織田・朝倉連合軍VS斉藤道三~井ノ口の戦い
天文十三年(1544年)9月23日、織田・朝倉の連合軍が稲葉山城下に火を放ち斉藤道三を攻めた井ノ口の戦いがありました。
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もともと南北朝の時代がら、美濃(岐阜県)の守護だったのは、清和源氏の流れを汲む土岐(とき)氏・・・その配下に守護代の斉藤氏がいて、その下に小守護代の長井氏という序列だったわけですが、その土岐氏の後継者争いで、斉藤氏の推す兄・頼武(よりたけ)に勝利して、天文五年(1536年)に第14代守護となったのが土岐頼芸(ときよりなり)でした。
この時、頼芸を強く推して勝利へと導いたのが、頼芸に仕えていた長井長弘・・・ここで、その長弘とともに頼芸を支えて主家である斉藤氏を追いやったのが、京都の妙覚寺の僧から還俗(げんぞく・出家していた人が一般人に戻る事)して、当時、長弘の家臣となっていた人物・・・
彼は、もともと西村姓を名乗っていたのを、主君の信頼を得て、主家の長井姓を賜り、この頃は、長井新左衛門尉(しんざえもんのじょう)と名乗っていた・・・この人が斉藤道三(どうさん)のお父さんです。
近年の「六角承禎条書(ろっかくじょうていじょうしょ)」の発見により(1月13日参照>>)、今や、道三の出世物語は、親子2代の話である事が定説となっていますが、このあたりまでは、父である新左衛門尉さんのお話であろうとされています。
まもなく長弘が亡くなり、その息子の景弘が小守護代を継いだと同じ頃に新左衛門尉も亡くなり、こちらも息子の新九郎規秀(のりひで=道三)が継ぎますが、いつの間にか、景弘の名前が長井氏の公文書から消え(道三に殺されたとも)、規秀が、その名跡を継いでしまいます・・・つまり乗っ取っちゃいました。
先の長井氏のクーデターで落とした斉藤氏の居城・稲葉山城に道三が入り、その名を長井規秀から斉藤利政(としまさ)に変えたのは天文七年(1538年)頃と思われますが、その頃には、その名の通り斉藤氏の名跡も継ぎ、もはや守護=頼芸も名ばかりとなり、実権は道三が握っていたのです。
・・・と、長い前置きになりましたが、その頃から勢力をつけてきたのが、隣国・尾張(愛知県西部)の下4郡を支配する清洲織田家のひとり織田信秀(のぶひで・信長の父)です。
未だ、織田家内の内紛も続く中、隣国の三河(愛知県東部)の松平にも手を出して那古屋(なごや)城を奪ったのが天文元年(1532年)(2月11日参照>>)、おそらく、その少し後くらいから斉藤を名乗り始めたかも知れない道三に対し、この那古野城を本拠として他国への軍事行動を起こしはじめます。
ここで、水面下で動き始めた人が、もう一人・・・かの頼芸です。
天文十一年(1542年)に、道三によって追放された彼は、近江(滋賀県)に勢力を誇る六角氏の六角定頼(さだより)の娘が嫁さんだった事で、有力大名の六角氏の支援を得られる自信からか、この信秀と、越前(福井県)の朝倉孝景(たかかげ)の仲介役となるのです(9月3日参照>>)。
朝倉には、冒頭の土岐氏の守護争いで、頼芸に負けた頼武の息子・頼純(よりずみ)が庇護されていて、一時は、朝倉氏と六角氏が彼を推して頼芸と争った、言わば宿敵だったわけですが、もう、そんな事、言ってられません。
信秀にとっては渡りに船・・・。
一方の孝景としては、織田家とは、ともに斯波(しば)家の家臣という立場ではあるものの、朝倉は、守護代を任される直臣で織田家は陪臣(ばいしん・家臣の家臣)・・・そこに、何等かのわだかまりがあったかも知れませんが、ホンネとしては、今現在も、「頼純を守護に・・・」という思いを持っていますから、ここは一つ、連携を組んで、道三を倒そうと、一歩踏み出したのです。
かくして、天文十三年(1544年)9月、織田・朝倉連合軍が美濃への侵攻を開始します。
19日には、赤坂の戦いで勝利し、その勢いのまま、連合軍は、天文十三年(1544年)9月23日、道三の稲葉山城に迫ります。
ふもとの城下町・井ノ口に火を放って焼き払い作戦にでますが、この時は、道三の巧みな反撃を受け敗走・・・斉藤軍の追撃を受けた織田軍は、木曽川へと追い詰められ、5000の死者を出すという大打撃を受けてしまいますが、ころんでのタダでは起きない信秀・・・大垣城だけは占領します。
しかし、結局は、その後も道三に翻弄され、美濃侵攻はいっこうにはかどらない信秀も、一方の国内では順調に勢力をのばし続け、自国の守護・&守護代をしのぐ勢いなり、尾張の半分以上を制したばかりか、美濃の西半分も手に入れます。
なのに、やっぱり道三とは・・・と、このお話は、信秀VS道三の最後の戦いとなる加納口の戦いのページでどうぞ>>
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