雪にまつわる大阪の昔話「雪鬼」~在原業平と交野の君
天気予報では、今日は、全国的に寒い一日になるそうですが、お正月も過ぎたこの頃から、まさに本格的な冬・・・寒さも一段と厳しくなる季節です。
今日は、そんな季節にぴったりの昔話を一つ・・・
それは、現在の大阪府・枚方市に伝わるお話。
平安の昔、現在の大阪府枚方市・交野(かたの)市付近は、交野ヶ原と呼ばれていて、第50代・文徳天皇の皇子の惟喬親王(これたかしんのう)の別荘・渚の院があり、そのあたり一帯は天皇家専用の狩場になっていました。
今も枚方市には、渚という地名や禁野(きんや・お狩場には一般の人は立ち入り禁止だったので)という地名も残っています。
(禁野の場所については、3月1日【陸軍禁野火薬庫大爆発~枚方平和の日】でどうぞ>>)
ちなみに余談ですが、大河ドラマ『功名が辻』で知られる山内一豊が、豊臣秀吉から最初にもらった領地が禁野だと言われています。
・・・とは、言え、枚方市は、毎年、夏になると、何度も、全国一の気温をはじき出す事でも有名で、その回数と不快指数を含め、日本で一番暑い夏・・・なんて事も言われています。
そんな枚方に、こんな雪にまつわる冬物語が残っているとは、思ってもみませんでした。
しかも、その主人公は、『伊勢物語』のモデルとして有名な平安のモテモテ男・在原業平(ありわらのなりひら)(5月28日参照>>)なのです。
それは、その業平が、惟喬親王のお供をして交野ヶ原に狩に来た事から始まります。
・‥…━━━☆
ある冬の寒い日に、業平は例のごとく交野ヶ原で狩を楽しんでいましたが、にわかに雪が降ってきて、あたりはみるみる真っ白な銀世界に・・・。
そうなるとどこがどこだか解からなくなり、業平は道に迷ってしまいました。
途方にくれながら、さまよい歩いていると、丘をくだったところに、押しつぶされそうなあばら家を見つけました。
トントンとその家の扉を叩き、「狩に来て雪に見舞われて困っている。助けてくれないか」と申しいれます。
「こんなむさくるしい所で良ければ・・・」と、若い女が招き入れてくれました。
囲炉裏にあたって暖をとり、ご飯や汁や酒を振舞ってもらって、ふと落ち着いてマジマジと見ると、その彼女はこの世の者とは思えない絶世の美女!
とても、こんなあばら家にひとりで住んでいるとは思えず、名前や身分を尋ねましたが、女の方は微笑むだけで、いっこうに答えませんでした。
次の日も、その次の日も雪は降りやまず、業平は家から一歩も出られまません。
こうなると、平安の色男、美人の彼女をコマさないはずがありません。
彼女のほうも相手が都で一番のイケメン業平ですから、言い寄られて、悪く思うわけがありません。
こうして、雪がやんでも、業平は都へ帰らず、交野ヶ原の彼女の家で仲むつまじく暮らしていましたが、さすがにいつまでもそこにいるわけにはいきません。
業平は、彼女を奥方に迎えたいと、「一緒に都で暮らそう」と誘いますが、彼女は「わたしは、交野ヶ原でないと生きられない田舎者、どうか都へはお一人でお帰り下さい」と泣くばかり・・・
しかし、「もはやこの女なしでは生きられない」と思った業平は、強引に誘い、女を奥方に迎えいれました。
そして、都で彼女は『交野の君』と呼ばれ、その目を見張る美しさ、奥ゆかしい立ち居振る舞いに、みな感心するばかりでした。
しかし、幸せいっぱいのはずの交野の君ですが、その表情は日に日に暗く、その体はみるみる痩せていきます。
お医者さんに診てもらっても、その原因はわかりません。
業平も心配してやさしく声をかけますが、交野の君は「交野ヶ原に帰れば元気になります」というだけでした。
やがて冬が去り、暖かい春がおとづれ・・・ある日、業平がいつものように交野の君の病室へお見舞いに行くと、布団がぐっしょり濡れていて、寝ているはずの交野の君の姿がどこにもありません。
当然、業平は、必死で彼女を探しますが、その行方はどうしてもわかりませんでした。
その夜、泣く泣く眠りについた業平は、交野の君の夢を見ます。
夢の中で、交野の君は、業平に、いつもの微笑みをうかべて、やさしくほんとうの事を語りはじめました・・・
彼女は、ほんとうは、人間ではなく、交野ヶ原に何百年も住む雪の精で、木枯らし吹く野山でないと生きられないこと、
そしてあの日、業平と恋におちてしまい別れられなくなって都まで来てしまったこと・・・
そうです・・・春になり暖かくなって交野の君の体は解けて流れてしまったのです。
そして最後に
「今、私は交野ヶ原に戻ってすっかり元気になりました。
私に会いたくなったら、雪がしんしんと降る夜、交野ヶ原で、業平様のつけてくださった交野の君という名前を呼んでください。
私はいつでもあなたの前に人間の姿になって現れますから・・・。」
と言い残しました。
それからの業平は、毎年、雪の降り積もる季節になると、交野ヶ原に狩に行ったということです。
・‥…━━━☆
冒頭に書かせていただいたように、枚方は日本一暑い場所ですが、交野市との境めにある津田には、合併する以前の昭和十五年(1940年)まで、氷室村という村がありました。
今も、全国に残る氷室という地名は、その昔、平安貴族たちが楽しんだ、夏のひんやりスイーツ=カキ氷(8月5日参照>>)のための氷を、取り出し保存する場所であったと言われています。
この枚方の氷室も、そういう場所だったのかも知れません。
平安の昔、枚方にも、こんな伝説が残るほど雪が降っていたなんて(*゚ー゚*)・・・ロマンチックです。
・・・て、平安時代は、今より温暖化してたんじゃぁ?(7月3日【平安時代は今より温暖化だった?】参照>>)
まぁ、伝説・昔話なんですから、細かい事は気にしないで、ロマンチックな二人の恋に、どっぷり浸る事にいたしましょう。
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コメント
枚方在住の私はとっても楽しく読ませていただきました!地名の由来っておもしろいですね~^^
投稿: ひらつー | 2010年1月13日 (水) 01時00分
ひらつーさん、こんばんは~
おぉ、枚方在住のかたでしたか・・・
やはり、おけいはんですか?ww
ホントに、地名の由来はいろいろあって楽しいです。
投稿: 茶々 | 2010年1月13日 (水) 03時02分
枚方市の地名の由来を調べてここに参りました。
北海道出身、埼玉育ちの私が枚方に引っ越してきてかなり経ちますが
今更ながらに近畿地方の歴史の長さに感心しております。
実に楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。
お気に入りに入れさせていただきます。
投稿: ひらかた人 | 2012年4月29日 (日) 08時21分
ひらかた人さん、こんばんは~
ご訪問ありがとうございましたm(_ _)m
北海道も埼玉も、なかなかの古い歴史のある場所だと思いますよ!
私も「おけいはん」なので、東の方の地名にはくわしくありまでんが…ww
また、遊びにいらしてください
投稿: 茶々 | 2012年4月29日 (日) 18時47分