« 時代別年表:鎌倉時代 | トップページ | 全盛の平家に一矢報いた以仁王~その生存伝説 »

2009年5月25日 (月)

ツンデレ満載の「天地人」~忘れちゃいけない新発田城

 

キレイな花にはとげがある・・・

昨日、放送されたNIHK大河ドラマ「天地人」・第21回:三成の涙の冒頭での「書」・・・

コレって、本当は女性に対する表現なのでは?と思いつつも、「イケメン三成の小栗クン(花)には、横暴な態度(とげ)がある」っていう事のようです。

番組冒頭では、発掘された頭蓋骨の鑑定にも触れられていましたが、これは、明治四十年(1907年)に渡辺世祐(よすけ)さんという日本史研究の大家が、三成の伝記を執筆するにあたって、京都の大徳寺三玄院を調査された時に発見された遺骨を、解剖学者の足立文太郎教授が鑑定したもの・・・

「身長は156cm前後で、頭はやや前後に出た木槌頭、細面で鼻筋の通ったヤサ男で、やや反っ歯」
・・・て事だそうで、鼻筋が通ってるとは言え、誰も、「キレイな花=男前」とは言ってないが、まぁ、そこはドラマなので、主人公の友人となるのであれば、男前にこした事はござんせん。

それにしても、このドラマは・・・
原作者がお好きなのか、脚本家がお好きなのか、それともスタッフがお好きなのか・・・

次から次へと「ツンデレ」のご登場です。

「ツンデレ」とは=「初めはツンツンして敵対視しているが、何かのきっかけでデレデレの大好き状態に変化する、あるいは、他の人にはツンツンしてるが、特定の人物にだけやさしくする」みたいな感じのキャラクター設定の事で、アニメファンがよく使う言葉です。

そもそもは、子供時代から・・・
まったく話さないツンツン状態の殿が、雪の中を少年・与六を迎えに行って主従関係を確立・・・他のゆかいな仲間たちも、イジメから始まっての友人関係・・・。

今は主人公の直江兼続の奥さんとなったお船さんも、初めての時は、「男のくせに馬も操れんのか」的な言葉を吐くツンツンでのご登場だったのが、いつのまにやらラブラブ状態。

殿のところに嫁に来た菊姫も、懐剣突き立てた直後に「武田をお救いください」と涙を流し、引き籠った後に心を開く・・・

途中で去っていかれた吉江どのや、お船さんの前のダンナの信綱さんも、「お前は嫌いだ」の後に「上杉を頼む」という言葉とともに逝かれました。

ひょっとして、あの初音という神出鬼没のお姉さんも、最初は敵のような雰囲気で登場してませんでしたっけ?

もちろん、昨日の三成さんも・・・。

家族だけが「ツンデレ」でなく、最初っから愛情たっぷりな事がせめてもの救いですが、来週の予告を見る限りでは、次週から登場する真田幸村までもが「ツンデレ」のご様子・・・どうやら、女性層をターゲットにしている今回の大河ドラマでは、「そのツンツンキャラが心を開く瞬間が、一番盛り上がる」という事なのでしょう。

戦闘シーンよりも多い夫婦の会話、兼続と三成の友情物語、子供ができたのできないのと嫁×姑バトル・・・まぁ、あくまでドラマなので、ほのぼのとしたそんな感じも、それはそれでおもしろいかも知れません。

・・・とは言え、わがブログは一応「歴史ブログ」・・・ドラマの筋書きとは別に、ここらあたりで知っておいたほうが良いのでは?と思うところがありますので、ちょいとだけ、そのお話を・・・

ドラマでは、かなり平和な日々を送っている兼続さんたちですが、歴史上では、この時、上杉家は、まだ、戦闘中です。

昨日の放送でも、三成との会話の中で、「越後の民のために・・・」的な事を、あたかも上杉家が越後のすべてを統一したかのようにおっしゃっていましたが、まだ、越後の統一はなされていません。

・・・というのも、例の上杉謙信の死後の後継者争いとなった御館の乱(3月17日参照>>)で、上杉景勝側について戦った新発田重家(しばたしげいえ)という人物・・・

実は、主役なのでしかたないですが、ドラマでは兼続がやった事になっていた武田を寝返らせる交渉・・・あの大金を持って勝頼のところへ行ったのは、実際には、この重家だったとされています。

ドラマでおわかりのように、とても重要な交渉です。

・・・で、その活躍ぶりから、当然、重家は戦後の恩賞を期待していたわけですが、例のごとく、上田衆ばかりが優遇されたために不満を抱いていたところ、天正九年(1581年)に織田信長からのお声がかかり、信長の傘下となったのです

重家は、新発田城(新発田市)を本拠に、現在の新潟市から三条市周辺あたりまでを支配していた国人ですから、それまで上杉の重臣として働いてきた彼が、織田へ寝返ったとなると、その領地もそっくりそのまま上杉の支配から外れるという事になります。

ドラマでは、南側の魚津城を信長配下の柴田勝家に攻められ、留守にした春日山城へは、信州側から森長可滝川一益に迫られ(6月26日参照>>)、最大のピンチだった上杉ですが、北側もこの重家もろとも離反して織田の傘下となり、本当に風前の灯火だったわけです。

その後、魚津城が落城する前日に信長が本能寺で倒れ(6月3日参照>>)、上杉は急死に一生を得たわけですが、この重家は、独立した大名になる事を最終目標としていましたから、信長の死後も当然抵抗を続けます。

兼続らは、天正十年(1582年)から約5年間に渡って、たびたび重家討伐のために新発田城攻めへと出陣していますが、堅固な守りに阻まれ、ずっと攻めあぐねていたのです。

途中、徳川家康との関係が緊張状態となった豊臣秀吉に和睦を勧められ、和解への道を考えたりもしましたが、結局、天正十五年(1587年)10月、新発田城を落城させ、重家を自刃へと追い込みました。(10月28日参照>>)

ドラマで描かれた落水での秀吉との会談が天正十三年(1585年)の8月、来週放送の真田幸村の人質・越後入りが同じ天正十三年の7月ですから、本来なら描かれても良い頃・・・その新発田城から2年後に配下に治める佐渡(6月12日参照>>)も含めて、越後統一は、本当なら、上杉にとって最重要な出来事で、歴史としては知っておきたい事・・・

なのに、ひょっとして、この「天地人」では新発田城の事は、スルーもしくはナレーションのみで終ってしまうのではないか?と・・・本日は、チョコッとだけ心配になって書かせていただきました。

もう、こうなったら、この後登場する人も、皆「ツンデレ」にしていただいて、歴史は歴史、ドラマはドラマで楽しんでいきたいと思っています。
 .

あなたの応援で元気100倍!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 


« 時代別年表:鎌倉時代 | トップページ | 全盛の平家に一矢報いた以仁王~その生存伝説 »

戦国・桃山~秀吉の時代」カテゴリの記事

大河ドラマ・時代劇」カテゴリの記事

コメント

度々、お邪魔致します。
ツンデレ ということば、初めて知りました。成る程です。
景勝殿も、初め、謙信公を親の仇と思い込んで刃を向けたこともありましたっけ。

敵の中から味方となるものが現れることがあるかもしれないし、絶体絶命の時に、思いがけない所から救いの手が差し伸べられることも あるかもしれない、
でも、実際は その逆で、信じていた者に裏切られることの方が多い訳ですから、下克上の世の中では、互いの本心を探り合うことは常にされていたことだったと思います。
天地人 の教えを説いた謙信公は、さすがに超越した人間だったのかもしれませんが、ツンデレ も、ワンパターンになると、興ざめですね ・ ・ ・。

投稿: 重用の節句を祝う | 2009年5月25日 (月) 10時57分

初めまして。
毎回毎回ワンパターンですよね。ワンパターンな展開に、それっぽいエピソードを繋げて兼続を泣かせる・・・。毎回これではいささか興ざめですね。

新発田の乱は多分スルーなんでしょうね。

投稿: じろー三郎 | 2009年5月25日 (月) 12時52分

重用の節句を祝うさん、こんにちは~

>景勝殿も、初め、謙信公を親の仇と思い込んで刃を向けたことも・・・

アッ・・・ホントだ!そうでしたね。

主人公の兼続に対してばかり考えていましたが、そう言えば、殿を養子に迎える時もそうでした~。

「天地人」の「ツンデレ」好きは、その時から始まってたんですね~。

投稿: 茶々 | 2009年5月25日 (月) 16時06分

じろー三郎さん、こんにちは~

賤ヶ岳や小牧長久手もナレーションでスルーされてしまいましたが、こちらはあくまで上杉にとっては対外情勢なのでしかたないかと百歩譲って・・・

でも、それなら、光秀を鶴見さんに演じさせてまで本能寺を中途半端に描いておいて、富山城の佐々成政、もう一人の上杉の養子・上条政繁を無視し続けるのは、歴史ファンとしては悲しいですね。

投稿: 茶々 | 2009年5月25日 (月) 16時31分

大河ドラマ自体、転換期にきてるのかも知れません。歴史研究も進み虚構が入り込みにくい状況になり、以前なら許された想像や脚色が許されなくなってきてますからね。そんな中で、一年間で一人の人生を描ききろうってんですから無理も生じますよね。それに、大河に対する視聴者のニーズも多様化してきてるので、皆の嗜好を満足させる作品は出来にくくなってくるでしょうね。

投稿: マー君 | 2009年5月25日 (月) 19時58分

マー君さん、こんばんは~

いえいえ、私は、何も創作がダメだとは思ってませんよ。

ドラマなんですから、大いに創作していただいて結構ですし、時間に限りがあるのですから、歴史をはしょっていただいてもかまわないと思ってます。

ただ、大河ドラマなら、大河ドラマらしい創作、大河ドラマらしいはしょりかたをしていてだきたいと思うだけです。

女性層をターゲットにホームドラマ的な愛を描きたいのであれば、そのような時代劇をお作りになればいい、そして「大河ドラマ」という冠を外せばいいだけなのに、大河ドラマとう銘打ったまま、ホームドラマにしてしまっているところが「?」となってしまうのです。

投稿: 茶々 | 2009年5月25日 (月) 22時47分

こんにちは!
初投稿させて頂きます。
いや~すばらしい。
幸村も予想通りツンデレでしたね。
毎週突っ込みながら見てましたが、
流石にもう無理そうです・・・
唯一まともそうだった、与六のおやじまで
色ボケになっちゃって・・・

投稿: masta- | 2009年6月 3日 (水) 09時20分

masta-さん、こんにちは~

ホントですね~
幸村も見事なツンデレでした~

しかも、「給食費がなくなった」と大騒ぎして転校生を疑う・・・まるで70年代の学園ドラマのようなベタなストーリー展開には驚きました。

「それでも俺はアイツを信じる」・・・「夕陽丘の総理大臣」「飛び出せ青春」の熱血先生のセリフです。

学園ドラマだから感動するんですが、大河でアレは・・・

投稿: 茶々 | 2009年6月 3日 (水) 17時07分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ツンデレ満載の「天地人」~忘れちゃいけない新発田城:

» ドラマでも度を過ぎると白ける [すきま風]
 オイラは歴史ものでも信長・秀吉・家康の時代が好きで、日本放送協会の大河ドラマも、この時代のドラマは見るようにしている。  今年の「天地人」も初めから見ているんだが、本能寺の変あたりは「これはこれは」と白けてしまった。 「天地人」はこんなにヘンだ! - 雑誌記事:@niftyニュース via kwout ...... [続きを読む]

受信: 2009年5月25日 (月) 10時24分

« 時代別年表:鎌倉時代 | トップページ | 全盛の平家に一矢報いた以仁王~その生存伝説 »