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2009年7月 9日 (木)

天狗党・大暴れ!~下妻夜襲~

 

元治元年(1864年)7月9日未明、天狗党討伐のために編制された諸生党本陣に、藤田小四郎以下・天狗党が奇襲をかけた下妻夜襲がありました。

・・・・・・・・・

久しぶりの攘夷の魁天狗党です。

ペリー来航(6月3日参照>>)によって開国に踏み切った幕府は、朝廷からの再三の攘夷(外国排除)の要求に、その決行を約束しつつも実行に移す気配なく・・・

逆に、八月十八日の政変(8月18日参照>>)で、政治の中心部から尊王攘夷派を一掃します。

Tengutoufuzitakosirou600a そんな中、幕府へ攘夷を訴えるべく立ち上がったのが、今は亡き水戸学の権威・藤田東湖(とうこ)の息子・藤田小四郎・・・元治元年(1864年)3月27日、筑波山に同志を集め、天狗党として決起します(3月27日参照>>)

水戸藩内でも賛否両論ある中、本拠地を転々としながら活動する天狗党でしたが、その姿勢は、倒幕ではなく、あくまで現幕府の方針転換を要求する事・・・しかし、軍資金を巡ってのトラブルをきっかけに、幕府は天狗党・討伐を決意し、水戸藩内の反対派を中心に天狗党討伐軍=諸生党(しょせいとう)が結成されます(4月10日参照>>)

・・・と、ここまでが前回までの流れ・・・

かくして、再び筑波山を本拠地とした天狗党に対し、市川三左衛門(いちかわさんざえもん)率いる諸生党・約700名に、幕府ほか古河結城土浦高崎などの諸藩の反対派を加えて6000余りの大軍に編制された討伐軍・・・

彼らが江戸を出発したのは、元治元年(1864年)6月17日の事でした。

一方、迎え撃つ天狗党は、約1000名ほど・・・最初に両軍が激突したのは、7月7日午前4時頃の事・・・

洞下(ほらげ・茨城県つくば市)高道祖(たかさい・下妻市)のほぼ中間あたりで、約2時間に渡って砲撃戦が行われましたが、数に劣る天狗党はやむなく撤退・・・

このまま、まともに戦っては勝ち目なしと判断した天狗党首脳陣は、隊を2手に分け、奇襲をかける事にします。

元治元年(1864年)7月9日、まだ陽も明けぬ午前4時頃、地元出身で地の利のある飯田軍蔵(ぐんぞう)の道案内にて、小貝川の上流を迂回して、敵本陣・多宝院(たほういん)へと突入する藤田小四郎隊と竹内百太郎隊・・・

ちょうど、その時、先の7日の戦いの勝利に酔いしれ、祝宴あげまくりの諸生隊・・・ふいを突かれた三左衛門は、負傷して逃亡・・・慌てた他の隊士たちも、ほぼ応戦する事なく逃げ出します。

一方、高崎藩士を中心に雲充寺(うんじゅうじ)に陣取っていた諸生隊も、天狗党別働隊に攻め込まれて逃走・・・この日の戦いは、天狗党の大勝利に終ります。

この勢いのまま、海路、横浜へと向かい、横浜港の閉鎖を決行する事を決意する天狗党でしたが、夜襲決行から10日ほどたった頃、その計画を打ち砕くニュースが舞い込んできます。

先の夜襲で逃亡した三左衛門ら諸生党が、水戸城へと入城し、そこにいた天狗党の家族を捕らえて暴行・虐待を繰り返しているというのです。

こうなったら、「水戸城を占拠して、まずは家族たちを救わねば!」といきり立つ小四郎たちでしたが・・・

そうです。
天狗党の隊士となっているは水戸藩の者だけではありません。

あくまで、水戸城に捕らえられているのは、水戸藩の天狗党の家族・・・

「大義の前には犠牲はつきもの」
「個人的感情を捨て、まずは攘夷決行の姿勢を見せるべき」
「水戸藩内の争いを天狗党に持ち込むべきではない」
などの意見が多数出ます。

ごもっともなご意見ですが・・・

やはり、どうしても、捕らえられている家族を見捨てる事ができない小四郎らは、その反対を押し切って、水戸城の占拠を優先します。

ここで、多くの隊士が脱退を決意・・・天狗党を去っていきました。

7月26日・・・隊を分裂させてまで決行した水戸城占拠作戦でしたが、ただでさえ、数のうえで劣勢な天狗党が、さらに分裂した事で、もはや、勝敗は明らかでした。

水戸城下での戦いに破れてしまう天狗党・・・

しかも、ここに来て、幕府は、相良(さがら)藩主・田沼意尊(おきたか)を中心に、幕府による天狗党討伐軍・1万3000を再編成します。

前面の諸生党・・・
背面の幕府軍・・・

もはや、天狗党の運命もこれまでか!・・・と思いきや、まだまだ踏ん張ります。

・・・というか、ここからが第二幕・・・なんせ、天狗党の代表格となるべき、頼れるオッチャン=武田耕雲斎(こううんさい)がまだ仲間になっていません。

なのですが、そのお話は、やはり、新生天狗党が誕生する10月25日のページへどうぞ>>
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