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2010年2月22日 (月)

枚岡・梅林と暗峠越え奈良街道inお陰参り

 

一昨日、暗峠(くらがりとうげ)越え奈良街道を歩いて参りました~

・・・と言っても、本当は、このお話は、全行程制覇してからブログなりホームページになり書かせていただくつもりだったのですが、この道沿いにある枚岡(ひらおか)神社に立ち寄ったところ、まさに梅の季節・・・

Hiraokabairin2330 振り向けば・・・梅の向こうにかすむ大阪

梅林で有名な枚岡神社の梅の写真を、「今、載せずに、いつ載せる!」と、あわてて今日、書かせていただく事にしました。

Dscn9106a150 Dscn9104150

実は、わたくし、今年に入ってから、月イチペースで「お陰参り」に挑戦しております。

「お陰参り(おかげまいり)というのは、ご存知の方も多いでしょうが、江戸時代に流行った不思議現象の一つ伊勢参りの事です。

もちろん、普通に伊勢神宮にお参りするのは、「伊勢参り」なわけですが、不思議現象の「お陰参り」と称されるのは、江戸時代に4度ほどある、急激に、かつ、爆発的に、その時期にだけ、皆がこぞって伊勢参りに出かけた現象の事です。

記録に残っているのは・・・
第1回=慶安三年(1650年)
第2回=宝永二年(1705年)
第3回=明和八年(1771年)
第4回=天保元年(1830年)の4回です。

だいたい六十年に一度ですが、なぜにこのようにな自然現象的な物が発生したのかは、未だ謎・・・とにかく、急にそうなるのです。

天保の時などは、阿波(徳島県)で、いきなり子供たちが「お伊勢参りがしたい!」と言いだし、早速、翌日、20人から30人の子供がこぞって出かけ、その後も、子は親に、妻は夫に知られず、抜け出すようにお参りに出かけた事から「抜け参り」とも言われ、「お陰でさ、するりとな、抜けたとさ」と唄いはやしながら行列を組んで進んで行くのです。

おおむね2~3ヶ月で2~300万人・・・最大の流行となった天保の時には、3ヶ月で420万人以上の人出があったと言われていますが、ご存知の天保の大飢饉が深刻になるのは天保三年あたりからですから、それが原因でもなさそうなのです。

・・・とは言え、専門家の方が研究に研究を重ねても、未だ謎である迷宮入りの現象に悩み続けてもなんなので、その「お陰参り」よろしく、旧街道を通って、徒歩にて伊勢参りに行こうというわけです。

Isemitinori00a2aaz900 「お陰参り」行程(今回は黄色部分)

・・・で、先月は、江戸時代の出発点だった大阪の玉造(たまつくり)稲荷神にて、やはり江戸時代の旅人と同様に、旅の無事を祈って出発し、松原宿(大阪府松原市)の花園ラクビー場あたりまで歩きました。

そして、今回の2回目・・・その松原宿から、暗峠越えの奈良街道を歩いて南生駒までと行ってきたわけです。

枚岡神社は、その道筋にあります。

Hiraokabairinp900 枚岡神社・梅林

もちろん、この次には、南生駒から奈良まで行き、奈良からは南に下って上ツ道(山辺の道)を通って桜井へ行き、そこからは伊勢本街道を通って伊勢神宮まで、13回に分けて行きます・・・江戸時代のように、毎日歩けば約2週間ってとこですね。

それにしても、今回の奈良街道のクライマックスでもある暗峠・・・なめてましたΣ(゚д゚;)

Kuragari1a900 スゴッ!スゴ過ぎるゾ暗峠( ̄○ ̄;)!

改めて、先人に敬意を表します・・・スゴイです、昔の人・・・
写真をみていただければわかりますが、メチャメチャ急坂・・・しかも、これが、かなりの距離続きます。

これを、子供も登ったかと思うと・・・

Kuragari0a330 石畳も美しい暗峠・到着!手前は大阪、向こうは奈良

とにかく、無事、リタイアせずに・・・
峠を越えたら、その向こうには奈良一望の絶景が待っていましたヽ(´▽`)/

Kuragari3800 あれが奈良や~~!気分最高!

昔の人も、この景色を見て、「あれが奈良や~~」と叫んだ事でしょうね。

そんなこんなを考えながら・・・この先も良い旅になりますようにo(*^▽^*)o
続きは、また、報告しますね!

★追記
枚岡神社に単独で行く場合は、近鉄奈良線・枚岡駅から・・・駅のすぐ前に鳥居が見えます。
3月1日には「梅花祭」(下記ポスター参照↓)も行われるそうなので、ぜひどうぞ!

Hiraokahanayoridango800
花より団子いや「焼き餅」
Hiraokabairinp600

 

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コメント

 枚岡神社に行って来られたのですね。
 今「三嶋大社」と「枚岡神社」のことに関して研究中だったので、大変に興味が有ります。私の親戚が大阪に沢山居るのですが、もう長いこと行ってません。
 畿内周辺の神社・仏閣に立ち寄る時は、またその様子をblogに紹介して下さい。
 京都・滋賀を中心に先祖の足跡を訪ねる旅が、人生最大の夢なので、枚方にお住まいの茶々さんが羨ましいです。
 では、頑張って!     三郎ヱ門

投稿: 三郎ヱ門 | 2010年2月22日 (月) 09時20分

いつも楽しみに拝読させていただいております。

今回は暗峠越えということでコメントさせていただきました。

実家が、まさにその奈良街道沿いに面しておりまして、実家の前もこれから通って下さるのかしらとこれからも楽しみにしております。

先日帰省したおり(土曜日)も、団体さんが通ってました^^

今後も、記事を楽しみにしておりますね。

投稿: 桜桃 | 2010年2月22日 (月) 11時55分

三郎ヱ門さん、こんばんは~

なんとか頑張って、ちびりちびりながら、最後には、伊勢神宮まで到達したいと思います。

投稿: 茶々 | 2010年2月22日 (月) 23時32分

桜桃さん、こんばんは~

なにやら、2013年の遷宮に向けて、昨年くらいから静かなブームのようです。

次は、尼ヶ辻の垂仁天皇陵を通って奈良の興福寺あたりまで行く予定ですので、ご実家の近くを通るかも知れませんね。

徐々に暖かくなるので、楽しみです。

投稿: 茶々 | 2010年2月22日 (月) 23時37分

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