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2010年3月 5日 (金)

日本初は世界初?初めてのスチュワーデス物語

 

昭和六年(1931年)3月5日、東京航空輸送が、2月5日に実施した日本初のエアガール採用試験の結果を発表した事で、本日、3月5日は『スチュワーデスの日』という記念日なのだそうです。

ちなみに合格者は140人中、たった3人だったそうです。

・・・・・・・・・・

日本航空の一件も記憶に新しい航空業界ですが、当時、エアガールと呼ばれた彼女たちの事が表舞台に登場するのは、昭和六年(1931年)が明けてまもなくの頃・・・

  • エアガール求む:
    東京、下田間の定期航空旅客水上機に搭乗し、風景の説明や珈琲のサービスをするもの、容姿端麗なる方を求む。
    希望の方は2月5日午後2時、芝桜田本郷町飛行館4階へ

という内容の募集広告が新聞に掲載されたのだそうです。

東京航空輸送社による、初めてのスチュワーデスの募集でした。

それまで、立川の軍用飛行場の一部を借りて営業していた民間飛行機が、羽田の東京飛行場完成にともない、この先を見据えた大々的な募集となったようですが、2月5日に行われた試験では、面接試験まで行われたようで、やはり「容姿端麗」というのは原則のようですね。

応募者の大部分が官公私立高女在学中で、中には女子大生もいたという事なので、花形職業という点でも今と変わりないのかも知れません。

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昭和六年当時の東京飛行場(東京空港整備事務所・蔵)

もともと、その前年の昭和五年(1930年)に、アメリカボーイング社8人の女性乗務員を採用したのが、スチュワーデスの元祖とされていますが、この時の募集要項では、「年齢:25歳以下、体重:50kg以下、身長:162cm以下」となっており、やはりここでも容姿差別か???と思いきや、これは、単に、飛行機が小型なので、なるべく小さい、体重の軽い人を採用しようとした結果のようです。

ただし、アメリカのスチュワーデス募集には、上記以外で、最優先の条件が・・・

それは、「看護婦資格を持っている事」・・・

実は、あまり機密性がよくない当時の飛行機では、機内は嘔吐・失神の嵐・・・

今なら、一気に飛んでいくサンフランシスコ⇔シカゴ間で、13回も離陸&着陸をくりかえして飛行し、その間に機内の時計のゼンマイをまいたり、到着後には、飛行機を格納庫押し込む仕事も彼女らの仕事だったのだとか・・・

つまり、ボーイング社が募集したスチュワーデスは、今、スチュワーデスと聞いて思い描く仕事とは、ちょっと違う職種の彼女たちだったのです。

そう、実は、現在のようなスチュワーデス・・・これは、昭和六年(1931年)3月5日に採用された、日本の彼女たちが、世界初という事になるわけです。

欧米が、彼女たちのようなサービス重視の乗務員を採用するのは、半年~1年後と言いますから、日本人の商魂はなかなかのものですね。

ちなみに、今回採用された彼女たちは、4月1日から実際に勤務する事になりますが、あまりにも狭い機内での作業と、それにともなわない給料設定だったため、4月29日には全員がやめてしまったそうです。

なんせ、この頃の女性の平均月給が28円くらいだった中、彼女たちが4月の1ヶ月間働いた月給がわずか16円~17円・・・今だと時給:400円???これではお気の毒です。

やむなく、東京航空輸送社は、給料を大幅アップして、再びエアガールを募集する事となります。

ところで、本日が『スチュワーデスの日』という記念日なので、冒頭がら「スチュワーデス」と書かせていただいておりますが、ご存知のように、このスチュワーデスという呼び方は、もう一つのエアガールとともに、現在では使用されていません。
(もちろん、容姿端麗もいけません(゚ー゚;

今では、客室乗務員、あるいはキャビンアテンダント(Cabin Attendant)=CAと呼ばれていますが、これは、男女雇用均等法に伴い、男女の区別のない呼び方に・・・という事なのでしょうが、実は、エアガールもスチュワーデスもキャビンアテンダントも、欧米では使われていない呼び方なのです。

欧米(英語圏)では、フライトアテンダント(Flight Attendant)もしくは、キャビンクルー(Cabin Crew)というのが一般的・・・。

考えて見れば、最初の呼び方であるエアガールの時点で、ボーイングの看護婦寄りとは異なり、未だ世界には存在しない新しい職業だったわけですから、日本人がオリジナルな名称をつけて呼んでも良いわけで、今もオリジナルな呼び方をするのは、その名残り・・・いや、世界初という誇りなのかも知れませんね。
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コメント

子供のころアテンションプリーズを見て激しくスチュワーデスに憧れましたわ。(歳がばれる・・)私の世代だとやっぱスチュワーデスという呼び名のほうがうっとりしますがね。現実には激しい肉体労働らしいですが。昭和6年に採用された方たち、明治世代でしょうか。どんな人たちだったのかな、勤務は若かりし頃の青春の一こまだったかな、それとももっと切実だった?その後どんな人生歩んだのかな、なんて思いを馳せてしまいます。

投稿: Hiromin | 2010年3月 5日 (金) 21時41分

Hirominさん、こんばんは~

そう言えば、アップダウンクイズの冒頭で、司会者さんが、
「10問正解して、夢のハワイへ行きましょう!」って言ってましたね(歳がばれる・・)

初代エアガールの皆様・・・
それぞれ、普通のお嬢様に戻られたのでしょうか???
きっと、立派なキャリアウーマンになられた事でしょうね。

投稿: 茶々 | 2010年3月 5日 (金) 23時41分

こんにちは、
検索していてたどり着きました。
興味深く拝見させていただいています。
大阪城御堀のUMAは全く知りませんでした。情報ありがとうございます!!
差し出がましいですが、
少し気付いたことがあるので、メッセさせて頂いております。
日本初のエアガールは
大正12年に水陸両用飛行場として開港した大阪市大正区の木津川飛行場かと思います。
当初はエアガールと言い、着物を着ていました。ここからの高松行が第一号だそうです。
とりあえずお知らせいたします。

これからもこちらの御活躍、楽しみにしております。
失礼いたしました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%B4%A5%E5%B7%9D%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E5%8C%BA

投稿: やと | 2014年10月31日 (金) 04時54分

やとさん、こんにちは~

出典を調べてみますと…
話の出どころは、地元の歴史好きの方で結成された「大正区の歴史を語る会」の方々みたいですね。

木津川飛行場が実際に飛行場として運用されたのは昭和四年(1929年)のようですが、これでも、東京より2年早い事になりますから、もし、その最初の段階でエアガールさんが乗っていたのなら、こっちが初!
いやボーイング社より早いから世界初!

これは、大阪人として、もっと全国的にアピールせんといかんですな。
とは言え、そうなると3月5日の『スチュワーデスの日』はどないなるんでしょう?
話がややこしくなりそうで不安(@Д@;

投稿: 茶々 | 2014年10月31日 (金) 08時25分

こんにちは
早速調べてくださったのですか。
その探究心には本当に頭が下がる思いです。
知人に大正区の人がいるので、何か資料が残ってないか聞いてみます。
もしあればご連絡差し上げますね。
そして木津川飛行場のエアガールを確定する資料があれば、それはスチュワーデスの日は変えてもらわねばなりませんね。
変えはるかどうかは判りませんが・・・

ありがとうございました。

投稿: やと | 2014年10月31日 (金) 18時51分

やとさん、こちらこそ、情報ありがとうございました。

投稿: 茶々 | 2014年11月 1日 (土) 11時20分

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