坂本龍馬の「船中八策」土薩盟約そして大政奉還へ…
慶応三年(1867年)6月22日、薩摩の西郷隆盛・大久保利通、土佐の後藤象二郎・坂本龍馬・中岡慎太郎らが、大政奉還協力の盟約=薩土盟約を成立させました。
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慶応三年(1867年)4月、土佐藩の外郭団体として正式発足したばかりの海援隊(かいえんたい)に降りかかった大事件=いろは丸事件・・・(11月15日参照>>)
とにもかくにも、その賠償問題の決着を見届けた坂本龍馬が、今や土佐藩の参政として活躍している後藤象二郎とともに、藩の蒸気船・夕顔丸にて長崎を出航したのは、6月9日の事でした。
すでに、この1月、長崎での会談にて、大政奉還(たいせいほうかん)の話で盛り上がっていた龍馬と象二郎は、この船の中で再び、その方策を協議します。
その時誕生した新政府の構想が『船中八策(せんちゅうはっさく)』と呼ばれるアレです。
龍馬が象二郎に話して聞かせるのを、横にいた海援隊士の長岡謙吉が書きとめたと言われていますが、その原本は残っておらず、もともと上田藩士・赤松小三郎という人物の構想を龍馬が語って聞かせただけと考える人も少なくなく、また、親交のあった横井小楠(しょうなん)(1月5日参照>>)の影響も多分に受けているとして、果たして、この船中八策が、どこまで龍馬のオリジナルだったかは、よくわからない部分もあるわけですが、それを言い出すと、お話が前に進まないので、その真偽のほどは、またいずれの機会にさせていただく事にして・・・
この後、新たな国家構想を話し合う会議に使われたとおぼしき龍馬直筆の『新政府綱領(こうりょう)八策』なる原文が伝わっていますので、とりあえずはソチラを・・・
第一義、
天下有名ノ人材ヲ招致シ顧問ニ供フ
第二義、
有材ノ諸侯ヲ撰用シ朝廷ノ官爵ヲ賜ヒ現今有名無実ノ官ヲ除ク
第三義、
外国ノ交際ヲ定義ス
第四義、
律令ヲ撰シ新ニ無窮ノ大典を定ム律令既ニ定レバ諸侯伯皆此ヲ奏ジテ部下ヲ率ス
第五義、
上下議政所
第六義、
海陸軍局
第七義、
親兵
第八義、
皇国今日ノ金銀物価ヲ外国ト平均ス
右預メ二三ノ明眼士ト議定シ諸侯会盟ノ日ヲ待ッテ云々
○○○自ラ盟主ト為リ此ヲ以テ朝廷ニ奉リ始テ天下万民ニ公布云云強抗非礼公儀ニ違フ者ハ断然征討ス権門貴族モ貸借スルコトナシ
慶応丁卯十一月 坂本直柔
以上、あの○○○には、何が入るんだろう???と妄想をかきたてられる一文ではありますが、とにかく、その元となる物は、大政奉還はもとより、人材登用、不平等条約の改定、憲法制定、二院制議会、海軍拡張、御親兵設置、金銀交換比率の改定の基本原則を明示した画期的内容だったわけです。
この船中八策を手に、一路、京都へと向かう龍馬と象二郎・・・
かくして慶応三年(1867年)6月22日、二人は、福岡孝弟(たかちか)ら土佐藩家臣と、そこに中岡慎太郎も加わり、薩摩の小松帯刀(たてわき)、西郷吉之助(隆盛)、大久保一蔵(いちぞう・利通)と会見し、この案への同意を求めたのです。
この直前の5月に行われた四侯会議・・・
福井藩第14代藩主の松平慶永(よしなが・春嶽)、
宇和島藩第8代藩主の伊達宗城(むねなり)、
前土佐藩主の山内容堂(ようどう・豊信)
薩摩藩主の父・島津久光
上記のメンバーで行われたその会議で、明確の答えが出なかった事から、この時の薩摩には、すでに武力討幕の意志はあったと思われますが、この文章自体には異論がなく、特に議会主義などは、薩摩としても興味のあるところでしたから、「まずは、様子見ぃ」(←たぶんそうかと…(゚ー゚;)という感じで、この日、両者は土薩盟約を交わす事となりました。
幕府への忠誠心を持ちながら、薩長とのつながりも持つ・・・ちょうど昨日書かせていただいたばかりの山内容堂(6月21日参照>>)が、その微妙な姿勢から、「酔えば勤王(朝廷側)、冷めれば佐幕(さばく・幕府側)」と、揶揄(やゆ)されていた土佐藩は、ここに来て、最も政局を動かせる位置についたのです。
早速高知に戻った象二郎は、この案を容堂に提出・・・容堂はすぐさま、建白書の準備を命じました。
やがて完成した大政奉還の建白案は、老中を通じて、第15代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)へと伝わります。
しかし、この案を慶喜がOKするかどうかは・・・提出した彼らにはわかりません。
「建白が採用されへんかった時には、そのまま城中で死ぬ覚悟でいてはりますやろ?
もしも、先生(象二郎の事)が、お城から帰って来はれへんかった時には、海援隊が、将軍の参内するタイミングを狙ろて、一発ブチかましたりますさかいに・・・その後は冥土で会いましょうや!」
これは、10月13日、登城を間近にひかえた象二郎に渡された龍馬の手紙・・・二人の覚悟のほどが見えてきます。
果たして、その日、二条城に集められた在京中の40の藩の重臣・・・彼らの目の前で、容堂の建白を受ける形で、慶喜は、その胸の内を語ります。
その内容は、翌・14日、大政奉還として日本の歴史上に刻まれる事となったのです(10月14日参照>>)。
そして、その大政奉還と同じ日・・・朝廷も動きます(10月13日:討幕の密勅>>)
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コメント
後藤象二郎って、今回初めて知りました。
ドラマでは、弥太郎や龍馬の仇役みたいな感じですが、実際は、仲が良かったみたいですね。
今後の3者の変心(改心?)振りが気になります。
投稿: 山は緑 | 2010年6月22日 (火) 12時17分
山は緑さん、こんにちは~
勤皇党との一件があるので、党員たちとは、やはり遺恨もあったでしょうね。
でも、ここらあたりからは、身分の低い龍馬の意見が上に届くのも、弥太郎が財閥になるのも、象二郎さんのおかげです。
おっしゃる通り、演じている青木さんの演技に期待がかかります。
ドラマを楽しみにしていらっしゃる山は緑さんにとっては、ちょっとネタバレのような感じになっちゃってすみませんでした(*_ _)人
投稿: 茶々 | 2010年6月22日 (火) 12時46分
茶々様
最大の見せ場ですよね。
龍馬伝ではどう描かれるのか、楽しみですね。
投稿: いんちき | 2010年6月22日 (火) 18時16分
龍馬伝では「坂本龍馬の構想」として出るのでしょうか?ドラマ後半では重要場面でいろいろ立ち会うはずですが、その顛末がドラマで「軽く」描かれたらイヤですね。重要事項なので。前半の経緯を見るとそんな予感がします。
投稿: えびすこ | 2010年6月22日 (火) 18時39分
いんちきさん、こんばんは~
そうですね~
最大の見せ場ですね。
カッコイイのを期待しています。
投稿: 茶々 | 2010年6月22日 (火) 22時21分
えびすこさん、こんばんは~
やはり、ドラマは龍馬のオリジナルとして描かれるのが当然でしょうね。
昨年の天地人では、他人の手柄も自分の物にできるのが主役の特権だったんですから、龍馬の船中八策なんか、普通でしょう。
ドラマなんですから、文字通り、主役をヒーローにしてOKだと思いますよ!
投稿: 茶々 | 2010年6月22日 (火) 22時30分
>ドラマは龍馬のオリジナル~
そうですね。普通に考えると主人公の周辺の事と、中央政治の事とを平行して語るべきですね。坂本龍馬は「人生の実働年数」が短いから、スロー進行では「主人公の見せ場」や、「番組のヤマ場」まで間延び(その分、重要事件の仔細を詳しく紹介できるメリットがあるのに、今年はそれを生かしてない。「天地人」とかはこれの反対)します。今年は海援隊発足や薩長同盟とか、船中八策とかが後の方になりそうなので、「のろのろ展開」になったのが残念。親族以外の女性関係に関しての描写は、ストーリー上重要とは思えません。
無理に特定の登場人物(今年は岩崎弥太郎)の私情がからむから、物語が味気ないと思うんですね。
投稿: えびすこ | 2010年6月23日 (水) 09時23分
えびすこさん、こんにちは~
いよいよ来週は西郷さん…
これからの山場の演出に期待したいですね。
投稿: 茶々 | 2010年6月23日 (水) 13時10分
24日の放送で触れていましたね。
中岡慎太郎はこれに関して少し発想が違うようでしたね。
個人的印象ですが「龍馬伝」はストーリー後半になったら、あんまり「時代劇」や「大河ドラマ」と言う感じがしませんね。こういう大河ドラマも珍しい?
劇中に欧米人や外国語がよく出るからか。
グラバー邸の場面が多い事もあるかも。 う~ん(^-^;
投稿: えびすこ | 2010年10月26日 (火) 10時36分
えびすこさん、こんにちは~
24日は出かけていたので、まだ、録画を見ていません(゚ー゚;
その点を踏まえて、じっくりと拝見させていただきます。
投稿: 茶々 | 2010年10月26日 (火) 11時27分