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2010年1月 5日 (火)

龍馬もまねた~横井小楠の明治維新のシナリオ

 

明治二年(1869年)1月5日、幕末の儒学者で、越前(福井県)にて藩政顧問となり、後に明治新政府の参与として活躍した横井小楠が暗殺されました。

・・・・・・・・・・・

横井小楠(よこいしょうなん)・・・幕末好きの方なら、おそらくご存知の重要人物ですが、一般的には、あんまり、そのお名前を聞かないですね~。

しかし、この小楠さんは、あの勝海舟が、西郷隆盛とともに「天下で恐ろしい2人」として、その名前を挙げた人物・・・

さらに、坂本龍馬の言葉として有名な「日本を洗濯する」という事を彼に教え説いたのも、この小楠さん・・・そう聞くと、が然、どんな人物だったのか?、興味が沸いてきますねぇ。

Yokoisyounan600ast 今回の主役・横井小楠は、文化六年(1809年)に肥後・熊本藩士の次男として生まれました。

その家系は、桓武平氏の流れを汲み、鎌倉時代の執権として事実上天下を掌握した、あの北条氏の末裔・・・なので、本名は平時存(たいらのときひろ)で、北条平四郎時存とも言われますが、今回は横井小楠さんのお名前で呼ばせていただきます。

幼い頃から秀才の誉れ高かった小楠は、江戸に遊学する機会を与えられますが、お酒がらみの喧嘩で帰郷・・・その後、朱子学を学ぶための私塾を開いて、学政一致(学問と政治の一致)経世安民(民のための政治)を唱えて幕政を批判しますが、熊本藩では、彼の思想がまったく受け入れられず、近畿や北陸などを渡り歩きました。

そして、越前(福井県)にて、後に、彼が、理想の上司と仰ぐ事になる福井藩主・松平春嶽(しゅんがく・慶永)と出会います。

熊本では、相手にされなかった小楠の論理は、福井では、むしろ重用され、福井藩から頼まれて、藩校創設の指となる「学校問答書」なども書き送っていますし、藩政の指導役となって生糸の大量輸出も成功させました。

その土台となったのが、万延元年(1860年)に、小楠自身が著した『国是三論(こくぜさんろん)・・・経世救民殖産興業通商交易などによる民富論的富国策=つまり、産業の発達を促進し、交易によって富を得て、民衆が裕福になってこそ国も繁栄するという事を説いた物で、坂本龍馬の「船中八策」や、維新後の「五箇条の御誓文」(3月14日参照>>)の基礎にもなった名著です。

やがて、それは、参勤交代制度の廃止人材簡抜(かんばつ・選りすぐり)海軍建設通商貿易の奨励などをうたった『国是七条』に・・・

さらに、国益の確定・正しい生活様式・善悪を見抜く自由な言論の保証・学校の振興・士民への慈愛などが含まれた『国是十二条』に発展していきますが、その基本精神が、「武士は商人となって領民のための公僕(民衆に仕える)の役割となるべきである」という小楠の考えにあったため、見ようによっては、武士の身分や特権を否定する物として、一部の武士から反感を買う事になります。

そこで、起こってしまったのが、文久二年(1862年)の小楠暗殺未遂事件です。

その時、友人との酒宴の真っ最中だった小楠は、刺客に襲撃され、慌てて、刀を置いたまま命からがら逃げ出しますが、この事が、「武士の魂を捨てた」として非難ゴウゴウ・・・熊本藩から士籍剥奪処分となってしまいます。

武士の特権もさることながら、まだまだ、武士道精神もまかり通っていた頃なんですねぇ・・・つくづく、熊本に縁のない人だヮ。

 

武士でなくなった小楠の生活は困窮を極め、6人の家族を抱えて借金取りに追われる毎日・・・しかし、そんな彼を救ったのも、小楠を恩師と仰ぐ、かの春嶽でした。

春嶽は、小楠の生活費を心配して援助するだけでなく、熊本藩主に手紙を書いて、小楠の士籍復帰を嘆願したりもしてくれますが、当の熊本では法と先例を盾に拒否され、逆に、「熊本に戻れば士道忘却の罪で死刑になるゾ」と言われ、身の安全が保証されるまで小楠を保護する事を決意するのでした。

そんな小楠が龍馬に出会ったのは、この頃・・・元治元年(1864年)から翌年にかけてです。

上記のように、生活に困窮していた小楠に、勝海舟からの贈り物を届けるために、訪問し、時世について語り合ったと言います。

この時、冒頭に書かせていただいた「日本を洗濯」の思いを説いた他にも、当時、海軍塾塾頭となって、自信満々イケイケムードだった龍馬に「乱臣賊子(らんしんぞくし)となるなかれ」「調子に乗りすぎて危険分子とみなされないようにね」と注意を促しています。

逆に、龍馬のほうは、小楠に「大久保利通らの芝居をゆっくり見ててください・・・そして、利通らが行き詰ったらアドバイスをお願いします」と言ったのだとか・・・

ただ、ご存知のように、この時の小楠の思想に感銘を受けて「船中八策」を考案した龍馬も、乱臣賊子のほうは、うまくいかなかったようですね。

やがて、維新を迎えた小楠は、新政府に参与を命じられます。

この時の参与のメンバーは・・・
木戸孝允(たかよし)長州
小松帯刀(たてわき)薩摩
大久保利通薩摩
広沢真臣(さねおみ)長州
後藤象二郎土佐
福岡孝弟(たかちか)土佐
副島種臣(そえじまたねおみ)肥前(佐賀)
由利公正(ゆりこうせい)越前

維新に功績のあった薩長土肥(さっちょうどひ)と、龍馬の推薦のあった由利(4月28日参照>>)に混じって、士籍を剥奪された肥後人の小楠・・・しかも、まわりは親子ほど歳の違う参与たちですから、還暦を迎えたばかりの彼も、さぞかし腕が鳴った事でしょう。

もちろん、資本主義の世の中になっても、小楠の「経国安民」の精神は変わりません。
「良心を以って事にあたる」
「民のために公僕になれ」

しかし、新たな国際国家を目指すための、歴史や伝統の見直しとともに、欧米化を推進した彼の手法は、キリスト教への加担による国の否定開国を進めてキリスト教化していると受け取られ、またもや反感を買う事に・・・

かくして明治二年(1869年)1月5日、参内の帰り道の京都にて、十津川郷士らの手によって、小楠は暗殺されます。

後の裁判が大混乱となってしまったため、結局は、先の反感を持った勢力と実行犯のつながりには不明の点が多く、事件自体も後味の悪い物になってしまうのが残念ですが・・・。

それにしても、幕末・維新の頃は、龍馬をはじめ「この人がもっと生きていたら・・・」と思う死に出会いますが、この小楠さんの死も、その一つ

維新のシナリオを描き、議会政治の基礎を作り、国民のための政治を目指した横井小楠・・・小手先ではないスケールの大きな国単位の改革は、スケールの大きな人物によって成し遂げられるもの。

国民が裕福になってこそ、国は繁栄する・・・今こそ、小楠のような政治家が求められているような気がします。
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コメント

初めまして。

熊本に住んでいますので小楠の事は少し触れたことがありますが、すごく詳しく知っておられますね。

毎年2月には小楠の死を悼んで四時軒で供養祭が開かれるようです。

投稿: みや | 2010年1月 5日 (火) 17時31分

みやさん、はじままして~

小楠のページ、覗かせていただきました。
さすがは熊本県のおかた・・・くわしいです。
私塾の跡地には記念館があると聞きましたが、やはり、小楠さんは、地元では有名なかたなのですね。
いい情報をありがとうございました。

投稿: 茶々 | 2010年1月 5日 (火) 18時40分

>国民が裕福になってこそ、国は繁栄する・・・今こそ、小楠のような政治家が求められているような気がします。
まさに歴史は繰り返す、ですね。戦後の日本はそんな感じだったのかな・・・今年も広い視野に立った茶々様のブログが楽しみです。本年もどうぞよろしく。そのうち福山龍馬のことも書いてください。しかしどうも天地人以来突っ込み癖がついてしまった私・・平常心で見なくては。

投稿: Hiromin | 2010年1月 5日 (火) 21時12分

Hirominさん、こんばんは~

今年もよろしくお願いします。

そうですね~
機会があったら福山龍馬の事も書いてみたいです。

「坂の上の雲」も視聴させていただきましたが、なかなかデキのいい作品なので、今の段階では、感動してツッコミ所が見つかりませんでした。

今となっては、天地人・・・おもしろかったです。
まさに、心に残る愛すべき作品となりました。

投稿: 茶々 | 2010年1月 5日 (火) 23時46分

素晴らしいブログを読ませていただきありがとうございます。
これからも更新頑張ってください。

投稿: うっかりであいまい | 2010年1月19日 (火) 15時49分

うっかりであいまいさん、コメントありがとうございましたo(_ _)o

これからもよろしくお願いします。

投稿: 茶々 | 2010年1月19日 (火) 16時01分

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