神官生まれの剣聖~塚原卜伝の極意
元亀二年(1571年)2月11日、新刀流の開祖で、剣聖とうたわれる戦国時代の剣豪・塚原卜伝が83歳でこの世を去りました。
・・・・・・・・・・
その生涯で、真剣勝負=19回、合戦=37回のうち、負けは無し!
・・・どころか、1ヵ所も疵を受ける事無く、矢疵のみ6ヵ所・・・討ち取った敵は212人!
見事な戦績です。
最近こそ、あまり聞かなくなりましたが、少し前は、剣豪の代表格として講談でももてはやされ、数多くの逸話に彩られた人物で、あの剣豪将軍・室町幕府13代足利義輝(よしてる)(11月27日参照>>)の師匠としても有名ですね。
塚原卜伝(ぼくでん・卜傳)は、鹿島神宮の祝部(はふりべ・神職)の首座であった吉川左京覚賢(あきかた)の次男として生まれ、最初は朝孝(ともたか)と名乗りました。
鹿島には、もともと、神官の中に7人の刀術に秀でた者がいましたが、これを京八流に対して鹿島七流と称して継承していて彼も、その剣術を継承する家柄だったのです。
この鹿島氏には、鹿島城を中心に33の支城がありましたが、その中の一つ・塚原城の城主に世継ぎがいなかった事から、彼が養子となって入り、塚原新右衛門高幹(たかもと)と名乗ります。
ちなみに、卜伝というのは後に剃髪してから名乗った僧号ですが、ややこしいので、今回は卜伝さんで通させていただきます。
・・・で、もともと、神妙剣(しんみょうけん)を継承する家柄であるうえ、養祖父の土佐守安幹(やすとも)の手ほどきも受け、さらに天真正伝香取神道流(てんしんしょうでんかとりしんとうりゅう)の創始者である飯篠家直(いいざさいえなお・長威斎)(4月15日参照>>)からは、秘剣・一(ひとつ)太刀まで伝授されたと言われています。
そんなんですから、もはや16歳くらいの頃から近隣では卜伝の相手になるような者もおらず・・・そうなれば、さらに腕を磨くために、諸国を巡っての、お決まりの武者修行という事になります。
卜伝は、永正二年(1505年)の17歳を皮切りに、生涯に3度、合計:26年間を、武者修行の旅に費やしています。
その中では伊勢に長期滞在して国司の北畠具教(とものり)(11月25日参照>>)に剣術を教えたり、先ほどの義輝、さらに細川幽斎などにも・・・
そして、こういった有名人には、本来は弟子のうちの1人にしか伝授してはいけない、あの秘剣・一の太刀を、ちゃっかりと授けちゃってるとこなんか、意外に商売人・・・。
いや、商売人というよりは、戦国時代なのですから、策略家と言うべきでしょうか。
なにしろ、生き馬の目を抜く戦国時代、いくら腕が達ても、剣だけでは生き抜いてはいけません。
冒頭の戦績は、剣術とともに、その兵法を熟知し、策略に長けていた事を物語っているのです。
ある時、卜伝は柑村織部(かんむらおりべ)という左太刀の達人と立合いをする事になりますが、もちろん、事前に敵の情報を調査しまくり・・・で、その調べによれば、織部は左右どちらかの片手斬りで、相手に致命傷を与えるらしいとの事。
そこで、卜伝は、「片手斬りは卑怯な方法であるから、自分との立ち合いの時にはしないように」と、何度も何度も、しつこいくらいに使いを走らせました。
そう、実は、これで、「これほど片手斬りを怖がってるヤツなんて、たいした事ないな・・・」と織部を油断させたのです。
・・・で、本番は、バッチリ・・・開始直後に顔面割りで卜伝の勝利!
また、ある時、蹴りクセのある馬の背後を通ろうとした兵士が、その馬に蹴られそうになり、とっさに身をかわして事なきをえましたが、卜伝は、そのすばらしい身のこなしを褒める事なく、一言・・・「お前は未熟だ!」と、叱責します。
「じゃぁ、どうするのが良いんですか!」と詰め寄る兵士に、卜伝は、まず馬をつないだ後、そこから遠い位置を通って行ったのです。
「こうしておけば、はなから蹴られない」と・・・。
さらに、今度は、武者修行に出た時の話・・・
近江(滋賀県)の坂本から舟に乗って琵琶湖を渡っている最中、同じ舟に武者修行中の武芸者が乗っていました。
「俺は、立ち合いで負けた事がない!」と自慢話をし始める男・・・その話を聞いてるうちに、だんだんと、うっとぉしくなってきます。
声はデカイし、ツバは飛ばすし、態度はエラそうだし・・・
そこで、卜伝・・・「俺も、剣術では負けた事がないよ!」と、男を挑発します。
「剣術は何流だ?」と聞くので、
「無手勝流だ!」と答える卜伝・・・
「ならば、この場で、ひと勝負!」
という事になり、船頭に頼んで、近くの無人島へ・・・
相手が先に上陸したのを確認した卜伝は、船頭が手にしていた櫂を、ヒョイと手にとって島を一突きします。
小さな舟は、男を無人島に残したまま、一気に沖へ・・・
地団駄を踏んでわめき散らす男を置き去りにして
「これが無手勝流の極意なり!」
・・・って、剣は???
剣はいったいどこで使う???
と、ツッコミたくなるくらい、策略に長けた逸話が目だつ卜伝さん・・・
「剣は人を殺す道具ではなく、活かす道である」by卜伝
きっと強いからこそ、その腕を奮わない・・・まさに、剣聖ですね。
ちなみに、宮本武蔵が卜伝の力量を計ろうと、食事中のところを背後から襲い、卜伝が囲炉裏の鍋ぶたを手にして防いだという講談で有名な逸話は、残念ながら、後の創作・・・。
なんせ、武蔵は、慶長五年(1600年)の関ヶ原の合戦に参加した時は、まだ10代のはずですから、元亀二年(1571年)2月11日にお亡くなりになった卜伝さんとは、イタコの口寄せ以外で出会える事はなさそうなので・・・(。>0<。)。
.
「 戦国・安土~信長の時代」カテゴリの記事
- 浅井&朝倉滅亡のウラで…織田信長と六角承禎の鯰江城の戦い(2024.09.04)
- 白井河原の戦いで散る将軍に仕えた甲賀忍者?和田惟政(2024.08.28)
- 関東管領か?北条か?揺れる小山秀綱の生き残り作戦(2024.06.26)
- 本能寺の変の後に…「信長様は生きている」~味方に出した秀吉のウソ手紙(2024.06.05)
コメント
戦国時代に生まれた人で83歳の天寿を全っとうできたのもすごい。恐らく老衰だと思います。宮本武蔵よりかなり前の時代の人で、無敗(戦国時代の合戦頻度ピークの時代)と言うのも納得できますね。
時代劇でたまに出てくる「剣術道場の師匠」のモデルの様な感じがしますね。
投稿: えびすこ | 2010年2月11日 (木) 08時20分
えびすこさん、こんにちは~
ドリフのコントでも、モデルは卜伝さんですよね。
もちろん、その役をするのは長さんですが・・・
投稿: 茶々 | 2010年2月11日 (木) 09時38分
こんにちわ~、茶々様。
>櫂を、ヒョイと手にとって島を一突きします
お茶目なんですか・・・卜伝さん?
>ドリフのコントでも、モデルは卜伝さんですよね
卜伝さんが長さんに・・・子供のころに見たドリフの記憶がよみがえりました(○゚ε゚○)
投稿: DAI | 2010年2月11日 (木) 14時15分
船を下りて闘ってたら意外と負けてたりして………(笑)。然し中々どうしてお茶目な卜伝さんですね。島に取り残されて地団駄踏んで悔しがる相手の顔が目に浮かぶようです。
投稿: マー君 | 2010年2月11日 (木) 16時46分
DAIさん、こんばんは~
>子供のころに見たドリフの記憶が・・・
背後から襲うほうは、加藤茶か志村ケンで、アノ手コノ手で襲うものの、ことごとく防がれ・・・しかし、最後の最後にトンデモない手段(大量の水とか)を使われて、最終的には長さん=卜伝がヤラれちゃう・・・てなオチじゃなかったですか?(笑)(゚ー゚)
投稿: 茶々 | 2010年2月11日 (木) 19時30分
マー君さん、こんばんは~
>船を下りて闘ってたら・・・
確かに・・・
意外と、その武芸者も強かったかも知れませんしね(笑)
投稿: 茶々 | 2010年2月11日 (木) 19時34分
茶々さん こんにちは!
ト伝さんの大河をどこかの県が推薦しているって聞いたんですが、なってほしいけど、昨今の大河の出来をみてるとかえってしない方がいいかも・・・MUSASHIみたいになったりするのはちょっと・・・。なんせ人斬り物語みたいなものですからね彼の人生は笑。でも、関係者が相当豪華ですからね・・・剣豪世界での話ですが笑
強い人ほど長生きするんですよね。一刀斎さんは90以上、師匠の飯篠さんに至っては百超えてたって聞きますし。
投稿: ryou | 2010年2月15日 (月) 12時18分
ryouさん、こんにちは~
最近の若い役者さんで、殺陣のウマイ方がなかなかいなので、剣豪が主役というのは難しいのかも知れませんね。
ある程度視聴率を確保するためには、オジサマ世代の方の主役ではしんどいですし・・・。
合戦シーンがないのも、そのためかも知れませんね。
城田幸村とミッキー泉沢のヤリ勝負は、ちょっと悲惨でした。
投稿: 茶々 | 2010年2月15日 (月) 15時44分
大河ドラマではないのですが「塚原卜伝」のタイトルで、10月からBS日曜時代劇として放送します。
「鍋のふた」の場面は出るのかな?
投稿: えびすこ | 2011年7月19日 (火) 17時47分
えびすこさん、こんばんは~
鍋のふた…娯楽時代劇なら、ぜひ、やってほしいですね。
投稿: 茶々 | 2011年7月19日 (火) 19時12分