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2009年11月11日 (水)

かかとの無い履き物と「ナンバ」~「下駄の日」にちなんで

 

今日、11月11日は、『下駄の日』という記念日らしい・・・

下駄(げた)の足跡が「11 11」に見えるところから、伊豆の国市観光協会が制定したのだとか・・・

なぜに?伊豆?
・・・という事はともかくとして、下駄の日なので、やっぱゲタの歴史と、それに関連して、以前から、どこかの話題にもぐり込ませようと考えていた日本人の歩き方についてお話させていただきます。

・‥…━━━☆

下駄の歴史は、想像以上に古いです。

なんせ、弥生式の土器に登場しているのですから・・・

ただし、この頃の下駄は、日常にはいて歩く物ではなく、水田耕作用に造られた田げたという物で、いわゆる雪国のかんじきのように、泥田の中に足がもぐってしまわないようにするための下駄でした。

そして、もう一つ、大陸と交流するようになって、下駄のルーツのような物が輸入されたという説もあり、察するに、外国の物と日本の農業用のが入り混じって、やがては日常の履き物へと変化していったように思います。

それでも、しばらくは、洪水の時に使用したり、水濡れするような職場で使用されたりと、主に仕事用の履き物として使用されていた下駄でしたが、そんな下駄が日常的な履き物となるのは、江戸時代の中期頃から・・・

現在のような形になったのは18世紀初頭=宝永年間(1704年~1710年)であろうと推測されます。

その後、正徳年間(1711年~1715年)頃には塗りの下駄が流行し、文化文政の時代(1804年~1829年)にはポックリの流行・・・と、今の人気ファッションと同じように、時々の流行で新製品が生まれ、その中の良い物は定番として残っていくといった形で、デザインも多様になり、様々な工夫もされていったようです。

ただし、実際に、下駄を一般庶民の誰もが履くようになるのは、明治以降の事だそうで、やはり、それまでは、草履(ぞうり)草鞋(わらじ)というのが主流だったようです。

ところで、この日本の伝統的な履き物である下駄・草履・草鞋・・・これらの履き物すべてにかかとが無い事にお気づきでしょうか。

これには、日本人独特の歩き方・走り方が関係しているのです。

実は、日本人が現在のような歩き方・走り方をするようになったのは、明治以降・・・以前、靴の記念日』(3月15日参照>>)に書かせていただいたように、維新となって、真っ先に西洋式に移行したのが、新政府の軍隊でした。

当然、そのページにあるような西洋式の軍服や靴などの衣服だけでなく、軍隊の行進も、西洋の物を見習った歩き方に変えられたわけで、それが、現在の日本人の歩き方なわけです。

現在は、「外国から輸入された靴を日本人が履けない(サイズ違いは別ですよ)なんて事はないわけですが、当時、最初に輸入された靴を、徴兵された一般庶民が誰も履けなかったという事は、やはり、歩き方が違っていたからではないでしょうか。

では、なぜ、日本人は、西洋とは違う歩き方をしていたのか?

それは、日本の地形です。

目と鼻の先に山をひかえた日本人にとって、欧米や大陸のように、平坦な国土に張りめぐらされた平坦の道を歩くという事が少なかったのです。

古来より、細く曲がりくねった山道を歩いて来た日本人は、背筋をピンと伸ばして歩く事はなく、自然と前のめりになり、後ろ足のつま先で地面を蹴り、前に踏み出した足に体重移動して、さらにその前に進むという方式で、この歩き方だと、かかとは地面につきません。

なので、日本の履き物には、かかとがないのです。

そして、体重移動で前に進むという事は、自然と、手と足は、同時に前に出るわけで、現在の、左足が前に出た時に、右手が前に出る歩き方とは、まったく違う事がわかります。

この歩き方・走り方は『ナンバ』と呼ばれ、北京オリンピックのリレーで銅メダル獲得に貢献した末續(すえつぐ)慎吾選手が、アジア大会で新記録を出したときにナンバ走りの動きを意識して走りました」と、答えた事から、一気にその名前が有名になりましたね。

そうなんです。

このナンバ・・・現在のスポーツ理論によれば、これを完璧にマスターすれば、数段早く、数段長い距離を、数段疲れずに歩ける(走れる)らしく、スポーツ選手などが、その歩き方・走り方を研究し、練習に取り入れて、より良い記録に挑戦しているのですが、悲しいかな、実際に、この歩き方のホンモノが伝承されていません。

古武術研究家の方の研究や、未だ残る狂言や歌舞伎の歩き方などから、「このような歩き方であったであろう」という推測はされてはいるのですが・・・確かに、体重移動などは、実際にその歩き方を見てみない限りは、再現できませんよね。

なので、現在研究中のナンバが、どこまで本物のナンバに近いのかは、未だ誰もわからないわけです。

そして、相撲のてっぽうなども、手と足が同時に出る事から、歩いたり走ったりだけではなく、力も強くなる=重い物も持てるのでは?とも言われているようですが、なんせ完璧に再現できないので、その効果は未知数です。

Hiyaku450a ただ、江戸時代の飛脚は、このナンバのおかげで、長距離を疲れずにいち早く移動できたとも言われ、それを聞くと、松尾芭蕉奥の細道で、異常に早く旅をこなした事もうなずけます。

改めて、「日本人、すごいゾ!」と自慢したくなりますね。
忘れられてしまった事が残念ですが・・・
 .

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コメント

おはようございます、茶々様。
私はこのブログと出会うきっかけになったのは「Google」で『戦国時代の食べ物』を検索している時でした。このブログが好きなのは歴史上の事だけではなく日常生活、日本の風習などにも触れているからです。

歩き方の違いには知っていましたが、なぜ昔の人の歩き方が『ナンバ』なのかまでは考えもしませんでした。

また勉強になりました。
今日も茶々様に感謝(*^ー゚)bグッジョブ!!

投稿: DAI | 2009年11月11日 (水) 14時32分

茶々さんこんにちは。
最近では鼻緒付きスニーカー+足袋式靴下があるとか。日本式の履物が復活したかな?
女性は明治時代(庶民は戦後?)までハイヒールは履かなったので、最初にハイヒールを履いた時の歩きにくさは、現代人の想像を超えます。
余談ですが私は時々、歩く時に前のめりになります。日本人のDNAが生きているのかな?

この所、エピソードの蛇足的な事を書いてしまった様で、すいません。
ヾ(_ _*)ハンセイ・・・

投稿: えびすこ | 2009年11月11日 (水) 16時34分

DAIさん、こんばんは~

うろ覚えの情報なので、本文には書きませんでしたが、飛騨・木曽・赤石山脈を「日本アルプス」と命名しやイギリス人登山家だったか宣教師だったかが、日本人猟師の道案内で初めて日本の山に登った時、彼らの履いてる草鞋を見て、「完璧な登山靴に勝るとも劣らない品であった事に驚いた」というのを聞いた事があります。

それだけ、日本人は山道を歩いてきたという事でしょうね。

投稿: 茶々 | 2009年11月11日 (水) 18時40分

えびすこさん、こんばんは~

鼻緒を指ではさむというのも、健康にいいという話を聞いた事があります。
なにやら、土踏まずが形勢されて、疲れにくく、早く走れる足になるのだとか・・・
昔の日本人って、どんだけ早かったんだ?って感じですよね~

>エピソードの蛇足的な事を書いて・・・

いえいえ、全然大丈夫ですよ!
えびすこさんのお話で、「そう言えば、まだ、それ書いてないなぁ」なんて事もあり、ほとぼり冷めたら、また、書きますんで気になさらないで下さい。

こちらこそ、えびすこさんが、もし、そのように思われているのでしたが、そのようにとれるような書き方をしてしまって申し訳ないですヾ(_ _*)ハンセイです

投稿: 茶々 | 2009年11月11日 (水) 18時50分

ロストテクノロジーですね。
この国で馬車が交通手段になりえなかったのは、実は脚袢に草履で全国どこにでも歩いて行けてしまうこの超技術の存在があったからだったとか?
西洋式歩兵術への転換も、そのスピンオフで国民の歩法まで変えてしまったのも、実は馬車も鉄道も使わず江戸から箱館、長崎まで普通に往来してしまう日本人の脚が、やがて自分たちの権益を脅かす存在になりうると気付いた西洋列強が仕掛けた陰謀・・・おやこんな時間に誰か来た?

投稿: 黒燕 | 2009年11月11日 (水) 21時50分

黒燕さん、こんばんは~

あのペリーが、日本の職人技術のすばらしさを見て「欧米を追い越す日が来るかも・・・」と思ったくらいですから、陰謀もありえない事ではないかも知れませんね~

投稿: 茶々 | 2009年11月11日 (水) 23時48分

猫の絵目当てで原宿の大田記念美術館に浮世絵を見に行ったのですが(浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし:終了)浮世絵でみると人の足の形が違うのが気になりました。
足の甲の形が直線ではなく丸いんです。足のアーチが現代人より強いのですね。「靴が履けなかった」のはそのためではないかと思います。
ところで丑の刻参りのコメントに書きそびれたのですが、足駄はもともと山伏の履物だったそうで。信じられませんが。

投稿: りくにす | 2012年8月12日 (日) 19時20分

りくにすさん、こんばんは~

歩き方が違えば、足の形も違いますからね~
最近は、どんどん土踏まずの無い人が増えているとか…

投稿: 茶々 | 2012年8月13日 (月) 02時34分

おとといの書き込みの訂正になってしまいますが、展覧会の図録を見ると現代人のような足を描く画家もいます。
靴がはけないほどきついカーブの足を描くのは歌川国芳たちで、足の甲をありえないほど丸く描きます。国芳の美人はわりと普通なのですが、国貞は女性の足もやたらと甲高です。実際の足の形よりも美意識の問題かもしれません。

投稿: りくにす | 2012年8月14日 (火) 21時16分

りくにすさん、こんばんは~

浮世絵は何かとデフォルメされる事が多いですね。
遠近法も、わざと違っていたりします。

投稿: 茶々 | 2012年8月15日 (水) 02時09分

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