オークラ前の桂小五郎像が見つめる物は?
先日、チョコッと「酢屋」の事を書かせていただいた木屋町(そのページはコチラから>>)のまち歩きのページなのですが、それを作っている途中、ふと、同日に撮影した桂小五郎像の事が気になりまして・・・
この銅像はけっこう有名なので、ご存知のかたも多いと思いますが、長州藩邸の跡地に建つ京都ホテル・オークラ・・・その縁から、ホテルの前には桂小五郎像が鎮座するわけですが、気になるのは、この桂小五郎像の目線・・・
正面から見るとこんな感じなのですが、どう考えても目線が合いません。
体はやや左に向き、顔はやや右を向き、目線はその先のほうを見ている・・・
おそらく、この銅像のモデルとなったのは、若かりし頃の桂さんの、たぶん一番カッコイイと思われる(私見入ってます(゚ー゚;)この写真→なのでしょうが、銅像の顔も体も正面に向けなかったその意図は・・・
って事になると、おそらくその真相は、作者である京都在住の彫刻家・江里敏明氏にお伺いするしかないのでありましょうが、その件についてオモシロイ話があるので、本日は、そのお話をご紹介させていただきます。
・‥…━━━☆
このオークラ前の桂さん・・・
もとになったとおぼしき写真もそうですが、右手には刀をしっかりと持ち、左手は何やら太ももを握りしめたような雰囲気・・・とても凛々しく、どこかを見つめて、何やらデカイ事を考えていそうです。
実は、現在は洛北・岩倉にある妙満寺(みょうまんじ)というお寺・・・紀州の道成寺の鐘がある事でも有名なこの妙満寺ですが、このお寺は、昭和四十三年(1968年)までは、京都市役所の北側にあったのです。
京都市役所は、京都在住の方はご存知のように、ホテル・オークラから河原町通を挟んで西隣にあり、その妙満寺が建っていたところは、今も、市役所の一部のようになって、自転車置き場のように使用されています。
そして、かの小五郎像は、オークラ前と言っても、その西側に建っていて、もちろん、顔も西を向いています。
そう、
この桂小五郎の銅像は、かの妙満寺を見つめているのではないか?
と、都市伝説のように語られてしるのです。
時は幕末・安政五年(1858年)・・・ペリーの重圧の押されて開国をしてしまった幕府大老・井伊直弼(いいなおすけ)は、老中・間部詮勝(まなべあきかつ)を京都に派遣して、開国に反対する尊王攘夷派の一掃を命じます。
世に言う安政の大獄です(10月7日参照>>)。
この時、京都に入った間部は、かの妙満寺を宿舎として、国学者の長野主膳(しゅぜん)らに命じて、攘夷派志士を大量に逮捕・・・つまり、ここ妙満寺が安政の大獄の本拠地となったわけです。
当時は、藩主の名代として京都留守居役をこなしていた小五郎・・・おそらくは、藩邸と目と鼻の先の、この場所で行なわれた同志たちの苦悩が痛く心に突き刺さっていたに違いありません。
やがて安政の大獄を実施した井伊は、桜田門で水戸浪士に暗殺され(3月3日参照>>)、いつしか政情は逆転・・・朝廷内も尊攘派が実権を握り、幕府の公武合体派をしのぐ勢いを持ちはじめます。
そんな時、長州は、仕返しとばかりに、かの妙満寺を本陣とし、孝明天皇による2度の攘夷祈願(加茂神社と石清水八幡宮)を実現しました。
そして、とうとう、天皇自ら大和(奈良)へ行幸し、攘夷決行の旗揚げをするという強硬手段のダンドリも準備しますが、その計画が練られたのも、本陣とした妙満寺と長州藩邸・・・お寺と藩邸には、こんな深い関係があったんですね~。
ただ、ご存知のように、あの八月十八日の政変(8月18日参照>>)によって、かの孝明天皇の行幸も実現ならず、逆に長州は窮地に立たされる事となり、かの小五郎も「逃げの小五郎」とあだ名(5月26日参照>>)されるほど、その身の置き所がなくなるわけですが・・・
・・・と、これらの一連の出来事を見てみると、「あの桂小五郎像が見つめているのは、元・妙満寺のあった場所」なんて、まことしやかに囁かれるのもわからないではありません。
歴史好きとしては、ロマンをかき立てられる一件です。
追記:できあがった本家・ホームページの幕末目線での散策コース【木屋町・祇園~ねねの道・幕末篇】も見てネ>>
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コメント
なるほど~
感慨深いお話ですね~(^O^)
小五郎さんも今では静かに見守っているんですね(^-^)
投稿: みか | 2010年3月12日 (金) 20時07分
みかさん、こんばんは~
天下を取った今となっては、苦悩の日々も笑い話・・・おっしゃる通り、きっと小五郎さんは、心静かに見守っておられるのでしょうね。
投稿: 茶々 | 2010年3月13日 (土) 02時14分