第一次木津川口海戦~信長を悩ませた村上水軍
天正四年(1576年)7月13日、10年に渡る織田信長と石山本願寺との戦い・石山合戦のさ中、第一次木津川口海戦が展開されました。
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天下統一を目指す織田信長・・・
宗教による団結で権力に支配されない自由都市を運営する本願寺・・・
その対立は、ついに、元亀元年(1570年)、大坂・石山本願寺の法主(ほっす)・顕如(けんにょ)による全国の本願寺門徒への「身命を捨てて法灯を守れ!」の呼びかけによって石山合戦へと突入します(9月12日参照>>)。
(【野田福島~春日井堤の攻防】も参照>>)
途中、信長によって将軍の地位をないがしろにされた足利義昭の呼びかけに応えて、石山本願寺に強力した武田信玄や上杉謙信・朝倉義景(よしかげ)・浅井長政などによる信長包囲網が敷かれ、すべてを敵に回して戦う事になった信長でしたが・・・
天正元年(1573年)には浅井・朝倉を倒し(8月27日参照>>)、
翌・天正二年には長島一向一揆を潰し(9月29日参照>>)、
続く天正三年の5月に、信玄亡き後の武田を長篠の合戦で蹴散らし(5月21日参照>>)、
その後、高屋新堀城の戦い(4月21日参照>>)を経て、10月には一旦本願寺との講和を結びますが、かりそめの講和は、翌・天正四年(1576年)5月3日、天王寺合戦において破られました(5月3日参照>>)。
天王寺合戦の後、砦の数を増やして本願寺を包囲する信長・・・
一方、包囲されたとなると、本願寺は、籠城戦をせざる得なくなるわけですが、籠城戦となると、何より重要なのは兵糧の問題・・・
籠城というのは、防戦一方の戦いで、そのままでは破滅へと向かう戦い方なわけですが、ただ一つ、勝てるとしたら、それは、長期に渡る籠城・・・兵糧を少しでも多く確保して、いかに戦いを長引かせるかによって、形勢逆転のチャンスのある無しが決まるわけです。
そんな中、ここに来て西国の雄・毛利輝元が、叔父の吉川元春&小早川隆景(たかかげ)とともに、本願寺の支援へと重い腰をあげます。
毛利の一番強味=水軍を大いに活用し、本願寺へ、海路による兵糧の運び込みをしようというのです。
本願寺の兵糧を満載した数百艘の船団が、その護衛をする村上水軍中心の約300艘とともに大坂湾に現れ、和泉(大阪府)の貝塚に到着したのは7月12日の事でした。
ここで、紀州の雑賀(さいが・さいか)水軍と合流した船団は、一路、堺から木津川口へと向かいます。
対する信長勢の水軍(安宅水軍=11月4日参照>>・淡輪水軍・沼間水軍など)は、大きな櫓を乗せた安宅船・約10艘を中心に武者船・300艘を左右に広く配置し、「これより河口へ入れてなるものか!」と、待ちうけます。
かくして、天正四年(1576年)7月13日・・・第一次木津川口の戦いがの幕が切って落とされます。
まるで、通せんぼをするがのごとく、横一列の織田水軍に、縦の編制で挑む毛利配下の村上水軍は、水軍独自の艦隊編制の陣形をとり、ほら貝の合図が鳴ると、あらかじめ決められた役割分担による見事な連携プレー攻撃を開始します。
村上水軍の指揮をとるのは、父・村上武吉(たけよし)の名代として参戦した24歳の若き司令官・村上元吉(もとよし)・・・。
まずは、板などで高い壁を造り、その影にかくれるように射手をしのばせた盲船(めくらぶね)が、一斉に矢を放ちます。
焙烙(ほうろく)
素焼きの土鍋などに火薬を詰め二つ合わせて火縄をて敵船に投げ込む手投げ弾のような物。
次ぎに、2番手に控える焙烙(ほうろく)船が、敵船に焙烙を投げ込みますが、そこには、当然火の手があがり、船上は大混乱・・・突然の火災に慌てた兵士が次々に海へと飛び込みはじめたら、3番手の武者船が、敵船に舳先をぶつけながら真横につけ、次から次へと刀を持った兵士が敵船へと乗り込み、船上の敵兵に斬りかかります。
また、これらの攻撃に動じない強い船には、ノミを持った兵士が水中にもぐって敵船の下まで行って船底に穴を開ける鑿入り(のみいり)というゲリラ攻撃も同時進行させました。
この陸戦に勝るとも劣らない見事な陣形の連携プレーによって、『信長公記』にも「歴々数輩討死候(そうろう)、西国船勝利」とあるように、信長勢は大混乱となり、一方的な戦いとなってしまいました。
もちろん、兵糧は石山本願寺に搬入され、本願寺側の士気も最高潮!
・・・というのも、実は、この時の織田水軍・・・沼田氏や真鍋氏など、和泉・河内(大阪府)や摂津(兵庫県)の名だたる水軍で編制されていたものの、毛利による兵糧搬入の噂を聞いての寄せ集め軍団で、とても、毛利+小早川水軍+村上水軍の連携には着いていけない状態だったのです。
手痛い敗北を喰らった信長。
再びの戦いは、1年4ヶ月後・・・
同じ場所で、同じシュチュエーションで・・・
ただし、同じ轍を踏まないのが信長・・・
そう、この後、登場するのが、村上水軍の焙烙に対抗すべく制作したあの鉄甲船と、それをフルに活用してくれる優秀な海の軍団・・・九鬼嘉隆(よしたか)率いる九鬼水軍と、滝川一益の滝川水軍・・・
そのお話は…
●【入港前の丹和沖の海戦】>>
●【鉄甲船の完成披露】>>
●【第二次木津川口海戦】>>にてどうぞo(_ _)oペコッ
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