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2009年11月 7日 (土)

戦国のトラブルメーカー~小野次郎右衛門忠明

 

寛永五年(1628年)11月7日、戦国屈指の武芸者・小野次郎右衛門が60歳で亡くなりました。

・・・・・・・・・

小野次郎右衛門忠明(おのじろうえもんただあき)・・・もとの名を神子上典膳(みこがみてんぜん:御子神)と言い、里見氏の家臣の子として安房国(千葉県)に生まれました。

里見の万喜城攻めでは、名のある敵将と一騎打ちをして名を挙げるも、思うところあって里見を出奔し、一刀流の剣聖・伊東一刀斎に弟子入り・・・ここで兄弟子を破り、一刀斎から流派の後継者に指名されたのだとか・・・

Tokugawaieyasu600 その後、文禄二年(1593年)に、その師匠の推薦で徳川家康に200石で兵法指南役として召抱えられ、関ヶ原の合戦では徳川秀忠とともに上田城を攻めたり、大坂の陣でも武功を挙げて大活躍・・・1年送れで同じ兵法指南役として召抱えられた柳生宗矩(やぎゅうむねのり)ライバル視される剣豪で、彼の流派は、後に小野派一刀流と称されて世に残ります。

・・・と、見事な経歴の次郎右衛門さん。

しかし、ライバルとされる柳生新陰流の宗矩に比べて、あまりそのお名前を聞きませんねぇ~。

それを裏付けるかのように、同時期に同じ兵法指南役として同じ200石で召抱えられた宗矩が、関ヶ原で2000石、大坂の陣の後には3000石に加増されるにも関わらず、次郎右衛門は、その生涯で600石・・・息子の代になってやっとこさ800石になったくらいです。

「腕が違うんだろ?」
いえいえ、彼の一刀流も、新陰流に勝るとも劣らないすばらしい流派です。

実は・・・
彼は、世渡りベタだったんです。

良く言えば、素直で純粋・・・思った事をそのまま口にして、たとえ相手が上司でも媚びへつらう事を嫌い、自らの心情を貫き通す人・・・

しかし、そんな彼の、周囲を気にせずにわが道を行く行動は、時には周囲を巻き込んでのトラブルとなり、他人に迷惑をかけておきながら、本人はまったく反省の色もなく、また、同じような事をくりかえす・・・

戦国を駆け抜ける一武将として見た場合は、そんな性格も破天荒で魅力的ではありますが、組織の一員となれば、こんな迷惑な人はありません。

当然、周囲からは煙たがられ、果ては、その出世も思うように望めない・・・って事になるわけです。

まずは、かの関ヶ原の時の上田城での出来事・・・

この時、次郎右衛門は、上田城内から物見のために出てきた依田兵部(よだひょうぶ)という者の顔面に一太刀浴びせますが、ほぼ同時に、同僚の辻太郎助という人物も兵部に斬りつけました。

この直後に、彼らは窮地に陥ったものの、味方の加勢によって、何とか助かったのですが、そのありがたみも忘れ、この二人は、どっちが先に兵部に斬りつけたか?・・・つまり「初太刀はどっちか?」でモメ始めるのです。

周囲は、なんとか二人をなだめて事を納めようとしますが、本人たちはいっこうに聞き入れず、結局、家来の数人を馬買いに変装させて真田の家臣に密かに送り、実情を確かめるはめに・・・

結果的には、次郎右衛門の初太刀が認められる事になりますが、上司に敵方への問い合わせをさせる家臣って・・・迷惑極まりないです。

さらに・・・
ある時、秀忠が、家臣たちの前で、剣術についての自論を展開していたところ、「剣術なんて刀抜いてナンボのもんや! こんなトコに座りながら色々言うてても、畑で水泳の練習してるようなもんやがな」と、いきなりのチャチャ入れ・・・

その場での上司・秀忠のメンツもまる潰れ・・・では、ありますが、秀忠もオトナ・・・表情こそ変わったものの、大したトラブルにはなりませんでしたが、その直後、次郎右衛門は、またまた問題を起します。

その頃、両国あたりで「真剣で立会い、斬り殺されるかもしれない覚悟のある者はおいであれ」という看板を掲げた町道場があったのですが、その事を聞きつけた次郎右衛門・・・早速、その道場に出向いて勝負を挑みます。

真剣の相手を鉄扇で受け止め、さらにその鉄扇で脳天叩き割り!

さすがに、先日は怒りを押えた秀忠も、今回は激怒・・・「天下の師範にあるまじき行動」として、勝ったにも関わらず次郎右衛門は蟄居(ちっきょ・謹慎処分)を言渡される事に・・・

確かに、強いところを見せたいのはわかりますが、将軍家の指南役が一・町道場で暴れては、将軍家の看板にも傷がつきます。

まだあります。

ある時、余興で立会いを求めたある大名を相手にした時、その木刀を逆さに掴みながら・・・
「アンタもいらん事を望んだもんや!ケガするのが気の毒やな」
との、相手をナメきったセリフとともに、両腕をへし折り、終生体の自由を失ってしまうほどの重傷を負わせたのだとか・・・

そんな次郎右衛門は、同僚(っと本人は思ってる)の宗矩に対しても・・・
「お前とこのアホ息子でも、罪人の中から腕のたつ者みつくろうて、真剣で斬り合わせたら、ええ修行になって腕もあがると思うでぇ」と・・・

ご存知のように、新陰流は「剣禅一如(けんぜんいちにょ・極めれば剣も禅も同じ)がモットー・・・真剣で稽古をする小野派一刀流に対して、もっぱら新陰流は袋竹刀(ふくろじない・竹を割って造った練習用の物)での稽古でした。

この次郎右衛門の提案に対して、宗矩は、常に「せやね~君の言う通りやねぇ」と言いながらも、終生、その提案を受け入れる事はありませんでした。

トラブルメーカーだった次郎右衛門は、結局、大坂の陣の後、閉門処分に処せられ、寛永五年(1628年)11月7日、60歳でこの世を去ります。

要領が良い人と悪い人・・・
結果、3000石と600石・・・

確かに、隣にいたら迷惑だけど、対岸の火事として見るなら、次郎右衛門さんは、かなり魅力的な人ではあります。

「そうやね」と、口では言いながら、心では「そうやね」とは思っていない宗矩の態度のほうが、考えようによっては、事なかれ主義で、魅力には欠けるという事もありますが、やはり、群雄割拠の時代と、戦国も終わる時代とでは、見てる側は淋しいものの、その生き方も考えなくてはならないのかも・・・

もっと戦国真っ只中だったなら、その個性を、余すところ無く発揮できたかも知れませんね。
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コメント

>もっと戦国真っ只中~
どうでしょうね?
むしろ、後ろから刺されるに一票。

投稿: ことかね | 2009年11月 7日 (土) 12時11分

ことかねさん、こんにちは~

>後ろから刺されるに一票・・・

アハッ!
本当ですね~

戦国なら、回りは我慢なんかしてくれず、一発でやられてたかも・・・です。

投稿: 茶々 | 2009年11月 7日 (土) 12時47分

こんにちわ~、茶々様!
小野 忠明さん、こんな奴がいたら迷惑極まりないですね・・・でも私と気が合うかも(*´v゚*)ゞ
私、現在 海外で仕事をしていますがやはり『日本式』を取り入れるのは非常に難しいものです。『郷に入れば・・・』というのも分かりますが。まぁ私も現地の人の意見なんて聞きもしない(気にもしません)ので「うるさい!私の決定に従ぇ!日本式でやってたら必ず上手くいく!だから日本人は金持ちなんだ!」と押しつけています・・・。
『日本式』を信じて突き進む私・・・なんか小野 忠明さんと似ていませんか?

投稿: DAI | 2009年11月 7日 (土) 14時33分

DAIさん、こんにちは~

>『郷に入れば・・・』

確かに、「郷に入れば・・・」ですが、「ここは譲れない」ってのもありますよね~

そこの配分が難しいところです。

投稿: 茶々 | 2009年11月 7日 (土) 15時01分

骨の・・・いや脳の髄まで真の武辺者だったんですね。それ以外の何者でもない、というか、なれないくらいの。
そういえば宮本武蔵も長らく風体、眼光、人物が凄まじすぎて人が寄り付かず、ほとんど晩年まで仕官?できなかったみたいですし。
遠巻きに眺める分には本当に面白い人たちですね。社会人としての付き合いはできかねても。

投稿: 黒燕 | 2009年11月 8日 (日) 08時42分

文中で「嘉永」となってますが、これは「寛永」の誤りですね。
武芸者は戦国時代の産物でしょうか?
この時代に生まれた著名な剣豪が多くいますね。

また変な投稿があります。投稿者も懲りないですね。

投稿: えびすこ | 2009年11月 8日 (日) 09時02分

黒燕さん、こんにちは~

刀1本で頑張った戦国から、世の中がすっかり変わって・・・順応するのも大変だったでしょうね。

投稿: 茶々 | 2009年11月 8日 (日) 12時06分

えびすこさん、こんにちは~

あぁ・・・寛永です。
そんな時は西暦を見てください、多分どっちかあってます(爆)

ご心配の迷惑メールは排除しました。
「懲りない」というよりは、お仕事でしょうね。
労力に見合う報酬が得られるのかどうかは知りませんが・・・

投稿: 茶々 | 2009年11月 8日 (日) 12時09分

まあ俺にとっては小野も小物やな
ケチつけてきやがったら俺の神速の一突きで殺してたわw

投稿: 天才 | 2011年11月17日 (木) 23時00分

天才さん、こんばんは~

おぉ、かなり自信がおありのようですね(o^-^o)

投稿: 茶々 | 2011年11月18日 (金) 02時28分

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