徳川の礎を築いた将軍の隠し子・保科正之
寛文十二年(1672年)12月18日、会津松平家・初代で、第4代将軍・徳川家綱の補佐役として江戸幕府の基礎を築いた保科正之がこの世を去りました。
・・・・・・・・・・・
来年の大河ドラマ「龍馬伝」もさることながら、大河ドラマの50作目という節目に当たる事から、もはや2011年の「江~姫たちの戦国」に期待を寄せるファンも少なくありません。
このブログにも、「2011年 大河ドラマ」や、題名の「江~姫たちの戦国」のキーワードで、ほぼ毎日、どなたかが訪問してくださっているようです。
かく言う私も、かなり期待しておりますが・・・
とは言え、お江(こう=お江与・小督とも)さんが主役ともなれば、その波乱と苦難に満ちた前半生と、大奥誕生へと向かう将軍の正室としての後半生を、美しき女性目線で描いてくださるものと思いますが、やはり、気になるのは、その時の保科正之(ほしなまさゆき)との関係をどのように描いて見せてくださるのか?というところです。
できれば、今年の「天地人」のように、ヤバイ事は全部無かった事に・・・と、スルーしてしまうのだけは避けていただきたいとは思いますが、スーパーヒロインのイメージを損なう事なく、この正之さんを登場させる事は、非情に難しいです。
それくらい、正之さんサイドから見るお江さんは、とても陰険な女に映ってしまうのですが、本日は、この正之さんが主役という事で、2011年に期待しているお江ファンの皆様には、ちょっとだけ目をつぶっていただいて、お話を進めていきたいと思います。
・‥…━━━☆
お江さんの生涯については、以前、ドラマへの期待を含めて書かせていただいた6月19日のページ>>で見ていただくとして、そのページでも書かせていただいたように、お江さんが、徳川家康の息子で後に第2代将軍となる徳川秀忠と結婚した時には、秀忠=17歳で初婚、お江=23歳で再々婚・・・どう考えても、なるべくしてなったカカァ天下の夫婦関係だったわけです。
ある時、父・家康のいる駿府にやってきていた秀忠に、「血気盛んな若者なのだから・・」と家康が気をきかせて、花という美人の侍女にお菓子を持たせて(ソノつもりで)使わしたところ、わざわざ裃(かみしも)をつけて応対し、丁寧に礼を言った後「今夜はもう遅いので、どうぞ、早めにお帰りください」と、玄関まで見送って帰宅をうながしたのだとか・・・
「律儀やのぅ~~」
と、感心する家康でしたが、これは律儀なのではなく、ひとえにカミさんのヤキモチが怖かったわけで・・・
なんせ、秀忠が側室を持つ事は絶対に許さず、秀忠の子供を妊娠した大奥の女性には、次々と堕胎を強要していたなんて噂も、お江さんにはあるのですから・・・
そんな感じで、できたばかりの大奥を仕切っていたお江さんですが、実は、同時期にもう一人、秀忠の大奥を仕切っていた人がいます。
秀忠の乳母で、後に老中となる井上正就(まさなり)の母で「大乳母殿(おおうばどの)」と呼ばれていた老婦人でした。
もちろん、彼女は、秀忠の大奥にいましたが、側室や愛人というのではなく、その名の通り母親のような立場でいたわけですが、マジメで律儀な秀忠は、大奥にやってきた時には、大乳母殿のお部屋にも度々顔を出し、そのご機嫌をうかがっていたのです。
その大乳母殿に奥女中として仕えていたのが神尾栄加(かんのおさかよし)の娘・静(しず・志津)という女性・・・。
そう、秀忠は、そこで、そのお静さんを見初めたのです。
まもなく、秀忠の子供を妊娠した彼女ですが、それこそお江さんの嫉妬深さは、重々承知していますから、何も言わずに大奥を去り、実家に戻って、お腹の子を処分します。
そのまま大奥に戻る気はなかったお静さんですが、彼女の事を忘れられない秀忠の再三の求めで、再度、大乳母殿に出仕すると・・・
「以前の通り、台徳院様(秀忠)御寵愛にて」またまた、妊娠してしまいます。
再び実家に戻って
「鬼嫁が何をするかワカランからおろせ」
「いや、将軍様の御子を2度も水にしてはバチが当たる」
と、喧々囂々の家族会議の中、彼女と、その子供に手をさしのべる人がありました。
武田信玄の次女で穴山信君(のぶぎみ・梅雪)(3月1日参照>>)に嫁ぎ、夫の死後は江戸城田安門内に屋敷を与えられていた見性院(けんしょういん=信玄の次女)と、やはり信玄の娘で尼僧となっていた信松尼(しんしょうに=信玄の五女・松姫)・・・この姉妹の庇護のもと、隠れるように出産したお静・・・
老中・土井利勝から、息子の誕生を聞いた秀忠は、葵の紋の入った小袖と幸松(こうまつ)という幼名を与える事で、自らの息子と認めはしましたが、当然の事ながら、公的に認知する事はありませんでした。
かくして、見性院のもとで育てられる幸松・・・途中、この事を知ったお江から、「なんで、そんな子を預かるのか?」という抗議にも、見性院は「もはや、私の子供となった以上、何を言われても手放しはしません」と、キッチリと跳ね除けました。
とは言え、この時代の事・・・ある程度大きくなれば、男子たる教育を受けるべく、女性の養育者から離れなければならない時が来ます。
元和元年(1617年)、7歳になった幸松は、見性院が「この男ならば・・・」と見込んだ、信州高遠(たかとう)2万5000石の藩主・保科正光(まさみつ)の養子となります。
この時、秀忠は、その養育費として保科家に5000石を加増しますが、お察しの通り、お江さんの手前、この実父と息子が対面する事はありませんでした。
そんな親子が初めて対面するのは、お江さんが亡くなった後、寛永六年(1629年)の事(やっぱり( ̄Д ̄;;)・・・幸松は、すでに18歳となっていました。
やがて、その2年後、養父の正光が亡くなると幸松は、その後を継ぎ、保科肥後守(ひごのかみ)正之と名乗ります。
正之さん・・・やっと、このあたりから日の目を見るようになります。
その後、異母弟がいる事を知って、彼との面会を希望した第3代将軍・徳川家光は、正之に会うなり、その真面目で正直で才能あふれる姿にゾッコン・・・その信頼から、出羽山形を経て奥州会津23万石へと出世を果たします。
さらに家光が亡くなる時には、「是非とも、息子・家綱の補佐役をやってくれ!」と頼まれた正之・・・家光は、11歳の我が子の将来を、最も信頼できる弟へと託したのです。
その期待に応えるように、その後の正之は幕政の中心となって活躍・・・由比正雪の乱(7月23日参照>>)の処置、牢人の取り締まり、殉死の禁止、玉川上水(1月13日参照>>)の開削、明歴の大火後の復興再建【(9月1日参照>>)・・・と、まれに見る善政をおこなって、徳川幕府を武断政治から文治政治へと見事に方向転換させ、この先の天下泰平となる道に一役買う事となったのです。
そんな正之さん・・・寛文十二年(1672年)12月18日に江戸藩邸にて62歳の生涯を閉じますが、彼は、すでに名乗ってもよい事になっていた松平の姓を、死ぬまで名乗らず、自分をここまでに育ててくれた養父・正光への恩義を表すかのように、保科の姓を使い続けていたそうです。
さらに、兄・家光の遺言とも言うべき「家綱を頼む」の遺志を汲んでか、彼の記した家訓の第一条には、「何があっても将軍を守る」旨の事が書かれていたとの事・・・
その正之の心情は、後を継いだ二代目藩主・正経(まさつね)から、遠く、幕末まで受け継がれる事となります。
ご存知、最後まで幕府側として新政府軍と戦った松平容保(かたもり)です(8月29日参照>>)。
歴史にもしもは禁物ですが、あの時、お江さんに気を使って2人目の子供も堕胎していたら・・・
お江さんの抗議に屈して見性院が手放していたら・・・
きっと、お江さん、大河の主役なんて張れない悪女になっていたかも・・・
*内容だだカブリですが、よろしければ、母のお静の方サイドからのお話・【将軍・徳川秀忠の影の女に徹したお静の方】もどうぞ>>
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コメント
今年の年初に一部報道で「長野県伊那市が中心となって、保科正之公の2011年NHK大河ドラマ化(生誕400年であるので)の署名・陳情を活発化」したと聞きました。結果は落選しましたが、この運動をご存知でしたか?地元では数年前から行っていたらしいです。
これを見て2ちゃんねるで「11年NHK大河内定!」とフライングしたファンがいた様です。
余談ですが、「篤姫」も「天地人」も地元の長年の署名の成果で、映像化の実現にこぎつけています。
でも1600年代か1700年代に生まれた人物が、大河の主人公になる事は確かに少ないですね。
投稿: えびすこ | 2009年12月18日 (金) 08時48分
えびすこさん、こんにちは~
寅さんや、裸の大将の誘致合戦もスゴイですからね~
一発だけのドラマや映画でも、そうなんですから、1年間やってくれる大河は、さらに激しい争奪戦でしょうね。
>1600年代か1700年代に生まれた人物が、大河の主人公になる事は確かに少ないですね。
そうですね。
でも、平和主義のスタッフの多い、今の大河なら、これからはそのあたりの人が増えるかも・・・ですね。
おそらくは、血生臭いシーンなしで戦国を描く事にムリがある事を、「天地人」で気づかれたと思いますので・・・
投稿: 茶々 | 2009年12月18日 (金) 10時26分
こんにちわ~、茶々様!
松平容保公も確か養子で会津松平家にはいったのじゃなかったでしたっけ?
そして徳川に忠義を尽くし殉じたわけですが・・・
保科正之公の血が、家訓が長い江戸時代の始まりから終わりまで引き継がれていたことに感動しました。
投稿: DAI | 2009年12月18日 (金) 13時08分
なんかこの保科正之のお江さん関連の話を作り話くさく感じているのは私だけでしょうか
秀忠がお静を江戸城から出したのは本当に正室の嫉妬が理由なのかな?と疑っているのです
お江が嫉妬深い女だったという話も噂話や脚色の類の匂いが・・・・・
まあ本当のところはわかりませんけど
たまに「秀忠の配慮でお江はお静の存在すら知らなかった」みたいなことが書いてある本も見かけるので混乱してしまいます
長々すみません
投稿: くらげ | 2009年12月18日 (金) 13時28分
茶々さんこんにちは!
正之さんといえばウチの名君前田綱紀公とは深い関わりがありますね 鼻毛の殿様、前田利常公と正之さんの天才二人による英才教育のおかげで「政治は一加賀」と呼ばれるまでになりましたから。
正之さんが主役の大河、私も是非見てみたいです! 「江~」では登場しないかもしれませんね、「知らなかった」説を採用して。出してほしいですけど・・・難しいかな。
まぁまた前田を出してくれればそれでいいんですけど〈郷土愛!〉(笑)
投稿: ryou | 2009年12月18日 (金) 13時54分
DAIさん、こんばんは~
おっしゃる通り・・・
徳川幕府のはじめと終わりに関わったところに、感動してしまいますね~
投稿: 茶々 | 2009年12月18日 (金) 18時19分
くらげさん、こんばんは~
確かに、もともと史料の少ないお江さんですし、その史料もどこまで史実を伝えているか定かではありませんからね~
兼続に対する上杉憲政と違って、コチラは「知らなかった」で通せる話だと思います。
なんせ、秀忠さんは隠してるわけですし、幕臣でも土井利勝ら一部の人しか知らなかったようですから・・・
投稿: 茶々 | 2009年12月18日 (金) 18時23分
ryouさん、こんばんは~
そうですね~
正之さんが主役の大河、見てみたいです。
上記のコメントにも書かせていただいたように、「知らなかった説」はアリだと思います。
ただ、正之さんが性格よさげな人だけに登場してほしいいなぁという希望を抱いているのですが、やっぱ、難しいでしょうねぇ。
投稿: 茶々 | 2009年12月18日 (金) 18時28分
補足
秀忠・家光がお江さん生前に、正之にお忍びで会っていた可能性はあると思います。徳川実記などは「公式記録」なので、「非公式」と言う意味なら、未記載の面会はある(史実どおりお江さん生前に対面できないまま、ドラマが終わるのは少し忍びない)と思います。こういう意味の粋なフィクションならいいんですよ。「史実を曲げない範囲」なら。果たして再来年の「姫たちの戦国」で登場するか?「徳川三代」では親子対面の場面がありました。
大河ファンの間で指摘されていますが、いくらブームとは言え、「06年から11年までの6年間で戦国作品が4つ」と言うのは、少しマンネリ(さすがに局関係者も懲りたかな?)と感じております。もし12年大河が幕末作品(実現すると08、10、12年と偶数隔年)になると、「ニ者択一」が鮮明になるので少し考え物です。
こういう理由で今朝、「1600年代か1700年代に生まれた人物が、大河の主人公になる事が少ない」と書きました。
投稿: えびすこ | 2009年12月18日 (金) 22時23分
えびすこさん、こんばんは~
やっぱり、戦国と幕末以外の時代では、視聴率が望めないのでしょうね。
投稿: 茶々 | 2009年12月19日 (土) 01時55分
いっそのこと、古事記や日本書紀に準拠した、古代日本の創世を画いてみるなんちゅうのは如何でしょう。韓流ドラマでも…チュモンとか風の国とか大王四神記なんかの古い朝鮮の創世神話を題材にしたのがウケたんですから、神武東征やら日本武尊のクマソ征伐やらを迫力いっぱいに描いたりすれば、きっと面白い作品になると思うんですがね…。
投稿: マー君 | 2009年12月19日 (土) 11時22分
マー君さん、こんにちは~
それは良いかも知れません。
原作を「古事記」か「日本書紀」にしてしまえば、史実だ創作だとの指摘にも「原作の通りにやりました」みたいな感じで押し切れそうです。
投稿: 茶々 | 2009年12月19日 (土) 15時13分
>大河の主役なんて張れない悪女~
むしろ、悪女を主役にしてほしいと思っています。
癖のある人物のほうが、面白いのではないでしょうか。
メロンパンナちゃんより、ドキンちゃんですよ!
投稿: ことかね | 2009年12月19日 (土) 16時49分
ことかねさん、こんばんは~
確かに、女性に限らず、ダーティなイメージの主人公のほうが萌えます。
私も、アムロよりシャアのくちです。
できるなら、思いっきりしたたかな女に描いていただきたいんですが・・・ムリかな?
投稿: 茶々 | 2009年12月19日 (土) 18時22分
とは言うものの、建国記念日を科学的根拠が無いと言って、反対集会を開く左翼集団などが、軍国思想の押し付け反対。皇国史観の台頭を許すな等と騒ぎ出すかも知れませんがね……。
投稿: マー君 | 2009年12月19日 (土) 19時05分
ちょっと悪いイメージの人が主人公の歴史ドラマも見てみたいですね
そのほうが人間くさくて面白そうです
投稿: くらげ | 2009年12月19日 (土) 20時25分
マー君さん、こんばんは~
そうですね~
現在放送中の「坂の上の雲」にも、いろいろ意見があるようですから、建国神話なら、さらに・・・って感じでしょうね。
投稿: 茶々 | 2009年12月19日 (土) 22時48分
くらげさん、こんばんは~
特に、戦国モノなら、みんないい人よりは「心を鬼にして成し遂げよう」ってな感じに描くとオモシロイような気がしますね。
投稿: 茶々 | 2009年12月19日 (土) 22時53分
茶々さん こんにちは!
したたかな人・・・北条義時さんとか早雲さんとかやってほしいかも。私もダークな人大好きです!
したたかといえば利常公の大河は無理ですかね? 幕府に喧嘩売りまくったり珠姫との悲恋あったり大阪の陣あったり珠姫の乳母蛇攻めにしたり(これはまずいかな)、結構おいしい設定多・・・真田昌幸さんとかの方が面白いでしょうね いっそ最上義光さんとか(色々怖いですが)
そういえば富山は木曽義仲さんの大河を推薦しています。これはなかなかおもしろそうですよ!一番の見せ場が倶利伽羅ですけど。まぁ天地人の戦闘シーンがあんなので大丈夫だったからいけるかも
長くなりました!すいません!
投稿: ryou | 2009年12月25日 (金) 09時39分
ryouさん、こんにちは~
以前、10年間富山に住んでましたが、その頃はけっこう佐々成政・推しだったんですが、今は木曽義仲ですか~
でも、木曽義仲は好きなので、やってほしいですが、天地人のようになってしまっては、逆に義仲さんがお気の毒なので、そこは悩みますね~~~
投稿: 茶々 | 2009年12月25日 (金) 10時54分
保科正之の大河ドラマ化招致運動をしてた有志団体とかが、映像化を断念してないのであれば、自主製作の映画かテレビ東京系の新春時代劇ならば望みがあります。少し前にサンデースクランブルの「千思万考」でも、業績を触れていました。
でも昨今の大河ドラマスタッフは見落としているかもしれませんが、「側室の子供」はあながち軽視できませんね。後々側室の子供の末裔が本家の家督を継いで、今日まで血筋が残っている家が多いので。正室が3~4人男の子を生んで、全員が成人したと言う事が代々続いた家はめったにないので。
「母が正室」と言う殿様が切れ目なく続くのは奇跡です。
投稿: えびすこ | 2011年6月25日 (土) 18時35分
えびすこさん、こんばんは~
ロマンス現代劇大河では、側室はあってはならないので、保科さん主役は難しいのかも…
お家の存続より愛が大事な今日この頃ですから…
投稿: 茶々 | 2011年6月26日 (日) 01時35分
篤姫以降は「女尊男卑」になっている傾向かなと思いますが、考えすぎでしょうか?理由として女性登場人物に「再婚経験者」が増えています。時代がまちまちで個人の事情もありますが。
脚色のためか主人公の夫(+周りの男性)がさえない男だったり、ダメ亭主と言うパターンが定着したような気がします。
韓国のドラマではあまりこういう人はいません。
来年の「平清盛」は変に(かっこよく立派ないい男性として)美化されるんじゃないか、と言う気がしなくもないです。
再来年の新島襄は「かかあ天下」の群馬で育ったので、八重さんの気質に慣れていたのかも。だから「ハンサムウーマン」と言う名文句が言えたと。
今日の「千思万考」は徳川秀忠です。
投稿: えびすこ | 2011年6月26日 (日) 09時04分
えびすこさん、こんにちは~
平清盛は、もともと「イイ人」だったと思いますが、「大らかなイイ人」ではなく、「頼りないイイ人」にならないよう期待しています。
投稿: 茶々 | 2011年6月26日 (日) 14時48分