東大寺・二月堂にまつわる奈良の昔話~良弁杉
今日は、3月14日・・・奈良東大寺・二月堂のお水取り(3月12日参照>>)、そのおたいまつも、いよいよ最終日です。
・・・という事で、本日は、その東大寺二月堂にまつわる、奈良の昔話をご紹介します。
・‥…━━━☆
昔、昔・・・
あるお母さんが、赤ん坊を連れて畑仕事に出ました。
「ここで遊んどきや」
と言って、太鼓や笛を持たせて、田んぼの端で遊ばしなから、田の草を刈っておりました。
ところが、田んぼの中ほどまで草を刈って、ふと見ると、赤ん坊の姿がありません。
「今まで、おったのに・・・」
と、慌ててあたりを探します。
あちこち走りまわっても、いっこうに見当たらず、途方に暮れて、ふと、東の空を見上げると、トンビが何やら黒い物をくわえて、向うに飛んでいくのが見えました。
そうです。
赤ん坊は、トンビにさらわれてしまったのです。
トンビは、田んぼを越え、畑を越え、山の向うまで飛んで行ってしまいました。
一方、その翌朝・・・東大寺・二月堂のお坊さんが、朝起きると・・・
「ウェ~ン、ウェ~ン」
と、 どこからともなく、子供の泣き声が聞こえます。
「どこや?」
と、思って、あたりを見回してみると、二月堂の前にある大きな杉の木のてっぺんに、赤ん坊がいるではありませんか!
そう、あのトンビが、さらってきた赤ん坊を二月堂の前の杉の木に、ちょこんと落していっていたのです。
お坊さんは、さっそく杉の木に登って、赤ん坊を降ろし・・・
「よしよし、大丈夫やったか?これも何かの縁やなぁ」
と言って、その赤ん坊を育てる事にしました。
やがて、その赤ん坊は、たいへん賢い小坊主に育ち、それから後も、たくさんの修行をして良弁という立派なお坊さんになりました。
・‥…━━━☆
このお話に出てくる良弁(ろうべん)という人は、持統三年(689年)に生まれて宝亀四年(774年)に死没したといわれている華厳宗(けごんしゅう)の僧で、通称・金鐘行者(こんしゅぎょうじゃ)と呼ばれた実在の人物です。
天平五年(733年)に羂索院(けんさくいん)を建立して仏像を造り金鐘寺(こんしゅじ)と称しました。
かの聖武天皇が良弁に帰依事から、天平十四年(742年)には、その金鐘寺が大和国分寺に指定されます・・・これが、現在の東大寺です。
つまり、良弁さんは、東大寺の初代の別当(べっとう・寺務を司る人)という事になります。
晩年には、僧正という高い位を授かっていますので、とんびが運んだかどうかはともかく、立派なお坊さんになられた事は間違いありません。
ちなみに、この良弁さんがちょこんと乗っかっていた杉が、あの二月堂の前にある大きな杉・・・現在も、この杉は良弁杉と呼ばれます。
さらにさらに・・・
気になるアノ事・・・
伝説では、立派に成長した後、無事、お母さんと再会できた事になっていますので、くれぐれもご安心を・・・
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