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2009年10月 6日 (火)

彦根城・佐和山城・長浜城・安土城・観音寺城へ行きました

 

ただいま~でございます。

「日曜日は晴れるが月曜日は雨になる」との予報の中、彦根城・登城と、佐和山城・攻略を目標に出発した今回の旅でしたが、翌日、ギリで雨に降られる事もなく、何とか彦根城佐和山城にプラス長浜城安土城観音寺城で、5つの城を攻略して参りました~ヽ(´▽`)/

ご存知ではありましょうが、彦根城は実際の城、長浜城は復元の博物館、佐和山城と安土城と観音寺城の3つは城跡です。

未だ、写真の整理ができていませんので、とりあえずは、メインとなる天守または本丸付近の写真を中心に、感想など書かせていただきますね。

・‥…━━━☆

まずは、彦根城・・・

Dscn8325800 彦根城・天守

やはり、ここは、実際のお城・・・なんせ国宝ですから・・・

お山も、そんなに高くありませんし、観光客のかたが多いので階段も道も、公園のように整備されてますから、登るのも楽・・・

ただ、さすがに、お城の中の階段は、すこぶる急な階段でした。

でも、考えたら、天守閣は住まいではなく、要塞・・・いざという時に立て籠もるための設備で、「敵が下からやって来た時に落す」というのが常套手段ですから、急で当たり前・・・上り下りしやすかったら、それだけ容易に上階まで攻め込まれますからね。

この日は天気が良かったので、最上階の眺望も上々で気分も爽やかでした。

Hikonezyoutenbou900 彦根城・天守からの眺望

写真、手前に見える山の中で、ポコンと頭一つ出ている感じの山が佐和山・・・左奥のデカイのが伊吹山です。

気になっていた「菊の花」(11月4日参照>>)は、季節がちょっと早いせいか、まったく見ませんでしたね~城郭内の玄宮園という庭園にも行きましたが、やっぱりなかったです。

ただ、城域が広いので、どこかに咲いてる可能性もなきにしもあらずです・・・もともと人柱のおねーさんも、助かってるみたいですし・・・。

ひこにゃんは、お出ましが終ったばかりで、次のお出ましまでに3時間もある事がわかり、この後、佐和山に行きたいので、断念しました~泣

そして、今度は、その佐和山城へ登城です。

マニア向けの大手から・・・
国道8号線の佐和山トンネル付近から・・・
などのルートもあるそうですが、初めてという事で、一番わかりやすいとの噂の龍潭寺(りょうたんじ)というお寺のところから登りました。

噂の通り、龍潭寺横にある「東山ハイキングコース入口」の看板のあるところから、ず~と一本道でした。

さすがに、山登りのハイキングコースなので、ヒールではムリな山道ですが、ほぼ30分ほどで本丸跡に到着・・・

Dscn8398a800 佐和山城・本丸跡から西側を見る

ここからは眼下に琵琶湖と彦根城が見え、眺望もすばらしい・・・ですが、何より、あの石田三成も、この景色を見たのかなぁ?と思うと感慨もひとしお・・・もちろん、当時は彦根城はありませんが・・・

Dscn8400800 佐和山城・本丸跡から北側を見る

写真は、こっちの北側のほうがキレイに撮れました・・・こちらは長浜の方角なので、ひょっとして三成は、この景色のほうがよく見ていたかも・・・ですね。
(佐和山城の歴史については2月1日のページへ>>)

翌日は、朝一で長浜城へ・・・

Dscn8442a800

こちらは、復元された天守閣が博物館となっていて、今年の「天地人」にちなんで三成に関する特別展示をやっていたのですが、なんと言っても、あの「直江状」の現存最古の写しが見られた事がラッキーでした。

ただし、アンラッキーもあり・・・
次に向かった安土城で、「公営施設・魔の月曜日」に引っかかってしまいました~。

安土駅前の城郭資料館から信長の館安土城考古学博物館などが、ことごとく休館日・・・まぁ、城跡さえ見られれば満足なんで・・・

それにしても、安土城跡・・・さすがに、完成時には織田信長が拝観料を取って一般に公開しただけあって、現在も、復元天主のない城跡に拝観料がいりましたが、まぁ、こういう物は現状維持が大変なので、そこンとこは仕方が無いところですね・・・お察しします~、いえ、むしろ、頑張って現状を維持していただきたい。

Dscn8517800 安土城・本丸跡

そして、最後にいよいよ観音寺城へ・・・

いよいよというのは、「ここが一番しんどい」との噂を耳にしていたので・・・

ここも、いくつかの登山口がありますが、一番わかりやすい観音正寺(かんのんしょうじ)の参道から・・・

この観音寺城は、(きぬがさ)という山の全山を城域とする日本最大規模を誇る山城跡で、近江源氏の佐々木六角氏の居城だったところ・・・六角氏を倒した(9月12日参照>>)信長によって安土城の後詰めの城という役割となった城で、現在は、山の中腹に観音正寺というお寺があり、そのお寺までは、ず~と石段で、かなりハードです。

観音正寺は西国観音霊場の第32番札所なので、参拝者も多く賑やかです。

ベンチやジュースの自動販売機もあり、景色も良いので、休憩するにはうってつけ・・・と言うより、休憩しないと先に進めないほど疲れます。

ここでじっくり休憩して体力回復し、いざ!本丸へ・・・

Dscn8567800 観音寺城・本丸への石垣

こちらも、川並参道と呼ばれる道や桑實寺(くわのみでら)へ抜ける道もありますが、私の場合は、本丸跡から繖山3角点、佐々木城跡、をグルリ一巡りして観音正寺へと戻りました。

山道ではありますが、丸太などで補強されて道がわかりやすいうえ、要所々々には必ず案内板があるので安心です。

・‥…━━━☆

また、おいおいブログで、くわしく紹介していきたいと思いますが、とりあえずは、今度、行かれる時の参考にしていただければ幸いです。

Dscn8617a600  

絶大な人気を誇るため、どこへ行ってもひこにゃんグッズの中、長浜城にて、やっとライバルしまさこにゃんを発見!

ひこにゃんはもちろんですが、コチラも、即、ゲットしました~
 

残念ながら、いしだみつにゃんは、一度も見かけませんでした(ToT)(数が少ないワリに人気なのだ)
 

 

 

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コメント

おはようございます。
茶々様、お帰りなさいませ。
二日で五つの城、健脚ですね(*^-^)
安土城は、まだ入り口付近が工事中で無料だった頃に訪れました。道幅が広くて、山の上にしてはのぼり易かったと覚えています。
観音寺城は、やはり大変だったんですね。行きたいけどまだ行ってない城址の一つです。若いうちに行っとくべきだったな~(;ω;)
詳しいお話を楽しみにしています。

投稿: おきよ | 2009年10月 6日 (火) 08時31分

おきよさん、こんにちは~

観音寺城、ぜひ、行ってみてください!
古城という感じで雰囲気はすごくいいです!

数々のお城を制覇されてきたおきよさんなら、きっと「こんなのたいした事ないよ」って感じだと思いますよ。

そう言えば、安土城の階段を全部縦一本に並べて、そこに佐和山の山登りの半分くらいを足したような感じと言えるかも知れません。

実際の距離ではなく、あくまで体感ですが・・・

参道の階段がほぼ一直線なのでツライですが、そこを登ってしまえば、城址自体は佐和山より楽でした。

投稿: 茶々 | 2009年10月 6日 (火) 11時05分

茶々さん、お疲れ様です!
2日で5つの城を攻略ですか・・・天才軍師もなかなか出来ることでは無い筈(*^m^)ア
安土城の城下、今となっては創造するしかありませんが活気に満ちた城下町だったんでしょう。キリスト教の教会もあったのかな?外国人もウロウロしていたのかな?なんて考えると楽しいですよね!以前、小田原城を訪れるとなぜか石垣に張り付き忍者のまねをしてしまう私、恥ずかしい(≧∇≦)天守閣からはここを豊臣方が囲んでいたのかと北条 氏政になりきり涙・・・(;´д`)岡崎城では家康になりきりました。熊本城では加藤 清正に。その他、多くの城で有名武将になりきる私に彼女からは冷たい視線が・・・(;;;´Д`)ゝしかしそれこそが歴史好きの特権ですよね!

投稿: DAI | 2009年10月 6日 (火) 14時20分

DAIさん、こんばんは~

今回は、久々の遠出という事で、ついつい、本丸の攻略に先走ってしまいましたが、本来ならDAIさんのおっしゃる通り、ゆっくりと城下を歩いて、あれやこれやと想像を貼りめぐらすのが至福の時・・・

次に行く時は、安土に一日を費やしてみたいものです。
それこそが歴史好きの特権ですもんね!

投稿: 茶々 | 2009年10月 6日 (火) 18時44分

ひこにゃんで思い出しましたが、井伊直政は4日の放送が、「天地人」での登場が最後と言う事になりますね。
再来年は長浜城で「浅井三姉妹 姫たちの戦国展」があったりして。
その11年大河の単行本が、早くも今月末に出る予定です。
記事の城は最近は歴女の「メッカ」の様なスポットです。井伊と石田。現在の滋賀県で人気があるのはどちらですかね?再来年は井伊直政にも脚光があれば幸い。

投稿: えびすこ | 2009年10月 7日 (水) 08時43分

えびすこさん、こんにちは~

確かに、駅前には井伊直政公の銅像がありましたが、城内は、井伊直弼公推しでした。

直政公は、関ヶ原の傷がもとで2年後に亡くなり、実際に彦根城を構築したのは息子の直継公ですし、完成はさらに後なので、そうなると、やはり出世頭は大老にまでなった直弼公という事なのかも知れませんね。

投稿: 茶々 | 2009年10月 7日 (水) 09時59分

遅らばせながら・・・
茶々ママさん、お帰りなさいませです☆

日記を見ながら「ウホウホ」してました(笑)
私が焦がれてやまない地域、総なめじゃないですかぁ!超満喫な2日間でしたね~♪
ひこにゃん様&魔の月曜日(笑)はちょいと残念無念でしたが、素晴らしく快晴(写真の空がキレイ♪)で、感動しました。

また行きたくなった私・・・。
次回はヅッグ(靴)(←古っ)で気合入れて参りたいと思います(笑)

更なる体験記、楽しみに~!です w(^ ^)w

投稿: おふく | 2009年10月 7日 (水) 14時58分

おふくさん、こんばんは~

おかげ様で、日曜日は晴れて最高に爽やかでした。

観音寺城は、佐和山城より荒れた感じ(いい意味で)で、歴史好きの心をくすぐられますので、ぜひ挑戦してみてください。

投稿: 茶々 | 2009年10月 7日 (水) 18時58分

2日間で五つも城跡を巡るなんて、なんとパワフル!?

安土城跡が好きです、今は有料なんですか?でも、茶々さんが仰るようにそれで、維持管理がしてもらえれば感謝ですね!

観音寺城跡、あまり気にとめていなかったのですが、この記事を見て我然行きたくなりました!

足が治れば是非とも訪ねたい、
あー!でも、しばらく動けんなあ💀

投稿: ひろし | 2016年11月29日 (火) 11時00分

ひろしさん、こんばんは~

この時代、近くに新たな城を構築する場合、廃城となる前の城の素材を再利用するため(彦根城構築のために佐和山城を潰すみたいに…)、前の城の石垣などがほとんど残って無い状態になる事が常なのですが、観音寺城の場合は比較的残ってるんです。

以前、どこかのページに書かせていただいたんですが、個人的には、信長は安土城を自宅兼迎賓館として使用するつもりで、イザという時に戦うために、観音寺城をある程度残したままにしてたんじゃないか?と推測しています。

>足が治れば…

是非!
お大事になさって下さいm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2016年11月29日 (火) 18時14分

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