばんは~
確かに、仲間由紀恵ちゃんの千代さんは魅力的でしたね~。
投稿: 茶々 | 2008年12月 5日 (金) 18時31分
然し、一豊さん…旧領の四倍に加増とは言え、ややこしい土地への天封を命ぜられたモンですねぇ。美濃や近江などの千代に縁の有る町や山内家の祖先が出たと言われる丹波なんかを貰えなかったんすかね。あと、もしも盛親さんが兄ちゃんを殺さずに、『兄ちゃんの方が徳川はんに気に入られとるみたいやし、嫡男の信親兄ちゃんが死んでもうたあと本来やったら、兄ちゃんが後継ぎやったはずやのに、父ちゃんがボケてもうて末っ子のワシ可愛さから、ワシに家督譲ってくれたんやけど、やっぱ兄ちゃんが長曽我部の名に復して、家を継いでくれた方がエエと思うわ。』っちゅうて、早々に隠居して恭順の姿勢を打ち出しとったら、茶々さんが仰るように土佐は長曽我部家のモンだったでしょうね。そうなると一豊さんは土佐じゃなくどっか他の領地を賜るコトになったでしょうが、そうなった場合…当時の状況や他の東軍方の大名の論功行賞などから考えて、何処を貰ったでしょうね。
投稿: マー君 | 2008年12月 5日 (金) 23時14分
やっぱ、外様だから、ややこしいところを貰ったんでしょうね・・・
「ダメだったら山内ごと潰れちゃえ」くらいに思ってたんでしょうね家康さんは・・・
それを思うと、別の場所だったとしても、あんまりいいところは貰えそうにありませんねぇ。
投稿: 茶々 | 2008年12月 6日 (土) 00時59分
功名が辻の原作のお千代さん、あまりにも物が見えすぎてちょっと好きになれませんでしたが、確か、一両具足の首領格の一人をスカウトして採用してました。一豊さんはそんなにゆっくりやってられない!と焦って、桂浜での騙し討ちに走ってしまった、となっていたと思います。
功名が辻はお千代の内助の功を描いたものといわれますが、私はむしろ、賢しらな女が旦那をうまく操縦したつもりでいたのに、結局肝心なところで育て損なってしまった、という話に思えます。何度も出てくる「女、角を矯めて牛を殺す」のたとえはその為じゃないかと思うんですが…その点、仲間さんのお千代は素直でかわいかったな。
外様大名は江戸時代ずっと取り潰しの機会を狙われていたにもかかわらず、幕末に名を残すまでに至った山内、島津などは努力もさながら、幸運でもあったのでしょうね。
ところで、坂本竜馬など「郷士」と呼ばれた人々と一両具足とは繋がるのでしょうか。教えて下さりませ。
投稿: おきよ | 2008年12月 6日 (土) 15時07分
おきよさん、こんばんは~
確かに、一領具足の中には、特別にスカウトされた人もいたようですが、うまく山内家に取り入った人でも、村役人をまかされる程度で、ほとんどは、武士の身分を放棄して農業や漁業一本の生活をしたようです。
一豊の造った身分制度は、家臣を上士(上格)と下士(軽格)に分けたもので、一豊が入国の時に連れてきた家臣が上士で、旧・長宗我部の家臣が下士・・・下士の武士はどんなに優秀でも出世できないシステムになってました。
郷士は、この下士に含まれます。
投稿: 茶々 | 2008年12月 6日 (土) 22時21分
なるほど、いくら頑張っても出世できないんなら、先祖代々の不満も溜まりそうですね。
ありがとうございました。m(_ _)m
投稿: おきよ | 2008年12月 7日 (日) 12時28分
その不満が原動力となって、坂本龍馬や中岡慎太郎といった志士たちを生み出したんでしょうね・・・きっと。
投稿: 茶々 | 2008年12月 7日 (日) 16時06分
旧室町幕臣…蜷川長親さんて、アニメ「一休さん」に出てきた蜷川新右衛門さんの子孫ですかね?。因みに一休さんに出てきた新右衛門さんて、完全なフィクションじゃなくてモデルが居たようです。なので、ここに出てくる蜷川長親さんが新右衛門さんの子孫なら面白いなぁナンテ思ったモンで聞いてみました。
投稿: マー君 | 2008年12月 8日 (月) 19時13分
マー君さん、こんばんは~
アニメの一休さんの新右衛門さんのモデルとなった実在の新右衛門さんは、蜷川親当さんですね。
義満じゃなくて、義教に仕えたかなりのエライさんのようです。
戦国時代の蜷川氏の人は、明智光秀と運命をともにした蜷川貞房さんって人の家系もあるし、他にもいくつかに枝かれしているようなので、直系かどうかはわかりませんが、一族なのは確かだと思いますよ。
投稿: 茶々 | 2008年12月 9日 (火) 01時14分
蜷川さん…長親じゃなくて親長のようです。少しばかり気になったのでWikipedia.にて調べたら出てきましたよ。足利義輝に仕えていたが、義輝が松永弾正に攻め滅ぼされて零落し、婚姻の誼みから長曽我部家を頼って土佐に下向…(親長の妻と元親の妻は父は違うが同母姉妹)し元親に仕える。その後、関ケ原敗戦後の城明け渡し時の残務処理に手腕を発揮し、一揆軍鎮圧にも功を成したので、家康のお伽衆に取り立てられたと記されてました。
投稿: マー君 | 2008年12月 9日 (火) 23時16分
マー君さん、調べていただいたんですね。
ありがとうございます。
投稿: 茶々 | 2008年12月10日 (水) 00時30分
「功名が辻」で一領具足の頭を演じた人は、大河ドラマで殺陣指導をしている人です。司馬遼太郎先生の歴史小説は、亡くなってからの方がよくテレビ化されますね。
余談ですが、大河ドラマで主役になった女優は、出演後に災難(本人の病気や身内のトラブル)に巻き込まれる事が多い気がします。気のせいならいいんですが。松島奈々子さんと仲間由紀恵さんは、今のところ災難に遭遇していません。
投稿: えびすこ | 2011年9月17日 (土) 09時17分
p.s.(閑話休題)
「大河ドラマも新人の俳優(またはそれに近い人)を主役にしてはどうだろう?」と言う意見を聞きますが、新人抜擢になると主人公の年齢が限定的になってしまうんですね。新人俳優はだいたい20代の人なので。
出演決定時点でデビュー2年目か3年目そこそこの人に、主役を任せるのはさすがに荷が重いと思います。最近10年間で20代で主役をやった俳優も、大半は俳優として既に平均で10年くらいの実績(出演年当時)があります。
民放ドラマで新人俳優が主役になるケースもありますが。
投稿: えびすこ | 2011年9月17日 (土) 10時05分
えびすこさん、こんばんは~
新人というよりは、これまでチャンスが無くて埋もれてる人(注目を浴びる前の笹野高史さんみたいな?)を、スタッフが見つけて来てくれる事に期待!!!(*≧m≦*)です
投稿: 茶々 | 2011年9月17日 (土) 18時33分