連合を図った瓢箪鯰~阿部正弘・未だ夢の途中
安政四年(1857年)6月17日、江戸時代末期の福山藩主で、幕府老中首座を務め、安政の改革を行った阿部正弘がこの世を去りました。
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文政二年(1819年)に第5代・備後(広島県東部)福山藩主・阿部正精(まさきよ)の五男として生まれ、病弱な兄に代わって18歳で、第7代藩主となった阿部正弘(あべまさひろ)。
その翌年に一度お国入りをしますが、彼が故郷の福山に帰ったのは、この一度っきり・・・その職務のほとんどを幕政に捧げた人です。
奏者番(そうじゃばん・礼式の管理役)から寺社奉行を経て、天保十四年(1843年)に25歳で老中に抜擢されます。
・・・とは言え、後に同じような役どころとなる井伊直弼(いいなおすけ)と比べると、何となく印象が薄い感じ・・・ドラマでも、あのペリー来航にアタフタする幕府の代表のように描かれます。
3年前の「篤姫」でこそ草刈正雄さんが演じて、少し注目される役ではありましたが、今回の「龍馬伝」でも、なにやら、江戸城内の広い座敷に、せまっ苦しく屏風を立てて、コソコソ会議をする、あの集団の中にいる1人みたいな感じで描かれてますね~。
そんな阿部さんは、同時代の幕臣からも「八方美人」と批判され、現在でも、決断力がない事なかれ主義と思われがちです。
しかし、一件八方美人に見える政策も、ペリー来航を機に勃発した国家の一大事に、広い視野を持つ彼なりに、必死の努力で立ち向かっていた姿なのです。
ペリーが初めて来航した時、老中首座という役どころだった彼は、一旦ペリーが去った後、幕臣や諸大名とその家臣たちに、ペリーが置いていった国書の訳文を公開して、身分の上下を問わず、広く意見を求めます。
結局、大した意見も出なかった事もあり、苦しまぎれな政策と思われがちですが、考えてもみてください。
未だ「武士のメンツが立たなきゃ、腹を斬る」という時代ですよ。
「こんなもん、うまくいくワケない」というような事も、力づくで押し通しちゃう幕府独裁体制がまかり通っていた頃です。
そんな時代に、最大機密の国書を公開して、身分の上下を問わず、広く意見を聞こうなんていう民主主義的な発想は、考えようによっちゃぁ画期的です。
とは言え、良い打開策を見つけられないまま、時間だけが過ぎ、再びのペリーの来航で日米和親条約を結んだ彼・・・その後は、幕府だけではなく、朝廷や雄藩からも人材を登用し、これらの連携による防衛体制を整えようと試みます。
攘夷派だった水戸の徳川斉昭(なりあき)や薩摩の島津斉彬(なりあきら)らを幕政に参加させた事は、結果的には、幕府の権威を弱める事になってしまったかも知れませんが、おそらくは、「攘夷なんてできっこない」と見切っていた彼にとって、幕府という体制を維持しながら、なんとか日本を一つにまとめるための作戦であったようにも思います。
彼自身は譜代の名門という家柄でありながら、朝廷や雄藩をはじめ、身分にとらわれない人材登用によって、お互いに協調し、できもしない事を強行しようとせず、融和的に、かつ現実的に物事に対処しようとした・・・
これが、八方美人の事なかれ主義として「瓢箪鯰(ひょうたんなまず)」なんてニックネームをつけられる阿部さんですが、この先の「攘夷決行は不可能」で「日本が一丸となって外国に対処しなければならない」という現実の歴史を知っている現代の私たちから見れば、ベストではないにしても、平和的に事に対処する一つの方法だったのだという事は理解できます。
この時、小者の幕臣にすぎなかった勝海舟や、外国を見て来た土佐の漁師・中浜(ジョン)万次郎を起用したのも彼・・・阿部の広い視野による人材登用がなかったら、彼らの活躍もなかったでしょう。
しかし、安政四年(1857年)6月17日・・・阿部正弘は39歳という若さで亡くなってしまいます。
そうです、彼の、「朝廷雄藩連合構想」は、まだ夢の途中だったのです。
彼の死を以って、この連合構想は尻すぼみ状態となってしまい、ご存知のように、この2年後、あの井伊直弼による安政の大獄(10月7日参照>>)が決行され、世は血みどろの幕末へと突入する事となります。
♪やさしさと甲斐性のなさが、表と裏についてくる♪
演歌の世界じゃないですが、そのやさしさ故、決断力がなく、弱腰にも見える連合政策・・・
しかし、意見が真っ二つに別れる大所帯には、1人くらい、その調整役となる人がいても、悪くない・・・彼が、もう少し長く生きていたら、いったい、どんな幕末を迎えた事でしょうね。
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コメント
茶々さん、こんばんは!!
待ってました!阿部正弘っ好きですww
老中辞める発言をしたのが良いですよねw
それした時、攘夷派で対立してた徳川斉昭も、必死で止めて、それで、老中に復帰するのがw
俺のありがたみを分かった?みたいな。
若死にしちゃったのが残念ですね。
人望あったのに…。
井伊直弼も好きですww
私は幕府応援派なので…
あ、調所広郷好きです!いつか書いて下さい!
投稿: 暗離音渡 | 2010年6月17日 (木) 22時50分
今年の「龍馬伝」ではあまり存在感がありませんでしたね。気がつけばこの世を去った印象。この人があと10年生きていれば、どうなっていたでしょうね?
1年前の6月17日に2011年大河ドラマ作品が決まりましたが、12年作品は今日18日あたりに決まるでしょうか?今回は誰になるか全く予想つきません(午前10時30分現在)。でも、幕末の人物は勝海舟以外はご勘弁願いたいです。
投稿: えびすこ | 2010年6月18日 (金) 10時32分
暗離音渡さん、こんにちは~
暗離音渡さんは佐幕派ですか…
調所広郷さんは、評価が難しいだけに書くのも難しいですね~
また機会がありましたら登場していただきたいと思います。
投稿: 茶々 | 2010年6月18日 (金) 14時05分
えびすこさん、こんにちは~
もう、次の大河ドラマの時期ですか~
早いですね~
戦国と幕末だけではなく、アッと驚くような人だとウレシイな
投稿: 茶々 | 2010年6月18日 (金) 14時07分
「黒船来航で寿命を縮めた」人ですね。若き勝海舟がこの当時、「今の幕府には人材がいない」と嘆いた逸話もあります。最も当時の彼は平旗本なので、自分の言い分を幕閣が聞く耳を持たないと思うんです。だから大口を叩けたとも。
「龍馬伝」関連記事の所でたくさん意見が出ましたが、NHKスタッフが読んでくれれば、今後の参考になる(「AKB総選挙」で前田さんが敗北した遠因もNHKは考えてほしい)と思うんです。このブログの存在に気づいているかどうか…。
投稿: えびすこ | 2010年6月18日 (金) 16時40分
久方ぶりのコメントで失礼をば。
>彼が、もう少し長く生きていたら、いったい、どんな幕末を迎えた事でしょうね。
幕府は倒れるけれど徳川家は新政府で政治の表舞台に残ることは間違いなかったでしょうね。人材を見る目は傑出していたので幕府末期の名相であることは疑いないです。
でなくば斉彬が評価しないでしょう。彼を評価している作品はいまのところ漫画『風雲児たち』くらいしか見当たらんのですが…。
投稿: 五遷筲始 | 2010年6月20日 (日) 17時21分
五遷筲始さん、こんばんは~
私もかなりの名相だと思いますが、ステキなキャラクターでの登場は見ませんね~。
>漫画『風雲児たち』
そうなんですか?
やはり、漫画はあなどれませんね。
戦国モノでも意外にコアな人物がイイ感じで登場したりしますもんね。
是非とも、次の幕末モノではかっこよく登場してほしいです。
投稿: 茶々 | 2010年6月20日 (日) 18時29分