新撰組・山南敬助の心の内は…
慶応元年(1865年)2月21日、発足時から新撰組に加わっていた山南敬助が脱走を謀りました。
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幕末に大活躍したご存知、新撰組・・・
文久三年(1863年)の八月十八日の政変(8月18日参照>>)、翌・元治元年(1864年)の池田屋騒動(6月5日参照>>)と、まさに絶頂期を迎えていた新撰組・・・
さらに蛤御門(はまぐりごもん・禁門)の変(7月19日参照>>)から長州征伐(11月12日参照>>)の気運高まる中、その絶好調の新撰組で、しかも総長という立場の山南敬助(やまなみけいすけ)が、「局中法度」で禁止されている脱走を謀り、その罪で、2日後の23日に切腹に追い込まれるという事件は、隊士たちに大きなショックを与えた事でしょう。
・・・というのも、この山南さんという人は、とても温厚な人柄で、人間関係も実にうまくこなし、隊士たちからも「さんなんさん」と呼ばれて親しまれ、壬生(みぶ)界隈でも「いい人」と評判・・・沖田総司(おきたそうじ)などは、まるで本当の兄のように慕っていた人物でした。
しかも、江戸の試衛館(しえいかん・近藤勇の剣術道場)時代からの同志で、あの芹沢鴨(せりざわかも)の粛清で(9月18日参照>>)、近藤勇(こんどういさみ)が局長になってからは、総長という重要なポストも任される信頼関係にあったのです。
そんな山南さんが、禁止事項の中でも最も重罪な脱走を・・・
しかも、なにやら、その行動も謎めいています。
慶応元年(1865年)2月21日、脱走した彼が、追っ手である沖田に追いつかれたのが、京都から、わずか12kmしか離れていない大津(滋賀県)・・・その大津の宿に泊まっているところを発見されているのです。
もう少し行けば、街道は東海道と中山道に別れ、さらに先は北国街道も待っています。
そうなれば、どっちに逃走したのか?
その探索は広範囲になり、明らかに捕まる確立が低くなるのに、彼は、なぜ、大津にて宿をとったのでしょう?
それには、「大幹部の立場にいる自分なら、捕まっても切腹になならない」と考えていたとも言われますが、その原因となる物は、もっと深く、ずっと以前からあったと思われます。
そもそも、脱走の直接の起爆剤となったのは、その直前に決定し、3月10日には決行される事になっていた新撰組の西本願寺への移転・・・この移転の話は、土方歳三(ひじかたとしぞう)が提案した物で、このところ現実味を帯びてきた第二次長州征伐(5月22日参照>>)のために、局長の近藤自らが江戸へ赴いて隊士を募り、藤堂平助や伊東甲子太郎(いとうかしたろう)一派(11月18日参照>>)を含む、多くの隊士を獲得した事で、大所帯の新撰組となり、広い西本願寺の集会所を屯所として借りる事になったという物です。
しかし、仏教に篤い山南は、西本願寺の僧らを巻き込む事をヨシとせず、それに反対していたのです。
確かに、時期はピッタリですが、おそらく、これは単なる引き金・・・
というのも、彼は幹部でありながら、かの池田屋事件にも、蛤御門にも、まったく姿を見せていません。
もともと、その柔軟な性格から、尊王攘夷派の意見も理解するところのあった山南さん・・・どうやら、ここのところ朝廷と幕府の溝が大きくなり、ただひたすら佐幕へと傾いていく新撰組に違和感を感じていたのではないでしょうか?
そんな中で、度々意見の食い違いを見せいたものの、それが受け入れられる事もなく、ついに、自らの脱走と切腹を以って、新撰組のあり方に抗議をしたのではないか?という事です。
・・・とは言うものの、これはあくまで推測・・・ご本人の心の内は、ご本人にしかわかりません。
ゆえに、尊攘派とつながりを持っていた伊東に感化されたとも・・・
また、上記の重要事件に登場しない=活躍の場がなかったという事で、新撰組でも1・2を争う剣の腕を持つ彼が、近藤や土方に遅れをとる事で、コンプレックスが芽生えていたのではないか?など、その推理は諸説あります。
とにもかくにも、自室に置手紙を残して脱走した事により、なんなく発見されてしまった山南・・・
屯所に連れ戻された後も、その人柄から、新撰組内部でも「何とか穏便に・・・」の声があがったようですが、「断じて許し難し」とする土方の意見に近藤も同意し、切腹という処置が決定したと言われます。
その死に際して、「何か言いたい事はあるか?」と永倉新八に聞かれた山南は、「明里に手紙を渡してほしい」と頼みます。
(山南が切腹した部屋が残る旧前川邸→)
明里(あきさと)とは、島原の遊女だった女性で、彼が身請けして、その世界から足を洗わせた人・・・つまり、恋人だった人です。
その日、使いの者は、すぐに明里のもとへと走りますが、運悪く彼女は留守・・・切腹の時間が刻々と迫る中、もはや、「間に合わない!」と思った瞬間、屯所に走りこんで来た明里と、山南は、格子越しにわずかの対面を果たせたのだとか・・・
かくして脱走から2日後の慶応元年(1865年)2月23日、山南は切腹・・・山南の指名により、その介錯をした沖田は、しばらくの間、土方とは口を聞かなかったと言います。
しかし、烏合の衆の新撰組・・・その規律を守るためには、副長も鬼になるしかなかった事でしょう。
いつの日か、山南さんの心の内がわかる史料が発見され、鬼の副長との理解を深める事ができますようにと願ってやみません。
*旧前川邸への行き方は、本家ホームページでどうぞ>>別窓でひらきます
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コメント
6年前の「新撰組!」でこの経緯を放送していましたね。このドラマ、後半の方は三谷さんらしからぬ脚色だったと思いますが、アンケートでは人気大河作品の上位(必ずしも視聴率順位とは比例しない)に入ります。
今年の「龍馬伝」では、新撰組幹部を誰が演じるかに興味があります。まだ配役は発表されていません。
投稿: えびすこ | 2010年2月21日 (日) 12時46分
はじめまして。
以前から、拝見させてもらっています。
とても、興味深いことばかり書かれていて、
読むのがすごく楽しいです。
それで、良かったら、私のブログにリンクさせて頂けませんか?書かれている内容を、私の友達や知り合いにも紹介したいのです。
私も歴史(特に日本史)が大好きで、いつか茶々さんみたいなブログにしたいなぁと思っています。ですが、今現在は中々時間もとれず、ブログも更新できないので、未熟な事しか書けません。私の師匠だと勝手に思っているので、できたらリンクさせて頂けると嬉しいです。お願いします。
ところで、他の方も仰っていますが、大河ドラマの「新選組!」に、山南さんはでていましたね。山南さん切腹の回は、涙無しでは見られませんでした(u_u)
長文、失礼いたしました。読みにくくて、申し訳ありません。
投稿: くるみ | 2010年2月21日 (日) 14時29分
えびすこさん、こんにちは~
「龍馬伝」には誰がでるんでしょうね。
天地人のようなまさかのスルーは、なしにしてほしいですね。
投稿: 茶々 | 2010年2月21日 (日) 17時14分
くるみさん、はじめまして
このブログはリンクフリーなので、気にせずどんどんしていただいて良いですよ。
大河の「新選組!」の山南さん=堺さんは、大人気だったようですね。
アレで、それまで、あまり知られていなかった山南さんが近藤・土方・沖田・斉藤に並ぶ人気になったと聞きました。
さすが、堺さんです。
投稿: 茶々 | 2010年2月21日 (日) 17時18分
私「新撰組!」ではこの山南敬助と明里の別れのシーンが一番好きで本編、当日の再放送、土曜の再放送と3回見て3回とも泣きました。さすが三谷作品で私は近頃の大河にしては大好きなドラマですが、恋愛ドラマとしても素晴らしかったなぁと思います。ほかの隊士の恋愛模様もグッとくるものがあったし。明里さん、その後お幸せになってたらいいんですけど・・・おりょうさんはちょっとかわいそうで・・・
投稿: Hiromin | 2010年2月21日 (日) 22時14分
Hirominさん、こんばんは~
堺さんの山南さん、良かったですね。
昔ながらの大河ファンには、三谷さんの「新選組!」は不評だったようですが、私は好きです。
泣けたり笑えたり・・・ホント、おもしろかったですよね。
投稿: 茶々 | 2010年2月22日 (月) 00時02分
山南さんを演じた堺さんは人気がありますね。この時も、多くの堺さんファンの声によって切腹が何話か延ばされたって聞いてます。堺さんは一昨年の篤姫の折りにも家定公を死なせないでとの声で出演回数が延ばされたとも聞きました。さて、今年の大河では誰が山南さんを演じるんでしょうね?。
投稿: マー君 | 2010年2月22日 (月) 00時18分
マー君さん、こんばんは~
おかげで篤姫の時は、前半が異常に長くなってさいまいましたね(爆)
投稿: 茶々 | 2010年2月22日 (月) 01時07分
茶々さん、ありがとうございます。
さっそく、リンクさせていただきました。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
今後も、茶々さんの更新を楽しみにしていますね。
投稿: くるみ | 2010年2月27日 (土) 17時07分
くるみさん、お返事ありがとうございました。
また、遊びに来てください。
ブログの更新も楽しみにしています。
投稿: 茶々 | 2010年2月27日 (土) 19時05分