たった一首で大歌人?謎が謎呼ぶ猿丸太夫
延喜五年(905年)4月18日、第60代・醍醐天皇の命により編さんされた『古今和歌集』が完成し、天皇に奏上されました。
・・・・・・・・・
それまでには無かった、天皇の命によって作られた歌集・・・つまり、『古今和歌集』は、日本で初めての勅撰(ちょくせん)和歌集という事になります。
男性的でおおらかな歌が多く、防人(さきもり)の歌(2月25日参照>>)や、その母・妻に代表されるように、身分に関係なく、あらゆる階層の者の歌を収めている『万葉集』と比較して、ほとんどが貴族や僧侶・尼僧の歌を収めている『古今和歌集』は、繊細で女性的・・・ちょっとセレブな歌集です。
その歌風は、先の万葉集を「ますらをぶり」と呼ぶのに対して、「たをやめぶり」と称されます。
天皇の命を受けたプロジェクトチームのメンバーは、
紀友則(きのとものり)
紀貫之(きのつらゆき)
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
壬生忠岑(みぶただみね)・・・の4人。
紀貫之が書いたという序文にもあるように、この『古今和歌集』は・・・
やまとうた(和歌)とは、
「…力をも入れずして天地を動かし 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ 男女のなかをもやはらげ 猛き武士の心をも慰むるは 歌なり(原文)」
「力を用いずに天地を動かし、怖い鬼を感動させ、男女の仲をくっつけ、勇猛な武士も泣かすのが、歌である」
そんな、すばらしいものであるというのがコンセプト。
当時は、公的な文書も漢文で書かれ、漢文ができなければ出世する事もできないし、漢詩が詠めなければ宴会でもモテない時代・・・
そんな舶来ブームのご時世に、わが大和魂の鉄槌をブチ込んやる!
てな勢いで編さんされたのです。
NASAが開発したと言えば飛びつき、全米1位と聞けば食いつくわが身としては、ちょっと耳が痛いですゎ・・・。
ところで、その序文でも名前を上げられているにも関わらず、その歌自体は「よみ人知らず」で収録され、しかも世に出た歌は、その一首だけという謎の人物をご存知でしょうか?
その人は、あの『百人一首』にも登場します。
♪奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の
声きくときぞ 秋は悲しき♪
「ただでさえ秋は寂しいのに、紅葉の山深いとこで、鹿の鳴く声を聞いたら、もっと悲しなるやん」
この歌を詠んだとされる猿丸太夫(さるまるだゆう)という人物です。
彼は、生まれも育ちも、生きていた時代さえもわからない人で、ゆえに実在の人物ではない可能性さえ噂され、その正体はまったく不明・・・
なのに、百人一首に選ばれ、古今和歌集の序文で大歌人として紹介され、後には「三十六歌仙」の1人にも数えられている・・・なんとも不思議です。
畿内を中心に猿丸ゆかりの神社や旧跡が数多く残るところから、猿丸太夫とは、特定の人物を指すのではなく、氏神の祭主の資格を持つ人、あるいは、そのような職種全体を指す言葉ではないか?とも言われます。
また、吟遊詩人のように、各地で歌を歌いながら神事のような事を行っていた占い師的な人々の事かも知れないという話もあります。
この猿丸太夫の謎については、もう、江戸時代の頃から、数々の学者さんが挑みつつも、未だ誰1人として解明できない、まさに迷宮入り・・・。
江戸時代の百人一首解説本では、猿丸太夫は、聖徳太子の孫・弓削王だという噂を取り上げ、さらに発展して・・・名前が似ているから弓削道鏡(ゆげのどうきょう)(10月9日参照>>)ではないか?という話を、「トンデモ説」として紹介しています。
もはや、『江戸版・日本史サスペンス劇場』ってな感じですが、聖徳太子自体が架空の人物かも知れないと取りざたされる平成の世となっては、その孫って言われても・・・、てな感じですね。
一方、名前が似てると言えば、『続日本紀』の和銅年間の記録に登場する柿本朝臣佐留(かきのもとあそんさる)という人物を、「佐留→猿」から、この猿丸太夫の正体とする意見もあるようですが、その柿本佐留なる人物は、さらにその名字から、例の柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)(3月18日参照>>)が、そうではないか?という話にまで発展しています。
柿本人麻呂も、あの天武天皇の息子・草壁(くさかべ)皇子や高市(たけち)皇子の死に際して歌を詠んだり、国家的行事の際に代表で天皇の気持ちになり代わって歌を詠んだり・・・と、飛鳥時代後半に、宮廷のおかかえ歌人的な役割をしていた有名人であるにも関わらず、正史と呼ばれる書物には、一切、その名前が出てこない人物です。
彼が石見(いわみ)の事を詠んだ歌に、「死に臨んで・・・」という詞書(ことばがき・説明文)がある事から、石見で死刑にされたのではないか?という憶測が飛んでいて、そうなると、罪人という事で、その人物が生きた記録を抹消され、名前を変えられているのだろうと考えられるわけです。
以前、和気清麻呂(わけのきよまろ)が大隅へ流罪となった時のページで(9月25日参照>>)、流罪という刑罰とともに、改名という刑罰が存在する旨の事を書かせていただきましたが、清麻呂の場合は、和気清麻呂なので別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)・・・清いが穢(きたな)いになってるとこがミソですね。
彼の場合は、敵対していた道鏡が失脚する事によって、再び政界に復帰するので、清麻呂というホントの名前も残っているわけですが、これが、失脚したまま生涯を終えたら、穢麻呂の名前しか記録に残らない事になりますからね。
「清い→穢い」になるなら、「人→猿」になるのもワカランではないという気がしますね。
確かに、猿丸太夫=柿本佐留=柿本人麻呂なら、大歌人という事になりますわな。
ところがどっこい、その猿丸太夫の名前が登場する『古今和歌集』の序文には、柿本人麻呂の名前も登場します・・・しかも、「高位の官吏である」と、身分まで書いてある
( ̄◆ ̄;)
「あぁ、もう、手の届くところに犯人が・・・」
と、思いきや、アリバイやら証言やらで、またふりだしに戻される~
まさに、「歴史はサスペンス」
これだから、やめられないのです。
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コメント
同感です。
考えるほど迷宮に入り込む感じが、イイですね。
投稿: ことかね | 2009年4月18日 (土) 11時10分
平安の御世の 人の興味を引いて止まない 渦巻く謎 を よく説明した、よい記事ですね。
鹿と紅葉、松と月、~ ~ 花札ですが、江戸時代以降の日本文化の源も古今和歌集、だったのですね。
投稿: 重用の節句を祝う | 2009年4月18日 (土) 12時04分
ことかねさん、こんにちは~
謎があるから推理ができる、推理ができるから楽しい・・・きっと、何もかもわかったらつまらなくなるのでしょうね。
投稿: 茶々 | 2009年4月18日 (土) 12時32分
重用の節句を祝うさん、こんにちは~
梅にウグイス、松にツル、アサ吉にセイジ・・・もとい、日本の風情のみなもとがここにあった~って感じですね。
投稿: 茶々 | 2009年4月18日 (土) 12時35分
おお、私の好きな話だ~。
猿丸太夫の謎とか、いろはうたのなんとかって、高校時代読みまくったよ。
でも、覚えてない(笑)
いろはうたの方は、とがなくてしすって暗号で。
茶々さんと話をしようと思ったら、復習するしか対等に話しできないよ。
投稿: momoko | 2009年4月18日 (土) 13時59分
momokoさん、こんばんは~
「いろは歌の謎」・・・ありましたね~
今では、末尾の「咎なくて死す」だけじゃなくて、対角線上に、ある法則で文字を拾っていくと「かきのもと」になるとかって話もありますが、「の」の場合だけ1列ズラす・・・とか言い出したら、どうにでもなる気もしないではありません。
投稿: 茶々 | 2009年4月18日 (土) 22時09分
すご~い。よくこの方を取り上げようと思って下さいましたね。ほんとにこれだからこちらにおじゃまするのが楽しみなんです。私、百人一首はこれまで10回やったかどうか、でこの方のことも名前だけ知ってても全く関心がありませんでした。でも、この方を通してまた歴史の面白さ(人の心の面白さ)を教えてもらえました。 ホンと、こんな昔から日本には素晴らしい文化があって今に伝えられてるって嬉しいことですよね。欧米の文化も素晴らしいけど日本人は(私も含め)もっと日本の文化に誇りを持っていいんですよね。
投稿: Hiromin | 2009年4月18日 (土) 22時11分
Hirominさん、こんばんは~
「いい歌は、力を使わず天地(人)を動かす・・・」
今から千年以上前に、こんな事が言える文化ってスゴイ!
ホント、誇りに思います。
投稿: 茶々 | 2009年4月18日 (土) 23時39分
井沢元彦「猿丸幻視行」読みました。
第26回江戸川乱歩賞受賞作(1980)です。
この作品で猿丸=柿本人麻呂説が
取り上げています。
明石の柿本人麻呂神社も行った事があります。
天文台のそばです。
投稿: やぶひび | 2022年4月18日 (月) 14時48分
やぶひびさん、こんばんは~
小説を読まないので、猿丸=柿本人麻呂説が題材の本があるのは、まったく知りませんでした。
やはり怪しいですね~
投稿: 茶々 | 2022年4月19日 (火) 04時08分