大坂夏の陣図屏風を見てきました!
昨日、今年3度目の大阪城へ行って参りました~
「何回、行っとんねん!」
とツッコマレつつも、今回は単なる散歩ではなく、大いなる目的が・・・
現在、天守閣にて開催されているテーマ展「いくさ場の光景」を見るためでございます。
この展示は、そのテーマでわかる通り、合戦に関する品々を集めた特別展ですが、何と言っても、戦国合戦図の屏風が11点も!
昨日書かせていただいた賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦や長篠の合戦、小牧長久手、そしてもちろん関ヶ原・・・
中でも、今回、初公開となる「山崎の合戦図屏風」は、人物描写がいきいきとしています。
本陣に構える羽柴(豊臣)秀吉のもとへ駆け寄り、うやうやしく何物かを差し出す加藤清正・・・。
馬のいななきが聞こえんばかりに、今、走り出そうとする福島正則・・・。
敵に囲まれ奮戦する斉藤利三・・・などなど。
また、おもしろかったのは、「武田信玄配陣図屏風」・・・。
こちらは、上記の山崎の合戦図屏風のように、合戦している場面ではなく、その名の通り、今、まさに合戦が始まろうという時に、見事に整列している姿を描いた物で、手に手に槍を持つ兵士の間には、鉞(まさかり)や鳶口、さらには、大きな荷物をもつ工兵隊員など、陣を設営するための部隊も見え、大将を守るように配置された軍勢の、精かんな姿が描かれています。
そして、やっぱり、見たい「大坂夏の陣図屏風」・・・。
これは、昨年、NHKの「その時歴史が動いた」で、「戦国のゲルニカ」として紹介され、話題となった屏風で、以前、このブログでも、他の合戦図屏風とは少し違う、その画について触れさせていただきましたが(9月12日参照>>)、市街戦となった大坂夏の陣は、兵士だけではなく、一般市民もその巻き添えとなった戦いで、兵士対兵士の合戦の図だけではなく、一般市民に対する略奪や暴行による悲惨な光景が描きだされている物です。
この屏風は、大坂の陣に徳川方として参戦した黒田長政(くろだながまさ)が、戦後間もなく、その戦勝記念として、家臣の黒田一成(くろだかずしげ)に命じて描かせた物(11月13日参照>>)と伝えられ、現在は大阪城天守閣の所蔵という事で、天守閣の5階のフロアすべてを使って、夏の陣の事や、描かれた絵の細かな説明がされている、大阪城でもイチオシの品ですが、普段はそのパネル展示のみ・・・つまり、こういった特別展示の時でないと、本物にはお目にかかれないのですよ。
昨日は、天守閣・最上階の展望フロアでは、けっこうな数のかたがごった返しており、「ゆっくり見る事ができるかな?」と心配しておりましやが、どうしてどうして・・・ちょっと奥まったところに展示してあったせいか、約30分ほど、ほぼ独り占めでじっくりと拝見させていただく事ができました。
修復の仕方が違うのか?保存状態の差なのか?左隻より右隻のほうが、少し色鮮やかに見えましたが、そういった事も、実際にこの目でみないとわからない事・・・しばし、夏の陣の「その日」へとタイムスリップさせていただきました。
そして、見終わった後は、例のごとく図録の購入・・・こういった展示会の図録というものは、パンフレットと違って、少々お高いのですが、記憶の消耗の激しいワタクシにとっては、最重要のアイテムなのですよ。
はっきり言って、予算に限りがあれば、昼ご飯を抜いてでも、図録優先なのです。
・・・で、今回の「いくさ場の光景」の図録は1300円・・・っと、これが、なかなか良かったです。
・・・というのも、展示物が、甲冑や武器、衣類などが多い場合、はっきり言って、写真で見るより実際に見たほうが、細かく、正確に見る事ができるわけですが、今回のように屏風・・・しかも、合戦図となると、その細かさはハンパじゃないんです。
確かに、色や構図などは、写真で見るより、本物を・・・って感じですが、その絵が細かいために、ガラス越しでは、人物ひとりひとりの表情などは、よほどの視力の持ち主でないと確認できません。
それが、今回の図録には、アップで掲載されているのです。
徳川家康や秀忠、真田幸村に大野治長・・・主要な武将とともに、例の悲惨な光景の部分も、いくつかピックアップされて、ドアップで確認できるのです。
最初のほうに書いた「山崎の合戦図屏風」でのいきいきとした姿も、ここで、もう一度確認し放題!
・・・と、あまりの嬉しさに、図録のCMまがいの紹介になってしまいましたが、図録の購入はともかく、「合戦図を見てみたいな」と思われたかたは、ぜひぜひ、どうぞ!
「いくさ場の光景」展は、5月6日まで開催・・・しかも、4月25日~5月6日のGW中は、天守閣の拝観時間が2時間延長になり、朝9時~19時までとなりますから、ちょっと遅くなっても安心です。
この機会に、合戦図屏風の最高傑作と称される「大坂夏の陣図屏風」をご覧になってみて下さい。
・‥…━━━☆
追記:遠方にお住まいのかたで、「展覧会には行けそうにないが、図録はほしい」とおっしゃるかた、大阪城天守閣の公式ホ-ムページから通信販売で購入できます↓。
【大阪城天守閣・図録のページ】>>
ただし、展覧会に行った場合は、見本で中身を確認してから購入できますが、通信販売の場合は確認できませんので、ご自身の責任で以ってご購入をお決めください。
(人それぞれ価値観がちがいますので、実際に手にとってみて、1300円が高いと思うか、安いと思うかまでは保証できませんので・・・)
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コメント
少し前になりますが、NHKで大阪冬の陣の屏風絵の再現風景が放映されていました。そこには武士が血が滴る生首を持っている図と共に、一般の人達が戦いをする武士を相手に食べ物やお酒を売ったり、商談をする様子が描かれていました。武士と一般人の関係は平和的で、どこがほのぼのとしてみえました。
ここからは私の想像ですが、大阪人の大多数は難癖をつけて戦を仕掛けてきたよそ者、三河の田舎武士の徳川家康より、地元の豊臣秀頼、大阪方を応援していたと思います。現代の巨人阪神戦より遙かに強裂に。そして大阪方の武士を助け、徳川方の武士を貶める事をしていたのでは?家康は大阪人に好かれる事は無理と悟り、恐怖で従える方法に路線変更し、家来に大阪の一般人に狼藉をはたらく事を命じたのでは?
以前信長が京都に入った時、地元民から人望を得るため、家来に一般人には危害を与えない様に規律を保たせたと、茶々様のブログにありました。家康はそれと全く逆の事をしたのでは?冬と夏の陣の屏風絵の違いからそうイマジンしました。
投稿: イマジン | 2019年9月30日 (月) 23時53分
イマジンさん、こんばんは~
そうですね。
大阪人の商魂はたくましいです。
ドラマ等では大抵、野っぱら戦ってるように描かれますが(予算の都合上仕方ないです)、大坂の陣は完全なる市街戦…一般市民が生活してる場所に東軍が入って来て戦ってるわけですから。。。
しかも、德川方が総構えの出入口をしっかりチェックして無駄な通行をさせないようにしていたので、一般市民は、そこで兵士相手に仕事せざるを得ない状態だったと思います。
さらに大勢が固まったら、その兵士たちが一般市民に向かって略奪や誘拐からを働くのですから、一般市民もたまった物じゃありませんね。
ドラマ等では、こういう場面はすっ飛ばされる事が多く、殺戮した鬼のような人は信長だけだと思ってる人が多くて、少し残念です。
もちろん、それは「家康が悪い」とか「誰々が悪い」っていう個人攻撃の意味ではなく、戦国という物は、そういう風にしないと収まらなかった時代だったという事ですけどね。
ただ、やられる一般市民も、今の私たちが思う一般市民とは違って、一般市民のフリをしながら水面下でどっちかと繋がってたりする人もいますので、まさに、その時代の背景や価値観を踏まえないと、間違った解釈をしてしまいそうです。
興味がおありでしたら、以前書いた『みしかよの物かたり』のページ>>も見ていただけるとウレシイです。
投稿: 茶々 | 2019年10月 1日 (火) 01時28分
ご紹介ありがとうございます。『みしかよの物かたり』興味深い文献です。茶々様の確かな資料に基づいた考察、秀逸です。
私のイマジンは知識不足のため底が浅いですが、茶々様のイマジン、いや、深い洞察は確かな知識に基づいているため、フェイクが多い歴史ドラマ、小説より面白いです。
以前の『一味同心・一揆へ行こう!』 という記事、大変面白かったです。茶々様、また、こうしたイマジン的な記事も、楽しみにしております。
投稿: イマジン | 2019年10月 1日 (火) 22時13分
イマジンさん、こんばんは~
いえいえイマジンさんのご意見もスルドイです。
そのコメントで思わず立ち止まって、ハタと、もう1度考え直したりする事あります。
これからもよろしくお願いします。
投稿: 茶々 | 2019年10月 2日 (水) 00時41分