新撰組・沖田総司の最期
慶応四年(1868年)5月30日、新撰組・1番組組長を務め、池田屋事件などで活躍した沖田総司がこの世を去りました。
・・・・・・・・・・
今更ながらの有名人ではありますが・・・
天保十三年(1842年)もしくは天保十五年に白河藩足軽小頭(あしがるこがしら)・沖田勝次郎の長男として生まれた沖田総司(おきたそうじ)は、少年の頃から江戸・市ヶ谷にあった近藤勇の天然理心流道場・試衛館(しえいかん)で剣術を習い、10代で早くも免許皆伝となり、18歳で師範代を務めていました。
新撰組の生き残りの話によれば、その剣技はもはや伝説の域に達し、下がり気味に構えた剣先から繰り出す刀さばきには誰もが目を見張り、本気になれば、師匠の近藤よりも上なのでは?と思えるほどだったとか・・・もちろん、沖田よりあとから入門した7~8歳年上の土方歳三(ひじかたとしぞう)とは、比べ物にならないくらい強かったなんて言われてますね。
そんな沖田は、文久三年(1863年)2月に、あの清河八郎が募集した将軍・徳川家茂(いえもち)の上洛にともなう警護の浪士隊の公募に、師匠の近藤らとともに応募し、京都へやってきます。
・・・で、その清河のワケのわからん宣言(2月23日参照>>)で空中分解した浪士組で、京都に残る事にした近藤とともに彼も残留・・・やはり、残る事にした芹沢鴨(せりざわかも)とその仲間たちとともに壬生浪士組(みぶろうしぐみ)を結成し、その年の八月十八日の政変でその名を挙げて(2008年8月18日参照>>)、新撰組と名を改めたのもつかの間、近藤と反目する芹沢一派の暗殺を決行します(9月18日参照>>)。
翌年、かの政変でピンチに追い込まれた長州(山口県)が、政変の中心人物・中川宮朝彦(なかがわのみやあさひこ)親王(2009年8月18日参照>>)の幽閉と、京都守護職の松平容保(かたもり)の暗殺計画を練っている現場へと新撰組が突入する事件・・・世に言う池田屋騒動がありました(6月5日参照>>)。
ドラマでも、最もカッコイイ沖田の見せ場・・・
結核に冒された沖田が、吐血しながら敵を斬る名シーンですが、実際にところは、吐血したかどうかは微妙なようで・・・
ただ、数人斬ったところで具合が悪くなり、死体を枕に横たわっていたところを、駆けつけた土方隊の介助によって祇園の会所に戻ったという事は確かなようなので、すでに発病していたと思われます。
・・・とは言え、その後も、フツーに新撰組幹部として活躍し、しばらくは病気の記録もないところから、たとえ発病していたとしても、このあたりでは、まだ大した病状ではなかったものと考えられていますが・・・。
やがて、元治から慶応へと元号が改められた年(1865年)に起こった山南敬助(やまなみけいすけ)の脱走事件では、兄のように慕っていた彼を追う立場となり、捕らえた山南の切腹の時には、涙を呑んで、その介錯役を務めています(2月21日参照>>)。
この年の9月、第二次長州征伐の勅許(ちょっきょ・天皇のお許し)が下った事で、第一次の戦後処理のため、長州へと訪問する大目付・永井尚志(なおゆき)に同行する事となった近藤は、敵陣に赴くとあって、故郷の多摩の人々に宛てた手紙の最後に、まるで遺言のような事を書いていますが・・・
「京都の留守は土方に頼んでありますので、自分に万一の事があったら、土方の言う通りにして下さい。
剣の流名は沖田に譲りたいと思っていますので、手助けしてやって下さいな。
ただし、この話はナイショにしておいてネ!」
この書状は、死を覚悟しての興奮からか、かなり筆が乱れていると言われますが、その書面に、「天然理心流を沖田に・・・」と書き残すのですから、いかに、沖田への近藤の信頼が篤かったかがうかがえますね。
しかし、慶応三年(1867年)に屯所が西本願寺から不動堂村に移転した頃から、沖田の病状は深刻なものとなってきます。
その年の12月、近藤が伏見で襲撃される事件(12月18日参照>>)が勃発しますが、この時の沖田は、すでに動く事ができず、非常に悔しがっていたとの事・・・さらに、翌年正月に勃発した鳥羽伏見の戦いでも、やはり起き上がる事ができず、かの襲撃事件で負傷した近藤とともに、大坂城にて療養するしかなかったのです。
その後、鳥羽伏見で敗れた新撰組の同志らとともに江戸に戻った(1月9日参照>>)後、新撰組は甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)と名を改め、甲府へと出陣しますが(3月6日参照>>)、この時は、「是非とも参加したい!」と、気力を振り絞って行軍に加わります。
しかし、さすがに容体が悪く、故郷・多摩まではなんとか同行するも、甲府まで行く事はできませんでした。
その後、沖田は、浅草にあった松本良順(りょうじゅん)(3月12日参照>>)の医学所に入院して療養したとも、千駄ヶ谷にあった植木屋・平五郎にかくまわれていたとも言われますが、慶応四年(明治元年・1868年)5月30日、まだ25~27歳の若さて病没します。
その2ヶ月前・・・沖田が師と仰いだ近藤勇は、板橋の処刑所にて斬首(4月25日参照>>)となっていますが、沖田には最後まで、その事は知らされず、死の間際まで
「近藤さんは、どうしていますか?便りはありませんか?」
と聞いていたとも言われます。
現在、真実&虚実入り乱れる新撰組でありますが、それもこれも、あまりにも壮絶なその人生に、人は魅力を感じずにはいられないからなのでしょう。
近藤勇、
土方歳三、
沖田総司・・・
三人三様の滅びの美学を演じてくれるところは、あまりにもドラマチックすぎる気がしないでもありませんが、今日のところは、そのカッコ良さに浸る事にいたしましょう。
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コメント
こんにちは。
沖田総司は人気ありますね。
テレビ朝日のそばに、お墓があります。
テレビでは、島田順次、草刈正雄などが演じています。今だったら、誰が演じるかな?
新撰組の隊士のイメージとギャップを
感じています。
木原としえの「天まであがれ!」、和田慎二の「あさぎ色の伝説」の漫画も、そんな感じでした。薄幸の剣士。
投稿: やぶひび | 2010年5月30日 (日) 16時58分
茶々さんこんばんわ!
沖田総司…
大変人気のある剣士ですね!
うちの家族も大好きな剣士です。
この頃は医学もまだまだで、志半ばに亡くなるという悔しい人生でしたでしょうね…
幸薄なる剣士、沖田総司…
悲し過ぎる最期です。
投稿: みか | 2010年5月30日 (日) 20時19分
「龍馬伝」では若手の俳優(私はこの人について知りません)が演じていますね。死後60年が経過した昭和初期になって肖像画ができますが、実際はどういう風貌をしていたんでしょうかね?「兄貴分」の近藤や土方は写真を残していますが。
劇中での新撰組は以前の予想が図らずも当り、攘夷派を付けねらう組織になっていますね。主役級の扱いだった6年前と比べて「殺し屋カラー」が濃いですね。イメージもかなり違います。
投稿: えびすこ | 2010年5月30日 (日) 21時37分
やぶひびさん、こんばんは~
今だったら誰でしょうね?
やはり、とびっきりの男前で・・・
写真が残ってないぶん、妄想のしがいがありますね。
投稿: 茶々 | 2010年5月30日 (日) 23時20分
みかさん、こんばんは~
幸薄いぶん、よけいに、
頭の中で美しくしてしまっているのかもしれませんが・・・
ファンは多いですね~
投稿: 茶々 | 2010年5月30日 (日) 23時24分
えびすこさん、こんばんは~
やはり、龍馬が主役だと新撰組は悪にまわるしかないですね。
沖田の顔も、知人の証言では「ヒラメ顔」ですが、肖像画は違いますしね。
まぁ、よくわからないから、より男前の伝説となるんでしょうけど・・・
投稿: 茶々 | 2010年5月30日 (日) 23時29分
>やぶひびさん
次に沖田総司を演じるとしたら三浦春馬君がいいですね。総髪の方が若い感じが出ます。
稀にですが、時代劇で総髪の沖田総司が出る事もあります。
新撰組が出てきましたね。昨日の放送を見ていると佐藤君を気の毒に感じます(;´д`)トホホ…。役の上では損な立場なので。本人の談話では岡田以蔵の研究をかなりしています。
投稿: えびすこ | 2010年5月31日 (月) 10時14分
沖田総司のお話は、よかったです。最澄を見ていて、こちらを発見。
沖田総司の愛刀は、菊一文字。それも是非お書き添えを。
その鞘が「濃い朱」という模擬刀が、24000円で出ています。欲しいが、買えない。
映画やTVでは、鞘は黒~濃紺ですが、この「濃い朱」というのが実にピッタリ。
史実には、鞘の色までは書いてないよう。でも、ここに書かれている沖田総司像からみて、黒鞘より、good!!
「菊一文字」とは書いてなく、単に「沖田総司拵え」とだけ。新潟県の新井PAの、富山の回転鮨「キトキト鮨」が入っているビルで見つけました。
投稿: jeep | 2010年6月 1日 (火) 23時59分
jeepさん、こんばんは~
沖田総司に朱・・・似合いそうですね。
>新潟県の新井PA・・・
やはり、沖田人気は全国ネットなのですね。
富山に10年いたので、「キトキト鮨」は懐かしいです((w´ω`w))
投稿: 茶々 | 2010年6月 2日 (水) 02時52分
( ´_ゝ`)ノボンジュール♪
沖田総司はすごい
人気だなぁ~
私も沖田さん好きです
もちろん新撰組も
投稿: | 2010年6月18日 (金) 20時31分
すいません
上のは私が書きました
名前を書くのを忘れてました
アリンコロです
私は毎週金曜日に来るつもりですが
いいですか?
これからよろしくおねがいします
投稿: アリンコロ | 2010年6月18日 (金) 20時52分
アリンコロさん、はじめましてo(_ _)o
沖田さんは人気ですね~
もちろん、新撰組ごと…
また、いつでも遊びに来てくださいね!
投稿: 茶々 | 2010年6月18日 (金) 23時23分
茶々さんありがとうございます
これからもよろしくです
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
ところで質問です
みんなは沖田さんの誕生日は
いつだとおもいますか?
私は 7月8日または6月1日だと
思うんですが皆さんはいつだと
思いますか?
皆さんの考えを教えて下さいm(_ _)m
投稿: アリンコロ | 2010年6月25日 (金) 18時53分
アリンコロさん、こんばんは~
そうですね…近代史にウトイ私には、「夏」って事だけで、ちょっと日づけまでは、わかりません~申し訳ないですo(_ _)o
でも、一番多く出て来る日づけが、アリンコロさんのおっしゃる日づけですね。
旧暦の天保十三年6月1日は西暦の1842年の7月8日なので、この二つは同じ日の事でしょうね。
だとしたら、やっぱり、これが最有力なのかな?
投稿: 茶々 | 2010年6月25日 (金) 22時47分
茶々さん こんばんはc(>ω<)ゞ
やっぱり6月1日また7月8日
なのですかね??それに
そうですよね
でも 沖田さんの亡くなり方は
かわいそうですね・・・
病気で亡くなって(ノ_-。) それに
とても信頼している近藤さんが
亡くなった事も知らず。゜゜(´□`。)°゜。
とてもかわいそうです~。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
投稿: アリンコロ | 2010年7月 2日 (金) 20時10分
上の4行目の『それに』は
間違えました
気にしないでくださいm(_ _)m
ではさよ~なら~サヨーナラー(_´Д`)ノ~~
投稿: アリンコロ | 2010年7月 2日 (金) 20時14分
アリンコロさん、こんばんは~
幕末は、沖田さんに限らず、多くの惜しい方が亡くなっていますよね。
この人が、もう少し長く生きていたら…って考えてしまいますね。
投稿: 茶々 | 2010年7月 3日 (土) 01時15分
こんばんは 茶々さん(o・ω・)ノ))
先週は用事があってこれませんでした(人><。)
先週の木曜日は
沖田総司の誕生日でしたねψ(`∇´)ψ
もう家で叫んでましたもん((w´ω`w))
『きゃゃゃぁ 今日は沖田総司の
誕生日だぁぁぁ(*≧m≦*)』
って゜.+:。(*´v`*)゜.+:。
まぁとにかく叫びまくりでした(*ノv`)
でわ(TωT)ノ~~~ バイバイ
投稿: アリンコロ | 2010年7月16日 (金) 19時16分
アリンコロさん、こんばんは~
アリンコロさんは、本当に沖田総司が好きなんですね~
また、他のページにもコメントしてくださるとウレシイです。
投稿: 茶々 | 2010年7月16日 (金) 22時54分
沖田総司人気ですよね(*^m^)
私も大好きです
投稿: そーじ | 2012年8月23日 (木) 19時12分
そーじさん、こんばんは~
沖田ファン、多いですよね~
投稿: 茶々 | 2012年8月23日 (木) 20時16分
精しいんですね〜
沖田さんがすごくカッコイイことがわかりました!
投稿: 春 | 2016年8月11日 (木) 11時14分
後、俺もそうカッコよくなりたいなー
投稿: 春 | 2016年8月11日 (木) 11時16分
春さん、こんばんは~
沖田総司、カッコイイですね。
コメントありがとうございました。
投稿: 茶々 | 2016年8月12日 (金) 01時31分