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2009年6月18日 (木)

徳川吉宗の「享保の改革」に学ぶこと

 

享保八年(1723年)6月18日、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗「足高の制」を制定しました。

・・・・・・・・

8代将軍・徳川吉宗と言えば、ご存知!暴れん坊将軍・・・昔から、幕府中興の名君=流れのままにマンネリ化して崩れていく態勢を途中で立て直した人として賞賛されてきました。

学校の歴史の授業でも、そう習いました。

初代・徳川家康から、秀忠家光→・・・と、子から孫へと将軍職が受け継がれる中、いつしか将軍の権威が低下し始め、大老側用人(そばようにん)といった側近たちに政治の中心を牛耳られたうえ、肝心の幕府の財政も切迫していた・・・

そこへ、直系の徳川将軍家が絶えた事により、御三家の一つ・紀州からやって来て、享保の改革と呼ばれる一連の改革を行って、江戸幕府に新風を巻き起こして財政を立て直した・・・確かに、その通りでしょう。

ただ、最近では、その幕府の財政建て直しは、庶民の犠牲の上に成り立ったもの・・・つまり、幕府はよかったけど、庶民(特に農民)にはヒドイもんだったなんて事も言われ、その怪しすぎる棚ぼた方式での将軍就任劇も含めて、以前ほどは評価されていないようです。

次から次へと人が死に、その度に順番が繰り上がり、最後の最後に将軍のイスを勝ち得たその不可解な部分については、将軍就任の日のページ(8月13日参照>>)で見ていただくとして、このページでは、やはり、この日制定された「足高の制(たしだかのせい)を含む、享保の改革について書かせていただきます。

・‥…━━━☆

・・・で、この「足高の制」というのは、幕府官僚体制を整備する事が目的の法令で、いわゆる古い確執を取り除いて、能力に応じた人材登用を実現させるもの・・・という事ですが、実は、能力に応じた人材登用は、それまでもありました。

この法令の本来の目的は、その人材登用された人が、その役職を引退した時の話・・・

あたりまえですが、大抜擢されて出世すれば、それとともに給料があがるわけですが、以前は、一旦あがった給料は、その役職を引退しても、そのままで、果ては、その本人だけでなく、その後、子々孫々と代々、その高い給料が維持される・・・といった具合だったのを、この「足高の制」から、役職を引退した時点で、それ以前の給料に戻すという事で、幕府の財政を少しでもやわらげようという事のようです。

しかし、この頃は、給料が石高(こくだか)だった時代・・・石高=禄(ろく)という物は、その家に代々受け継がれる物で、よほどの失敗をして、失脚する的な事がない限り、減らされる事がないというのが、武士の頭の中にありますから、結局は、役職についた時にupされた石高は、そのまま、その家に世襲される事が多く、あまり効果がなかったようです。

世襲というのは、いつの時代も、「このままではいかん!」と思いながらも、ず~っと続いてきたぶん、「どこでやめるのか?」という事を決定するのが難しく、結局は、ダラダラと次ぎの時代へと受け継がれるモンです・・・つい、最近、よく似た光景を見た気がします。

・・・で、もちろん、享保の改革は、この足高の制だけではありません。

その主な施策は・・・

  1. 「足高の制」・・・上記の通りです。
  2. 「目安箱」・・・庶民の意見を聞くために設置
  3. 「新田開発」・・・新作物作りも奨励
  4. 「株仲間結成」・・・商業の統制を図る
  5. 「上米(あげまい)の制」・・・武士の財政難救済
  6. 「定免法(じょうめんほう)・・・これから紹介します

などなどありますが、やはり、一番の目的は幕府の財政難を解消するための年貢増徴策・・・早い話が増税・・・。

今なら、増税を一番意識させられるのは消費税ってところなのでしょうが、この頃の税は年貢=米・・・なので、吉宗が「米将軍」とも呼ばれるようになるのも、いかに、享保の改革の中心がそこにあったかを物語っているものと思います。

・・・で、その年貢増徴策の一つとして行われたのが「定免法」です。

これは、それまでは、「検見取法(けみどりほう)といって、秋の実りの季節に、藩の役人などが各村々を巡り、その年の作物のでき具合によって年貢の量を決めていたものを、出来高に関係なく、あらかじめ決めてあった年貢の量を納めさせるというものです。

確かに、以前は、その見回りをする役人の小手先しだいで年貢の量がどうにでもなる事で、いわゆるワイロが耐えなかったのも事実・・・金は渡すわ、接待するわ、あげくのはてには、村一番のべっぴんをその日の夜伽に差し出すなんて事も行われていたようで、それを防止するために・・・

Tokugawayosimune700ats ・・・だったら、吉宗さんカッコイイんですが、実は、村の事情なんか関係なく、ただ単に、「一定の年貢を毎年確保したい!」というのがホンネだったようです。

だって、そんなもん、はなから少なく設定するなんて事ありえませんからねぇ・・・で、結局は、農民はしぼり取れるだけしぼられた・・・というのが現状のようです。

それを、如実にあらわしているのが、人口の停滞です。

実は、この享保の改革が始まった途端、それまで順調にのびていた人口が、ピタリととまり、中には、減少となった年もあるのです。

つまり、年貢をしぼり取られて、貧困にあえぐ農民たちには、子供を育てる余裕などないわけで、オギノ式や避妊の技術もないこの頃は、悲しいかな、間引きという行為が行われ、一家につき、2~3人の子供がいれば、その後生まれた子供は間引くというのが暗黙の了解になっていたようです。

農民たちは、泣きながら「神様に戻した」とか「お地蔵様の弟子にした」と、自分自身に言いきかせていたのだとか・・・

先ほど、世襲のところで、「最近、そんな光景見たような」と、申し上げましたが、これも、最近聞いたような・・・

もちろん、平成の世に間引きはありませんが、いわゆる結婚しない若者少子化・・・。

収入に不安があれば、なかなか結婚に踏み切れませんし、結婚しなければ子供ができる確立も、うんと少ないですからねぇ・・

こうして、享保の改革での人口停滞の事を考えると、小手先の少子化対策ではなく、まずは、経済の回復・・・

結婚&出産の後、この先、10年・20年はかかる子育て期間の収入が見通せる事ができたなら、自然と結婚したい人は結婚し、おのずと子供も生まれると思うんですが・・・

女性の社会進出が叫ばれて久しいですが、無防備で生まれて来る子供の世話は誰かがしないといけないわけで・・・となると専業主婦や専業主夫も一つの選択肢なわけで・・・なんせ、女性には母性本能、男性にも父性というものが備わってるらしいですから・・・

専業主婦を「夫の家政婦」と考える人もいるようですが、母性本能が旺盛な人なら(夫&子供含めて)愛しい人の世話をやきたい!」というのがあるのも確かですし、経済が安定していれば、毎日の生活に余裕ができますしね。

いったい誰かワカランが・・・平成の吉宗公!
世襲でもなんでもいいから、この不況を、何とかしてくだされ~

・・・と、取り乱してしまいましたι(´Д`υ)アセアセ
 .

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コメント

いつもながらの深い内容に関心しました。
世襲増税少子化 確かに頷けます。
特に少子化。
政府は本気で取り組む気があるのかいな?
夫婦共働きさせれば少子化が止まると思っている偉い方々
共働きでも時間とお金が子供のいない人より負担が大きくなります。子供のいない同世代の人に対して不公平感を感じます。勘ぐれば子育て世代からもがっちり所得税をゲットしようと狙っているような気もします。
それで子供を生む人がふえると本当に思っているんでしょうか
歴史から学ぶことは本当に大きいと思います。
為政者も主権者も歴史を知るべきでしょう。
そういった意味でも歴史をわかりやすく紹介してくれているこちらのブログはとてもありがたい存在だとおもいます。
今後の益々のご活躍をお祈りします。

投稿: | 2009年6月18日 (木) 18時31分

うれしいコメントありがとうございます。

このままの状況で、子供の数が減っていくと、いつか、この国自体がなくなってしまうのではないかと不安です。

何とかしていただきたいですね。

投稿: 茶々 | 2009年6月18日 (木) 23時44分

いつも楽しく拝見させて頂いています。検索中に偶然このブログを見つけたのがふた月くらい前でしょうか?それ以来ほぼ毎日見ています。パソコンがぶっ壊れたままで今は携帯でしか見れませんが…。私は歴史好きで(言うと変人扱いされるのわかってるので友達にも言った事ありません)、管理人さんの関西弁(私も関西!)のツッコミや会話が爆笑もので、でも笑いだけじゃなく鋭い見方や『へぇ知らなかった!』って新しい発見もあり本当に楽しめます!1ファンとしてこれからも応援していきますので末永くブログ続けて下さい!

投稿: みどぽん | 2009年6月25日 (木) 22時44分

みどぽんさん、うれしいコメントありがとうございます。

そう言っていただけると、元気になれます!

投稿: 茶々 | 2009年6月25日 (木) 23時15分

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