摩訶不思議な奈良のピラミッド~頭塔・浮彫石仏
今日は、「遷都1300年祭」に沸く奈良から、ちょっとマイナーな史跡をご紹介します。
マイナーと言っても、知る人ぞ知る史跡で、ミステリー感満載のその雰囲気から、好きな人にとっては他に類を見ない史跡という事で、むしろ、ここをお目当てに遠くから訪れる人も少なくない史跡です。
・・・というのも、まずは、この写真をどうぞ
まさに、南米はインカかアステカというピラミッドを思わせるこの不思議な形は、見る者を圧倒し、様々な空想をかき立てられるミステリー好きにはたまらない場所なのです。
場所は、大仏様のある東大寺から南へまっすぐ・・・破石町バス停の南側にある道を右(西)へ入ってすぐの民家の中にこつ然と存在します。
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入り口(写真右→後ろに見える木が史跡です)の斜め向かいにある「仲村表具店」さんが管理人さんをなさっていますので、お店に声をかけると入り口の鍵を開けてくださいます(拝観料:300円・9時~17時まで)・・・これも、なんだかマイナーっぽくでステキです(゚ー゚;
そもそも、ここは、民家の中にポツンと、木々が繁り、頂上には五輪塔が建つ小山のような所で、昔から、奈良時代の僧・玄昉の頭を埋葬した墓だと伝えられており、
「頭塔(ずとう)」という名で周辺住民に親しまれいて、大正十一年(1922年)には、すでに国の史跡に指定されていました。
その後、昭和五十二年(1977年)に当初から露出していた13基の石仏が重要文化財に指定された事で、1980年代の終わり頃から本格的な調査が開始されます。
発掘前の頭塔 |
発掘中(1987年頃) |
すると、単なる小山だと思われていた土の下から、整然と並べられたおびただしい数の石垣が発見されたのです。
しかも、全部で7段の石垣の奇数段の4面には、各11基ずつ、総数44基の石仏が法則にしたがって整然と配置されているではありませんか!
他に類を見ない特異な史跡の発見でした。
古文書によれば、神護景雲元年(767年)に東大寺の僧・実忠が、東大寺の南側方向に土塔を築いたとの記録があり、現在では、その記録にある土塔が、この頭塔の事であろうと考えられています。
ただ、最初に造った物は、すぐに崩れてしまったため、それを覆いかぶすように、すぐに2度目の建設が行われたようで、近年の発掘調査の段階では、その最初の部分も発掘されましたが、整備の都合上、最初の部分は埋め戻されて整備されました。
その役割は、五重塔と同じような仏舎利を収める仏塔・・・つまり、土で造った七重塔、あるいは、立体曼荼羅のような物ではなかったかと言われています。
このような史跡は日本でも少なく、階段状の土塔であっても、そこに石仏がレリーフされているという姿は、むしろ、遠くインドネシアのジャワ島にあるボロブドゥール遺跡に酷似している事から、その関係性についても研究の対象となっているようです。
(*ボロブドゥール遺跡についてはwikiをどうぞ>>)
現場では、いくつかの瓦も出土いる事から、当時は、奇数段の石仏のある段には屋根が設けられ、人々が、石仏を巡礼しながら周囲を巡ったのではないか?と思われています。
ただし現在、写真のように設置されている屋根は、当時を復元したというよりは、現存する石仏を雨や日差しから守るために設置されている物で、学問上の検証はなされていないとの事です。
また、写真で見ると、ピラミッドのような石垣の向こうに木々が見えますが、これは、史跡の南半分を発掘調査&整備をする以前の形のままに残してあるため・・・つまり、ピラミッドのように見えるのは、史跡の北半分だけなのです。
それは、これが建てられた時の当初の姿に再現するのも歴史・・・
長年の風雨にさらされ、原型を止めなくなりながらも、「頭塔」として奈良市民に親しまれてきた姿も歴史・・・
その両方が、頭塔の歴史であるという考えから、あえて、このような形にしてあるのだとか・・・
なんとも、粋なはからいではありませんか!
*破石町バス停前にある「ホテル・ウェルネス飛鳥路」の駐車場からの眺め…右が整備され左が自然のままです
さぁ、イベントに沸く奈良・・・せっかく東大寺や春日大社に行かれるのでしたら、すぐ近くなのですから、ぜひとも、この頭塔も訪れてみてはいかがですか?
しばし、摩訶不思議な世界へ・・・
くわしい行き方は本家HP「京阪奈ぶらり歴史散歩」の「東大寺周辺」でどうぞ>>
追記:現在は上記の隣接する「ホテル・ウェルネス飛鳥路」様のフロントでも見学受付をされています(予約無しでもOKだそうです)=(ホテルのホ-ムページへ>>)
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コメント
何年か前にテレビでチラッと見たことがありました。今日は、よく見ることが出来て、念願が叶ったように嬉しい♪。
外国の、これに似た遺跡は見たことがないので、その辺はよく分かりませんが、元は方墳だったかもしれない、と考えてみると、突拍子の無いものでもなさそうに思えますよね ?。
古墳が神社になって、土地の信仰の対象となったものは、関東にも沢山あります。
墓地になった古墳もありますし、その、東大寺の僧によって、その時代に、仏教遺跡にリ・ニューアルされた、のかもしれない・・・・、
(勝手な想像ですけれど)、
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投稿: 重用の節句を祝う | 2010年5月13日 (木) 17時42分
重用の節句を祝うさん、こんばんは~
おそらく、もとをただせば、そこまで奇怪なものではないでしょうね。
各地に残る古墳も、今のように木々が生えるまでは、整然と石が積まれた異様な姿だったでしょうし・・・
でも、このような景観を天平の人たちも見ていたのかと思うと、やはりロマンをかきたてられます(*゚ー゚*)
投稿: 茶々 | 2010年5月13日 (木) 22時33分