金のなる木は俺のモノ!景勝と兼続の佐渡攻略
天正十七年(1589年)6月12日、越後の上杉景勝が佐渡へ渡り、河原田城を攻撃・・・城主・本間高統が自害しました。
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ご存知、佐渡は日本で最大級の金の産地・・・古くは、『今昔物語』に登場する西三川(にしみかわ)砂金山、戦国時代には鶴子(つるし)銀山が有名でした。
ちなみに、佐渡金山の代名詞とも言える相川金山は、発見が慶長六年(1601年)なので、今日のお話には登場しません。
・・・で、すでに、書かせていただいている毛利と尼子の銀山争奪戦(12月24日参照>>)でもわかるように、金のなる木・・・いや、金のなる山は、やはり、誰しもが手に入れたい物・・・。
この佐渡島は、鎌倉時代から佐渡守護代として本間氏が統治する島で、上杉謙信の時代には、金堀人足を送り込んで、何かしらの関係を築いてはいましたが、完全に支配下に治めるまでには至っていませんでした。
ただ、そんな本間氏も一枚岩ではなく、当時は、
- 西三川金山・・・羽茂(はもち)本間氏
- 新穂(にいぼ)金山・・・久知(くじ)本間氏・潟上(かたがみ)本間氏
- 鶴子銀山・・・河原田(かわはらだ)本間氏・沢根(さわね)本間氏
という5つの氏族に分裂していたのです。
やがて、天正十四年(1586年)、豊臣秀吉の要請に応じて上洛を果たし、正式に豊臣の傘下となった上杉景勝(かげかつ)は、その秀吉から佐渡討伐の許可を得た後、再三に渡って、その本間氏に春日山城への出仕を要請します。
秀吉の要請に答えて上洛したら豊臣の傘下となる・・・この事でもわかるように、景勝の要請に応じて春日山城へ出向く事は、イコール上杉の傘下となる事を意味します。
もちろん、狙いは佐渡の金山を支配下に治めて、その利益を得る事・・・。
しかし、当然の事ながら、すんなり応じるはずはありません。
良い返事が帰って来ない事にいらだつのは、景勝の重臣、ご存知、直江兼続(かねつぐ)です。
上記の通り、もともと一つの家だったところが分裂したとなると、やはり、そこには少なからずの確執があるのも当然の事・・・中でも、現在の佐渡では、羽茂城主の羽茂本間高茂(たかもち)と、河原田城主の河原田本間高統(たかつな)が勢力を誇っていました。
そこで、自ら佐渡攻めの総司令官となった兼続が目をつけたのは、そんな一番手の下に隠れた沢根氏と潟上氏・・・
兼続は、この2氏に、刃向かえば出兵も辞さない事を予告しつつ、半ば脅迫めいた書状を再三に渡って送りつけ、上杉への協力・・・つまり寝返りを要請するのです。
そんな圧迫に耐え切れなかったのか、本間氏のトップへの野望があったのか、沢根城主の沢根本間左馬助が上杉に内通します。
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(このイラストは位置関係をわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)
かくして、天正十七年(1589年)6月12日、景勝・兼続自らが1000余艘の大船団を組んで佐渡へと向かい、密かに真野湾へ侵入・・・左馬助の案内により、3千とも数万とも言われる大軍が沢根から上陸します。
上杉の上陸を知った本間氏は、続々と河原田城へと集結し、5手に分かれて立ち向かおうと試みますが、悲しいかな、すべてを合わせても500ほどの数です。
しかも、彼らは、これまで島内での小規模な戦闘の経験しかないような国人たち・・・その相手となるのは、秀吉に服従したとは言え、戦国の屈指の大名・上杉です。
圧倒的な武力の差に、たちまちのうちに大混乱となり、間もなく、沢根の兵に放たれた火によって、河原田城は炎に包まれて落城・・・高統も、その城の中で自刃しました。
河原田城の落城を知った国人たちは、続々と沢根へと降りますが、まだ、佐渡の南側に位置する羽茂城が残っていました。
16日、羽茂城近くに陣取った上杉軍が総攻撃を開始・・・竹林に隠れて狙撃するというゲリラ作戦を展開した羽茂本間氏でしたが、すでに他の佐渡の国人を味方に引きいれて、さらに多勢となった上杉軍には、到底かないませんでした。
結局、この羽茂城もこの日のうちに落城し、城主・高茂は、城を脱出して秋田へ逃亡・・・
しかし、出航した船が嵐のため、秋田ではなく越後へと漂着し、上杉方に捕らえられ、まもなく処刑されました。
こうして、佐渡の金山は上杉の物となります。
佐渡の支配を任された兼続は、例の上田衆や与板衆を代官として佐渡に置き、金山経営でガッポガッポ儲ける事に・・・
ただし、ご存知のように、関ヶ原と同時に勃発した長谷堂の戦い(9月16日参照>>)で西軍についたため、その後は、金山の経営は徳川のものとなり、さらに冒頭に書いたように、新たに最大の金山も見つかって、今度は、徳川がガッポガッポ儲ける事になります。
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コメント
この佐渡平定戦の顛末も花の慶次に取り上げられ前田慶次が縦横無尽に大活躍する様が描かれてますね。こうして見てゆくと…やっぱ慶次には天地人に出てきてもらいたいですね。
投稿: マー君 | 2009年6月13日 (土) 00時19分
マー君さん、こんばんは~
「花の慶次」は読んでないので内容は知らないのですが、聞くところによれば、隆慶一郎氏の時代小説・「一夢庵風流記」を原作にしているらしいですね。
実際には、この佐渡攻略より後の小田原征伐でも、慶次郎は、未だ前田利家の配下として出陣してますので、ひょっとしたら、その佐渡攻略のお話は隆慶一郎氏の創作?なのかも…
そうなると、やはり、火坂雅志氏の「天地人」原作という事ですから、ドラマの内容が他の小説の影響を受ける事はマズイのではないでしょうか?
一視聴者としての希望はありますが・・・
投稿: 茶々 | 2009年6月13日 (土) 02時31分
これまでの定説や常識とは違った解釈を取り入れて原作には無いエピソードもかなりふんだんに盛り込まれているみたいですから、ここで一つや二つ史実とは違う…否や原作にも無い話が増えたって、どうってことは無いと思います。しかも父上の再婚相手ナンテ余計な人間を出してくる無駄な時間があるなら、兼継の生涯の友人の一人になった慶次郎は絶対に出してほしいです。
投稿: マー君 | 2009年6月13日 (土) 21時08分
マー君さん、こんばんは~
>余計な人間を出してくる無駄な時間があるなら・・・
マー君さんも、今回の「天地人」にはとうとう・・・って感じですか?
確かに、坂本龍馬なんかは、司馬遼太郎氏の創作キャラである「竜馬」が、今じゃ完全に歴史上の龍馬そのものになってしまって、あっちこっちにそのキャラで登場してますね。
同じように前田慶次郎も隆慶一郎氏の創作キャラの「慶次」のイメージがついてしまって、実際には父子ほどの年齢差があるのに兼続らと同世代のように感じてしまっている方々も多いですから、今後は、龍馬のように小説のキャラ設定のままであっちこっちに登場してくるようになるのかも…ちょっと複雑ですが…
投稿: 茶々 | 2009年6月13日 (土) 23時50分