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2009年5月23日 (土)

イケメン揃いの幕末~上野の後の飯能戦争

 

慶応四年(明治元年・1868年)5月23日、先日の上野戦争に勝利した新政府軍が、その勢いのまま振武軍を攻撃・・・世に言う『飯能戦争』がありました。

・・・・・・・・・・・

上野戦争をさかのぼる事2ヶ月前・・・ちょうど、彰義隊(しょうぎたい)浅草本願寺から寛永寺へとその本拠地を遷す時の事です。

もともと、将軍・徳川慶喜(よしのぶ)の名誉回復と身辺警固を目的として結成された彰義隊が、徐々に新政府に対抗する武装集団と変わっていくさまをヨシとしなかった頭取渋沢成一郎(しぶさわせいいちろう)は、10数名の隊士とともに本願寺に残りました。

やがて、彰義隊がその権力で以って、市中の豪商から軍資金を募ったりするようになって、ガマンしきれなくなった成一郎は、4月11日、「新政府軍にはならない」「新政府軍に降伏しない」の2つを条件に、約100名ほどの隊士を連れて彰義隊から脱退します。

この後に彰義隊は、副頭取だった天野八郎を中心に動いていく事になります(2月23日参照>>)が、一方の成一郎は、新たに振武軍(しんぶぐん)を結成し、青梅(おうめ)街道沿いの田無(たなし)にある西光寺(総持寺)を本拠とし、従兄弟の尾高惇忠(おだかあつただ)とともに、しばらくは隊士集めに奔走していました。

しかし、そうこうしているうちの5月1日、江戸(東京)の治安維持が幕府から新政府へと移った事で、勝海舟から彰義隊への解散命令が出されますが、それでも解散せずに上野に籠る彰義隊に対して、新政府は5月15日の総攻撃を決定します(4月4日参照>>)

かくして5月15日に上野戦争(5月15日参照>>)が勃発するわけですが、その決戦の前日、成一郎ら振武軍は、田無から箱根ヶ崎(東京都瑞穂町)に移動していたのです。

それは、やはり、5月15日の上野総攻撃の話を耳にしたから・・・その方針の違いにより、途中で二つに分かれた彰義隊と振武軍でしたが、もとはと言えば、ともに幕府のため、慶喜のために立ち上がった者同士、旧友の一大事に、成一郎はいてもたってもいられなかったのです。

翌朝、成一郎は400名余りの隊士を引きつれ、彰義隊を加勢するべく箱根ヶ崎をを出発しました。

Sibusawaheikurou その中には、振武軍の参謀として活躍する渋沢平九郎の姿も・・・

平九郎は、成一郎の従兄弟・・・つまり、成一郎とともに振武軍の隊士集めに奔走していた先の尾高惇忠の弟なのですが、成一郎の従兄弟でもある実業家・渋沢栄一(11月11日参照>>)の養子となっていたので渋沢姓を名乗っていた人です。

こうして、一旦は出陣した振武軍でしたが、途中で彰義隊の敗戦を知り、その日はやむなく田無へと引き返したのでした。

5月15日の夕方には雌雄を決した上野戦争・・・その後、上野から敗走した彰義隊隊士の中には、江戸市中に潜伏して再起の機会を図る者、旧幕府の海軍を掌握している榎本武揚(えのもとたけあき)のもとへ向かう者など、様々でしたが、やはり、昔のよしみを頼って青梅街道をひた走り田無の振武軍のもとへと来る者もいました。

彰義隊の生き残りを吸収し、1000名~1500名に膨れ上がった振武軍・・・「このまま、新政府軍が何もしないはずはない」と考えた成一郎らは、5月18日、本拠地を飯能(はんのう・埼玉県)にある能仁寺(のうにんじ)に移し、新政府軍の来襲に備えます。

そして、訪れた慶応四年(明治元年・1868年)5月23日未明、上野を落とした勢いもそのままに、新政府軍・約3500が振武軍への攻撃を開始しました。

しかし、残念ながら、その兵力の差は歴然としていました。

圧倒的な火力を擁する新政府軍に対して、未だ振武軍はにわか仕立て・・・なんせ、つい1ヶ月前には、隊士募集に走り回っていた状況なのですから・・・。

わずかに市街戦が繰り広げられたものの、午前10時頃には勝敗は決し、さらに、成一郎が被弾して負傷するに至って、味方は散り散りとなって敗走していくのでした。

惇忠は、負傷した成一郎を助けながら上野(こうずけ・群馬県)伊香保へと落ちました。

一方の平九郎も、気づいた時には、もう、周りには味方の姿も見えない状況で、大宮へと落ちるべく道を急ぎますが、途中、黒山村(埼玉県越生町)に差し掛かったところで、新政府軍の捜索隊に見つかってしまいます。

追手の目をごまかすため、武士に見えないように途中で刀を捨てていた平九郎でしたが、捜索隊の詰問によって、振武軍である事がバレ、手にした小刀で応戦・・・敵・数名に傷を負わせ、何とかその場を逃走しました。

敵の姿が、見えなくなったところで、少し、休息する平九郎でしたが、すでに、一発の銃弾が太腿を貫通・・・さらに、2ヶ所ほどの重傷を負い「もはや、逃げ切れない」と悟った彼は、かたわらにあった岩に腰掛け、自ら割腹して、その22歳の生涯を終えました。

一方、伊香保に落ちた惇忠と成一郎は、再び江戸に戻り、品川沖にいた榎本艦隊と合流し、この先、北へと向かう事になります。

・‥…━━━☆

・・・と、今日は、ここで終らない・・・というのも、以前から、本日の主役とも言える渋沢平九郎の男ぶりが、はなはだ気になっております。

このところ、「幕末がイケメン揃いな件」が話題になっている中で、「誰が一番イケメンなのか?」という事を話題にしたブログ等、時おり拝見させていただいておりますが、大抵の場合、ダントツで、新撰組・副長の土方歳三という意見が多い・・・。

確かに、土方さんは、かなりのイケメンです・・・認めます。

そこに、新撰組というオマケがプラスされ、その有名度も相まって1位という事になるのでしょうが、あまりにも土方さんを推す声が多すぎて、天邪鬼&マイナー好きな私としては、「ちょっと待ったぁ~」と、声を出したくもなるワケで・・・

以前、ご紹介した池田長発さん(3月20日参照>>)もそうですが、今回の渋沢平九郎さんは、ハンパない男前(写真は投票のページで見てね)なのに、その声をまったく聞かないのは納得がいかん!

・・・って、事で、個人的好みを大いに含んだ幕末の男前をご紹介しようと思ったのですが、どうせなら、紹介だけじゃなく、皆さんに写真を見てもらって、誰が、一番のイケメンなのか?と投票していただくのも面白いかと、別ページに投票コーナーを作ってみましので、よろしければコチラ>>からお願いいたしますです。

イケメンの写真の紹介とともに、投票と、その結果をお楽しみくださいませ~
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コメント

さっそく投票しました~。ほんとに今時のイケメンもかなわないくらいの人がたくさんいて、目の保養になりました。こんなカッコいい人たちが幕末、明治に歴史の表舞台、裏舞台で日本の未来のため疾風の如く駆け抜けていったのね・・・ぜひ、あまり知られてない人をモデルにドラマ化してほしいわ。

投稿: Hiromin | 2009年5月23日 (土) 21時46分

男性から見りゃ、イケメンなんて興味ありません。篤姫は不細工だったようですが、彼女以外にも幕末から明治中期にかけて名を残した女性も多数居ます、そんな女性の中には肖像写真が残ってる人も少なくないと思います。どうか、そんな方々の写真にて美人ランキングを開催してほしいです。

投稿: マー君 | 2009年5月24日 (日) 00時35分

Hirominさん、こんばんは~

ホント、今なら皆、芸能界入りのレベルですよね~

大鳥圭介と土方歳三が、あの雰囲気で、函館で奮戦する姿を想像すると・・・まさに、ドラマです。

投稿: 茶々 | 2009年5月24日 (日) 01時23分

マー君さん、まぁ、そう言わずに・・・

やっぱり、女ですから・・・イケメンで目の保養ですよ~

この頃の女性陣の写真は・・・
「ちょっと、今とは美人の尺度が違うのかな?」という感じがします・・・残念ですが、なかなか美人にはお目にかかれませんねぇ。

投稿: 茶々 | 2009年5月24日 (日) 01時27分

確か来年の大河ドラマに渋沢成一郎が出る様な?渋沢栄一は徳川慶喜の家臣(幕臣)になり、武士に取り立てられたので渋沢家は事実上、一族丸々名目上は幕府直参という立場だったんでしょうか?
渋沢栄一は攘夷討幕派から幕臣に転じたと言う異色の経歴がありますね。


記事からそれますが、前に朝ドラに登場した五代友厚。渋沢栄一と同時代の人ですが、その五代を映画の方で演じる予定だったのが先週末に急逝した三浦春馬くん。
さっきニュースで聞いたばかりで仔細が未公表だったとのことですが、その映画は昨年のうちに撮影を終えたとのこと。
私は秘かに三浦くんに来年の大河ドラマで五代を演じてほしい、五代もイケメンだから次に演じるのは彼であろうと訃報を聞く数日前まで思っていました。願わくば劇場公開かソフト販売が支障なくでき、映画としての遺作であるその作品での、三浦くんふんする五代の姿を見たいと思います。
長文失礼いたしました。
心より故人のご冥福をお祈りいたします。

投稿: えびすこ | 2020年7月20日 (月) 10時00分

えびすこさん、こんばんは~

歳を重ねて渋さが増していくのが楽しみな俳優さんでした。
残念です。

投稿: 茶々 | 2020年7月21日 (火) 03時31分

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