真犯人か冤罪か?人斬り・田中新兵衛は語らず
文久三年(1863年)5月26日、先日の姉小路公知・暗殺の容疑で捕縛された田中新兵衛が、尋問中に自殺しました。
・・・・・・・・・
ブログの構成上、答えを言っちゃいましたが・・・(;´д`)
そうです、5月20日の深夜に起こった尊王攘夷派の公家・姉小路公知(あねがこうじきんとも)暗殺事件・・・(くわしくは5月20日のページで>>)
その容疑者として捕縛されたのが、人斬りで名を馳せた田中新兵衛(たなかしんべえ)という人物だったのです。
新兵衛の出自は、薩摩の商人出身とか、船頭の子供だとか言われますが、実際のところはよくわかっていません・・・もちろん、生年月日も・・・
一撃必殺の示現流(じげんりゅう)の使い手だったとの噂の新兵衛は、薩摩の豪商・森山新蔵の支援を受けて薩摩藩士になったと言います。
文久二年(1862年)に、何とか一旗挙げようと、自費で京都まで来たものの、そこで頼るつもりであった新蔵が、あの寺田屋事件(4月23日参照>>)に関与していたとして、すでに郷里に送り返されてしまっていました。
あてがはずれてしまった新兵衛・・・なんとか自力で職を探そうとしますが、なかなか働き口が見つかりません。
途方に暮れていた新兵衛に声をかけたのが、同じ薩摩藩士であった藤井良節(りょうせつ)でした。
彼は京都の薩摩藩邸にて、尊攘派の公家と藩との連絡役となっていた人物・・・この良節と出会った事で、新兵衛の運命は大きく変わります。
そう、実はこの時、良節は「あの島田が、京都に隠れている」との情報をつかんでいたのです。
「あの島田」とは、幕府の官人であった島田左近(さこん・正辰)の事・・・
左近は、井伊直弼(いいなおすけ)とともに日米通商条約を推し進め、14代将軍・徳川家茂(いえもち)の擁立にも成功し、その後、断行された安政の大獄(10月7日参照>>)でも腕を振るった人物・・・
その直弼が桜田門外の変(3月3日参照>>)で倒れた後は、まさに京都の中心人物の1人として、将軍・家茂と皇女・和宮(かずのみや・孝明天皇の妹)の結婚(8月26日参照>>)にも深く関わっていた人物でした。
彼ら尊攘派から見れば、許し難い敵・・・
「この機会に亡き者にしたい」と考える良節にとって、地位や名誉など失う物などなにもないうえ、腕のたつ新兵衛は、手足として利用するにはうってつけの人物だったわけです。
良節の命を受けた新兵衛は、薩摩藩士二人とともに、木屋町の愛人宅にいた左近を襲撃し、殺害・・・首を四条河原にさらしました。
いわゆる天誅(てんちゅう・神からの懲罰)と称して志士たちが行う数々の暗殺劇は、この島田左近にはじまるとも言われますが、新兵衛の人斬りとしての人生も、ここにはじまったのです。
ちょうどその頃、かの武市半平太(たけちはんぺいた)(5月11日参照>>)率いる土佐勤皇党が京都に入り、尊王攘夷運動を展開しはじめていました。
良節は、次に、そんな半平太と結びつきます。
実は、二人にとって、共通のウザイ男が・・・
それは本間精一郎(ほんませいいちろう)・・・彼は、いち早く尊王攘夷に目覚め、江戸や京都で倒幕を説いていた人物ですが、その立ちすぎる弁で相手を言い負かし、はったりをかましながら裕福さをひけらかす性格は、敵が多い人でありました。
三条実美(さんじょうさねとみ)と組んで勢力拡大をもくろむ半平太にとっては、別ルートで公家との交渉をする精一郎がジャマであり、薩摩藩邸で活躍する良節にとっては、やはり、藩と公家の間をチョロチョロする精一郎が目ざわりだったわけです。
良節と半平太との話し合いによる結果は・・・「やはり、殺るしかない!」
そこで、登場するのは新兵衛・・・良節から、半平太を紹介された新兵衛は、義兄弟の契りを交わし、その命を受ける事になります。
文久二年閏8月、祇園でしこたまお酒を飲んで、泥酔状態の精一郎を新兵衛が襲います。
念のため差し向けられた岡田以蔵をはじめとする勤皇党の者・数名とともに、精一郎を斬り捨てた新兵衛は、その胴体を高瀬川に捨て、首を四条河原にさらしました。
その後も、何人かの暗殺に手を染めたといわれ、今も、幕末四大人斬り(他は河上彦斎(12月4日参照>>)・中村半次郎(9月24日参照>>)・岡田以蔵(5月11日参照>>))・・・の1人に数えられる新兵衛・・・
しかし、そんな彼が、文久三年(1863年)5月26日、6日前に起こった姉小路公知・暗殺事件の犯人として捕らえられてしまいます。
決め手は、その公知が敵から奪い取り、杖の代わりにして持ち帰った刀でした。
薩摩鍛冶・奥和泉守重忠の作・・・これで、薩摩の者が疑われたわけです。
新兵衛の取調べを担当した大目付の永井主水正(ながいもんどのしょう)・・・奉行所にての取調べ中、証拠の品となる刀を示して、
「これに見覚えはないか?」
と尋ねます。
それは、確かに新兵衛の物でした。
「これは、俺の物やけど、姉小路卿の暗殺については、何も知らん!」
と、言うがはやいか、手にした脇差でのどを突き、新兵衛は自害したのです。
最も疑わしい者の死で、結局、暗殺事件は迷宮入りとなってしまいました。
- 新兵衛を見た暗殺現場での生き残りは、「この人です」と証言し
- 薩摩藩側は、「薩摩を陥れる計略である」と主張
- 新兵衛の刀は、数日前に料亭ですりかえられていたとの噂
- 「田中は、この頃ノイローゼ気味で、何かしでかしそうな雰囲気やった」と知人・・・
これらの様々な証言に、今もなお、真犯人についての論争が耐えない、この事件。
果たして、尊攘派の手足となって人斬りに没頭した男は、ただ利用されたあげくにハメられたのか?
はたまた、自らが背負った十字架の重みに、その良心が耐え切れなかったのか?
それとも・・・
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コメント
現在の「龍馬伝」と記事がリンクしていますね。23日が「7公卿都落ち」でしたね。
「人斬り」と呼ばれる人は、幕末になると急速に目立ってきてますね。同時にこの時代は「剣豪」の存在が見直されています。それだけ当時政情不安と言えますね。
(みなさん含め)いろいろな人が気になっていた、「中岡慎太郎の出番が遅い」理由は上川さんの奥さんの体調にあると思います。恐らくスタッフや福田氏がそれに配慮して、番組の中岡慎太郎の出番を後半にした、と。今年は脚本ができたのは、配役が決まってからでしたから調整ができますね。
投稿: えびすこ | 2010年5月26日 (水) 08時52分
えびすこさん、こんにちは~
>現在の「龍馬伝」と記事がリンクしていますね。
そうですね。
なぜか、龍馬は、8月18日のクーデターが起こる前に、攘夷派の力が衰える事を予想していたようですが…
これも、主役の特権という物かも知れません。
投稿: 茶々 | 2010年5月26日 (水) 10時34分
迷宮や わざと迷いに 入りけり
でも今回は、あまり迷いませんでした。
新証言が欲しい。迷うために(笑)
>新兵衛の刀は、数日前に料亭ですりかえられていたとの噂
この噂が迷宮を台無しにしています。
理由:
1.『刀を奪われる』ことを前提にしないと不要な準備。
2.奪われた刀で切られたら本末転倒。
3.刀を捨てたり、落としたりするのも不自然。
現代のサスペンスドラマなら、重要なところでしょうけれど。
投稿: ことかね | 2010年5月26日 (水) 14時48分
ことかねさん、こんばんは~
こういう事件の場合、蓋を開けてみれば、迷う事も無い単純な話である事が多いですね。
投稿: 茶々 | 2010年5月26日 (水) 22時06分
お久しぶりです~(^^)
相変わらずものすごい記事の量ですね!変わらない情熱、尊敬です!
私は忙しさにかまけて、パソコンすら久しぶりに触ってます(汗
田中新兵衛は謎がいっぱいでおもしろいですね。こういう人にはまると歴史がまた深く面白くなりそうです。
ところで話ズレますが、ちょっとお伺いしたいことが。。。
首実検のとき、首桶を開けたらよい香りが立ち上った。。。という戦国武将がだれかわかります?
うちの師匠が子孫らしいのですが、聞いた名前を忘れてしまって。。。
なかなか師匠と話ができないのですが知りたくて(><)
メールでもうちのブログでもかまわないのでご存知でしたらよろしくお願いしますm(_ _)m
投稿: 味のり | 2010年5月28日 (金) 00時12分
味のりさん、こんばんは~
お久しぶりですm(_ _)m
>首実検のとき、首桶を開けたらよい香りが立ち上った。。。
他にも、同じような逸話を持つ方もいるかも知れませんので、お探しの方かどうかわかりませんが、私が知っている中では、大坂夏の陣の若江の合戦で戦死した木村重成が、そのような逸話をお持ちです。
豊臣秀頼の小姓だった人です。
投稿: 茶々 | 2010年5月28日 (金) 01時11分
ありがとうございました!
夏の陣がどうの、といっていたのでその方かもしれません。
調べてみます。ありがとうございました(^^)
投稿: 味のり | 2010年5月28日 (金) 23時45分
味のりさん、こんばんは~
>夏の陣がどうの、と・・・
それなら、当たってるかも知れませんね。
まだまだ歳若く、新婚さんだったように記憶してます
投稿: 茶々 | 2010年5月29日 (土) 01時25分