函館戦争・総攻撃開始~土方歳三・最期の日
明治二年(1869年)5月11日、明治新政府軍による函館総攻撃が開始されました。
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江戸無血開城のあったその日に、幕府海軍・副総裁の榎本武揚(えのもとたけあき)は、その指揮下にある軍艦を新政府に渡す事を拒否して江戸湾を脱出・・・その後、海路で北海道に渡り(8月19日参照>>)、蝦夷共和国を設立して(12月15日参照>>)、なおも抵抗を続けていました。
しかし、翌・明治二年(1869年)4月9日に始まった新政府軍の上陸作戦で、上陸まもなく江差を制圧され、21日には木古内(きこない)を、29日には矢不来(やふらい)を落とされ、榎本軍は函館へと追い詰められます(4月29日参照>>)。
やがて、月が変った5月2日、本国・フランスからの帰国命令を受けながらも、榎本軍への軍事指導を続けてくれていたフランス人・プリュネが、「日本の友人には申し訳ないけど、もはや万策尽きたゎ」と、函館港に停泊中のフランス艦へと戻って行き、最終決戦の予感は徐々に高まっていきます。
その5日後の5月7日、今、動ける軍艦は回天だけとなっていた函館湾に、新政府軍の艦隊が侵入・・・4時間に渡る砲撃により、この回天も操縦不能となってしまいます。
もはや、陸戦で戦うしかなくなった榎本軍は、函館の市街を南北に流れる亀田川に沿って、弁天岬台場⇔一本木関門⇔千代ヶ岡陣屋⇔五稜郭⇔権現台場⇔四稜郭と一直線の戦線を造り上げます。
(このイラストは位置関係をわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)
そんな中、明治二年(1869年)5月11日、いよいよ新政府軍は、函館に総攻撃を仕掛けるのです。
早朝、新政府軍が函館山を制し、その山頂に、合図とも言うべき菊紋章の入った旗を立てます。
さらに、新政府軍は、北の四稜郭、西の七重浜(ななえはま)、南の函館山の3方向から同時に函館市街に向けて攻め寄せます。
もちろん、七重浜では、朝陽(ちょうよう)・丁卯(ていほう)の2隻の軍艦による援護砲撃も・・・と、この時です。
先の5月7日の函館湾の海戦の時には修理中だったために出撃できなかった榎本軍の最後の軍艦・蟠龍(ばんりゅう)の放った砲弾が、朝陽の火薬庫に見事命中!
大爆発を起こし、大きな火柱を上げて沈没する朝陽を目の前に、士気あがる榎本軍・・・
この時、窮地に陥っていた七重浜への救援に駆けつけていた元新撰組・副長の土方歳三(ひじかたとしぞう)は、この起死回生の一発をきっかけに「このチャンスを逃すな!」と叫びながら、もともとの持ち場であった一本木関門へと、急ぎ戻ります。
そこに、「弁天岬台場が孤立している」との情報が・・・。
この弁天岬台場は、榎本軍が構築していた戦線の最南端の場所で、当時、最高とうたわれた大砲を装備していましたが、すでに、5月3日に忍び込んだ新政府ゲリラによって、釘を打ち込まれて、大砲そのものは使い物にならなくなっていました。
・・・が、たとえ大砲は使えなくとも、基地としては重要・・・死守しなければなりません。
七重浜から戻った土方は、弁天岬台場の救援に向かおうと、再び、一本木関門を出撃しますが、その直後・・・腹部に銃弾を浴びて倒れてしまったのです。
享年・35歳・・・
この日は、土方だけでなく、隊長クラスが多数死傷しました。
やがて、蟠龍の砲弾も尽きて炎上・・・さらに、四稜郭・権現台場が陥落し、榎本軍の基地は、本営の五稜郭と千代ヶ岡陣屋、弁天岬台場の3箇所のみとなってしまいました。
翌・12日から、新政府軍・参謀の黒田清隆(8月23日参照>>)による榎本への降伏勧告が開始されます。
15日には弁天岬台場が降伏、16日には千代ヶ岡陣屋も陥落しますが、未だ榎本の気持ちは討死覚悟の五稜郭・死守・・・ちょうど、この頃、その気持ちをつづった手紙とともに、「この本の価値をわかってくれる君に・・・」と、昔、留学していた時に手に入れた大切な本を黒田に送っています・・・
その、榎本×黒田の友情物語と函館戦争終結については、2007年5月18日のページでどうぞ>>(函館戦争の事を始めてブログに書いたページですので、蝦夷共和国の話など、内容がかぶっていますが・・・)
・・・と言いたいところですが、その前に、この日、討死した土方から、最後の望みを託されて五稜郭を脱出した市村鉄之助・・・彼のお話もどうぞ=5月14日へ>>
久しぶりに、イラストを書いてみました~
蝦夷共和国・政権の旗とともに・・・
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コメント
茶々さん こんばんは。
そうです。今日は土方さんの命日。
ちょうど140年目の節目です。
昨日は土方さんの法要に行ってきました。
140年も経つのに、焼香の人は絶えませんよ~。
茶々さんのイラスト、
とってもステキですね。
バックに五稜郭と函館山を
持ってくるところが心憎いですね~。
もしできましたら、
お持ち帰りさせてもらえませんか?
どうぞよろしくお願いします。
投稿: ルンちゃん | 2009年5月11日 (月) 22時57分
ルンちゃんさん、こんばんは~
そうですか・・・140年。
遠い昔のようでいて、平均寿命が80歳の今となっては、ついこのあいだのような気もしますね。
斉藤一さんなんか、ウチらが生まれるちょっと前まで生きてはったんやもんね。
>イラスト・・
こんなのでよければ持ってかえっていただいていいですよ。
本文のほうと、イラストギャラリーのほうと、サイズが違うので、お好きなほうをどうぞo(_ _)o
投稿: 茶々 | 2009年5月12日 (火) 01時19分
茶々さん、ありがとうございます。
さっそくイラスト頂きました。
大切にしますね。
次回の幕末関連記事も
楽しみにしています^^
投稿: ルンちゃん | 2009年5月13日 (水) 23時37分
ルンちゃんさん、
あらためてのお礼のコメントありがとうございますm(_ _)m
投稿: 茶々 | 2009年5月14日 (木) 02時00分
このブログに出会ったきっかけは、土方さんのことを検索していて「面白そう!」という感じでそれから毎日楽しく見させてもらってます。
時代をとわず歴史が大好きです(^-^)/
クラスには、「俺にかなう歴史好きはいないぜ!」という人がいるので負けない様に勉強中です。
せめて幕末だけでもという思いで…
投稿: Ikuya | 2011年7月 8日 (金) 23時10分
Ikuyaさん、こんばんは~
「負けたくない」という気持ちは大切だと思いますよ。
それが、頑張る力の源にもなりますもんね。
ライバルを蹴落として勝つのではなく、供に高みを目指す気持ちで頑張ってください(私も(*´v゚*)ゞ)
新しい事を知るのは楽しいですもんね。
投稿: 茶々 | 2011年7月 9日 (土) 02時37分
今年最後のコメントになりますが、NHK連続テレビ小説「あさが来た」において、約10年ぶりに山本耕史さんが演じた、土方歳三が登場しましたね。しかも、波瑠さんという女性タレントが演じる、広岡浅子という女性実業家(連続テレビ小説では、白岡あさという役名)がいた加島屋(連続テレビ小説では、加野屋となっている)に来た上で、約400両の借金を要求するシーンでした。さらに、近藤勇の名義で、借用書が実際に発見されたということも知りました。ただし、歳三が箱館戦争で戦死したことで、約400両の大金を、加島屋に返済できなくなったのは、言うまでもないでしょう。その一方で歳三は、自身の写真や遺品の数々を、市村鉄之助に託して、佐藤彦五郎(歳三の従兄弟で、義兄)の所へ行かせたのは、正解だったと思います。
投稿: トト | 2015年12月31日 (木) 08時48分
トトさん、こんにちは~
「あさが来た」に限らず、NHK連続テレビ小説は、初回から1度も見た事が無いので何とも…申し訳ありませんm(_ _)m
投稿: 茶々 | 2015年12月31日 (木) 16時10分