江戸城・無血開城後の戊辰戦争~新政府軍・北へ
慶応四年(1868年)閏4月25日、すでに江戸城を無血開城させた新政府・征討軍が、加賀・富山などの兵を伴い、海路で越後高田へ・・・いよいよ、新政府軍による北への進攻が開始されました。
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慶応四年(1868年)1月3日に勃発した鳥羽伏見の戦いは、江戸幕府の第15代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)の大坂城脱出で、新政府軍の勝利となります(1月9日参照>>)が、やがて、東征した新政府軍に江戸城が無血開城され、慶喜が上野の寛永寺で謹慎生活を送りはじめてもなお、その戦火が収まる事はありませんでした。
新政府軍の中心である長州にとって、あの蛤御門(はまぐりごもん・禁門)の変(7月19日参照>>)以来、幕府勢力の中心となっていた会津藩・庄内藩は許し難い存在・・・。
しかし、そんな会津藩・庄内藩も、「もはや江戸城も開城され、将軍・慶喜も恭順な態度をとっているこの状況ではどうしようもない」と、彼らも恭順の姿勢へと方向転換をしつつある中、仙台藩や米沢藩などは、新政府との間に入り、彼らを許してくれるように働きかけるのですが、新政府の考えは変わる事なく、あくまで、彼らを「朝敵」と位置づけて、徹底的に討つ覚悟で、東北・北陸の諸藩に征討軍への参加を要請するのです。
どうあがいても許してくれないのなら、一致団結して新政府と対決するしかありませんから、ここで、東北の諸藩は、奥羽列藩同盟(おううれっぱんどうめい)を結成します。
やがて、ここに、越後の諸藩も加わって奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)となるのですが、これが実際に同盟として成立していたのかどうか?は、専門家でも意見の別れるところでもあります。
・・・といいますのも、確かに、この先、彼らは協力して、ともに新政府に対する事となるわけですが、東北だけの奥羽列藩同盟と違って、越後の諸藩は、正式に同盟に加わるとの調印したわけでもなく、実際に諸藩の代表者が一堂に会して、会議を開いたり、話し合ったりした事もないのです。
よって、奥羽列藩同盟はあったが、奥羽越列藩同盟はなかったという意見と、奥羽列藩同盟が出した「会津藩を許してあげて!」の嘆願書に同調した嘆願書を新政府の総督府に提出している事はしているので、やはり同盟とみなして良いのでは?という意見に分かれるようです。
これは、専門家のかたでも意見が分かれている部分ですので、この場で、どちらかの意見に決定する事は避けさせていただきますが、正式な調印はなくとも、同調した事が確かである以上、新政府は越後の彼らも敵とみなすわけで・・・
かくして慶応四年(1868年)閏4月25日、北陸道鎮撫総督(ちんぶそうとく)兼会津征討総督に任命された高倉永祜(ながさち)に、参謀として、薩摩の黒田了介(りょうすけ・清隆)、長州の山県狂介(きょうすけ・有朋)が加わり、さらに加賀・富山・長府の各藩の兵も合流した征討軍が、越後高田(新潟県上越市)に向かって、海路を北上したのです。
やがて、幕府脱走兵で形成されていた衝鉾隊(しょうほうたい)が越後に集まっていたため、彼らを追ってきた土佐藩の岩村精一郎の部隊も、そこに加わり、いよいよ越後は緊迫ムードに包まれます。
しかし、ここでもまだ、その姿勢を決めかねていた藩がありました。
京都所司代や老中を務めてきた牧野忠恭(ただゆき)の長岡藩です。
藩主はすでに、養子の忠訓(ただくに)に譲ってはいましたが、幕府や将軍家に恩義を感じていた彼は会津藩や庄内藩に同情的・・・そんな前藩主を持つ藩士の多くも、やはり佐幕派(幕府派)。
しかし、その気持ちのままに会津藩や庄内藩に同調すれば、当然、長岡藩も朝敵となり、新政府軍と一戦交える事になってしまいます。
藩内でも意見が分かれる中、鎮撫総督・高倉永祜は、長岡藩に対して、「会津攻めに出兵するか」「3万両の軍用金を献納するか」の二者択一を迫ってきます。
ここで、登場するのが、幕末の長岡藩を主導していた家老・河井継之助(かわいつぎのすけ)・・・。
彼は、上記の二者択一の返答をしないまま、鎮撫総督が本営を置く小千谷(おぢや・小千谷市)へと向かうのですが、その心の内は、中立の立場を取りながら、東北の諸藩を説得し、恭順へと向かわせる事・・・そして、それを新政府に理解してもらう事・・・。
これが、後に「小千谷会談」と呼ばれる話し合いなのですが・・・
そのお話については5月13日のページでどうぞ>>。
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