自分大好き~勝海舟の人生語録
明治三十二年(1899年)1月21日、幕末には幕府の最高幹部として、維新後は海軍大輔・参議などで大活躍した、あの勝海舟が77歳の生涯を閉じました。
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幕末・維新の大スターである勝海舟(かつかいしゅう)については、さすがに、このブログでも何度か書かせていただいておりますし、すでに皆様も、ご存知の事と思いますが・・・
などなど・・・
上記以外にも、いくつか書いておりますが、いずれにしても、そのエピソードを見る限り、かなりのハッタリ屋で自信家で、自分大好きの匂いがプンプンする人です。
老後のインタビューで、昔を懐かしみながら語った語り口も「どや!俺ってスゴイやろ?」という感じで、まるで、周囲がすべて能無しだったような言い方が、鼻につく印象もしますが、皆に自慢したくなるほどの大事をなした事も確かです。
おそらく、彼の話を聞く人も、
「おじいちゃん、もう、こうなったら、好きに威張ってチョーダイ」
と、その“エェカッコ”も許せるほどの大人物だったわけですから。
本日は、そんな海舟の生涯・・・と言いたいところですが、もはや、有名な人ですので、今回は、あまり歴史には登場しそうにない、エピソードというか語録というか・・・という感じの物を、いくつかご紹介させていただきます。
・‥…━━━☆
『無殺生』
直心影流(じきしんかげりゅう)の免許皆伝だったといわれる海舟ですが、その腕をふるう事は生涯なかったようです。
遊びとしての猟も嫌い、武士の付き合いでどうしてもやらねばならない時は、わざとはずしていたのだとか・・・
暴漢に襲われた時も、彼を守って賊を斬ったボディガードの岡田以蔵(いぞう)に、「殺人はよくない」と言ったと言いますが、さすがに、黙って斬られるのもどうかと思いますが・・・まぁ、彼の言い分だと「敵が多い事は、はなから承知」なのだそうです。
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『ひと目見てわかる』
初めて会う人間も、一発で、その人物を見抜けるのだそうです。
とりあえず、会ってすぐに一喝!
その驚いた様子を見て、どのような人物かを見極めていたのだとか・・・
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『ケチ』
若い頃、極貧の生活をしていた海舟は、裕福になった晩年になっても、10銭や20銭という安価で書をしたため、そのお金をコツコツと貯めていたのだとか・・・
側近が、「それは、あまりにもセコイのでは・・・」
との意見を言うと
「苦労して貯めた金は長持ちする」
との事・・・確かに、ありがたみが増して、なかなか使えない物です。
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『無頓着は長寿のもと、長寿は大事のもと』
「天下の大事をなすためには、寿命が長くなくてはいけない」のだそうです。
確かに、幕末・維新では、「この人が、もう少し長く生きていたら・・・」と思う事fがよくあります。
「そのために長生きしろ」
というのを、長生きした海舟が言うのですから、ごもっとも・・・
・・・で、その秘訣としては、
「ものごとに、こだわらない事」
確かに、徳川にも新政府にも心砕いた、その柔軟な精神は、彼の良きところでもあります。
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そんな海舟が、明治三十二年(1899年)1月21日、77歳で亡くなる時の最期の言葉が「コレデオシマイ」だったという話は有名ですが、
今回のページの最後として、彼が、その生涯を通じて、好んで使ったり書き残したりした言葉・・・『六然(りくぜん)』をご紹介します。
自処超然(じしょちょうぜん)
1人の時は物にとらわれず
処人藹然(しょじんあいぜん)
二人の時は相手を楽しませ
無事澄然(ぶじちょうぜん)
何もない時は澄んだ水の心持ちで
有事斬然(ゆうじだんぜん)
何かある時は思い切って
得意淡然(とくいたんぜん)
絶好調な時はあっさりと
失意泰然(しついたいぜん)
落ち込んだ時は平然と
言葉そのものは、中国の物で、すべての四文字の終わりが「然」という文字で、六つあるので『六然』・・・
こんな言葉を生涯の指針としていたとは・・・
江戸っ子丸出しで、ちょっとばかり軽い感じのする海舟さんの、真面目な部分を垣間見た気がしますね。
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コメント
>「天下の大事をなすためには、寿命が長くなくてはいけない」
確かに戦国時代では「寿命を迎える前」に、若い年齢で天下統一する事は不可能でした。極端な話で戦いで手柄を立てて、20歳前で家臣の身分から躍進し「一国一城の大名」になる事(相続により若年で一国一城の国主になった人は除く)はほぼ不可能です(もしいたら教えてください。私の知らない武将が該当している可能性もあります)。
「ライバル(敵)は多い方がいい」と言う趣旨の発言もしています。
1行目の趣旨は今風に言うと、「一芸を極めて大成するには、長年の歳月をかけないといけない」と言う意味の、職人の心得とも受け取れます。なり手がいない職人社会には死語寸前ですが、一般社会にも通じると思います。これはエリート嫌いな勝自身の「こういう自分(生家は下級旗本)でも大成できたぞ!」と言う自負でしょうか?
つまり「天才に勝った凡人」。
今年の「龍馬伝」では武田鉄也さんが演じますが、「武田海舟」は実像に近い感じになるでしょうか?
投稿: えびすこ | 2010年1月22日 (金) 10時12分
えびすこさん、こんにちは~
龍馬かぶれの武田海舟・・・
とても、楽しみですね
投稿: 茶々 | 2010年1月22日 (金) 12時17分